見出し画像

これは大事なプロセスな気がする

2/25(土) 朝7時36分

京都に帰省して親が初めて自分に弱みを見せられたタイミングが昨日だった。本当の意味で。これまでは、会いに来ている期間は、良い面を見せようと頑張ってくれていて、それが概ね成功していた。つまるところ、いいかっこしい(良い格好しい)の父親の性格がいろいろな現実の問題点をカバーして、こちらを不安にさせまい、心配をかけまいとうまくカバーしていた。

今回の帰省も、がんの転移がもとになった黄疸の対策手術から退院後初となる東京の孫との対面で、これまで通り、お気に入りの料理屋を2軒も予約して、良い面を見せてくれようとしていた。だけど、初日の対面が楽しく終わったあとの夜、震えと悪寒が始まった。それでも、その翌日の昼はなにごともないかのように振る舞った。昨夜ちょっと体調悪かったんよ、くらいのレベルで。それを受け取る自分も、えぇっそうなんや、気をつけや、くらいのことは言ったかもしれないが、心の芯で受け取ったわけではなかった。見た目は元気そうだし、どこかまだまだ大丈夫な父親のイメージしか持てていなかった。

2/24(金)14時40分から、認知症でサナトリウムに入っている母と、コロナ禍のため対面はできず、自分と妻と孫たちは初となるfacetimeでの携帯越しの対面を行う。その時も父は母をケアする言葉と、看護師さんたちへの感謝とで気丈だった。母親は、こちらを子や孫だとは認識できてないが、肌の色艶は健康そのものといった感じだった。意識だけは赤ちゃんに戻っているレベルだけど。色鉛筆での塗り絵の作品を見せてもらったが、すごく丁寧に花を塗り分けていた。

15時50分に、佐賀から妻の父母がサプライズで訪れた。正確には父には前夜に伝えてはいて、ほんまかいなとは言いながらも、大丈夫やでと話していた。先に伝えすぎると、料理屋を予約して、散策路を考えてと、頑張りすぎてしまう性格を知っているので、気を使わせないためにも、直前に伝えようと妻とは話し合っていた。それが良かったのか、災いしたのかはわからない。ただ、対面して話している1時間は和やかに、また父親も熱量を持って話し続けていて、家と病院では天国と地獄ほど違いますわと、いつもながらにサービス精神満載でオーバーに、盛大に盛って話を盛り上げた。ただ、対面で話していた元刑事の妻の父だけは、異変に気づいていた。話しているうちに、どんどん顔色が悪くなっていったという。2mくらい離れていGoProをまわしていた自分は全く気づかず、その場にいた他の誰も気づかなかった。父いわく、本人もその時点では体調不良に気づいていなかったという。17時をすぎて、急遽予約したという養老鍋の河道屋に行こうと父が席を立ったが、トイレと洗面からなかなか戻ってこない。洗面で震えが来て、止まらなくなったのだ。庭で仕事の電話をしていた自分が電話を終えて部屋に戻ると、みんなざわつき、父は自室でマフラーやニット帽、ダウンジャケットを着込んで横になり震えていた。

自分が父を見守るということで、他のみんなには予約していた河道屋に行ってもらった。父はしきりに大丈夫やからお前も行けと口にするが、身体はガタガタブルブル見たこともないくらい震えていて、歯もガチガチガチと当たっている。手をかけたが、わかりやすく震えが伝わってくる。顔色も黒味が増してきている。この瞬間が、本当の意味で、自分が初めて目の前で死の存在を感じた瞬間かもしれない。これまで、大きな手術の立ち会い待機も妹とふたりで経験して、死の瞬間の不安感・心配を近くに感じてはいたが、それは目で見ていたわけではなかった。大きな病院の手術室の中で起こっていたことで、実際の自分たちは待合の廊下と近くの喫茶店で昼から夜まで待機していたわけで、今回とは明らかに距離が違った。目の前で見たこともないくらいに父の病状が悪化している。

白湯を飲みたいということで、お湯を沸かして渡すとすすり飲んで、時間をかけて少しずつ落ち着いていく。15分後には、大きな震えは収まって寝息を立てるようになる。30分後にまた白湯を渡し、部屋の明かりを落とした。この時点で自分の意識はまだ、いろいろと追いついてない。わざわざ佐賀から来ている妻の父と夜どこかで落ち合って、お酒を飲めたら良いな、などの考えも浮かぶくらい、大事とは捉えられていなかった。自分の夕食を用意して、いつもの流れでビールもひと缶空ける。さらに30分ほどして様子を見に行くと、今度は発汗でタオルと水がほしいという。体温計で測ると38.9℃になっている。

自分たちと入れ替わりで、夫の実家の下関に帰省している妹に電話を入れる。父の身の回りの世話は、父のがんをきっかけに近くに家族ぐるみで引っ越してくれた妹が普段行っている。大学病院からもらった患者の自己管理手帳の後ろに、38℃以上の熱が出た場合は救急外来に連絡するよう書いてあることを教わり、大学病院に電話をかける。

手術を担当いただいた消化器科の先生から折り返し電話をいただき、インフルエンザやコロナのほかに、手術で付けた胆管のステントが詰まって熱が出ている可能性があることを聞く。とりあえず、陰圧室で、血液検査、抗原検査、レントゲン検査、CTを行うとのこと。付き添えるなら、その結果も伝えられるとのことで、タクシーで向かう。

タクシー内で父と話ながら、自分たちが東京から何かの菌を持ち込んでしまった可能性を感じて、辛くなる。本人は「それにしては反応が早すぎるやろう、胆管のレフィルから菌が入って炎症起こしてるかもしれないと先生も言ってたけど、だから良かったんよ。来てもらっていて。ひとりだったら、どうしていいかわからなかった」と言う。もしかしたら奇跡的なタイミングで、普段会えないみんなが集まるこの日まで、胆管のレフィルがギリギリ保って、この同時のタイミングで詰まって熱が出て取り替えないといけない状態になったという可能性もないわけではない。この時点では、なにもわからないけれど。

ベッドで38.9℃の計測が出たときにも、自分たちが菌を持ち込んだかもしれないことを後悔して謝ったが、いや、そんなことはない。よかったんよ。これで死んだら、がんが進行して最後までいくより楽にいけるかもわからん、と笑えないことを冗談ともつかない顔で言っていた。そして、妹とすこし電話を代わると、まだ死なんわ、と伝えていた。昨日今日とこれまで会えなかった東京に住む孫をはじめ、みんなにも会えて間に合ったと受け取ってよいのか、不用意だったと考えるべきなのか(でもリスクはいつも変わらずで、がんは進行していくので、そう考えるといつまでも会えない)。

病院につくとコロナ対策の隔離で、特別に用意された入り口に向かう。外に置かれた椅子で待ちながら少し話す。時刻は21時。少し寒くなってマフラーを巻いているときに、看護師さんから名前を呼ばれて、中に入る。そこで別れる。このまま入院なら、また長期会えなくなるし、本人もさっき図らずも天国と地獄の違いと言っていたばかり。

自分もパーテーションで囲まれた隔離スペースに座って待機。たまに、近くにいるのか、別室の父の声が聞こえてくる瞬間がある。状況を説明している。声は朗らかに聞こえる。孫とのエピソードも交えて、楽しげに話しているように聞こえる。

30分ほどして、以前消化器科の手術をしてくれた担当医の先生が挨拶もかねて来てくださり「胆管の炎症の可能性もあって入院してもらうことになるかもわかりません。また動きがあれば伝えます」とのこと。

22時47分。担当医の先生が再び来てくれてこう話す。「抗原検査を終えてコロナは今のところ陰性です。血の検査もそんなに悪くないんですけど、炎症の値はちょっと上がってます。どこかに感染があるんだと思うんですけど、ちょっと何なのかはわかりません。CTを放射線科の先生に今から読影って、読んでもらいますので、その結果次第で入院するか、このまま退院していただくか。で、家にもし帰宅されるとしたら、月曜日にはまたお越しいただいて、家で抗生物質を飲んでいただくというような形にすると思いますので、その形でいきましょか。うん、はいじゃあその形でお願いします」。

23時12分、突然不意に、待ち合いに父親が現れる。

「検査したけども特別の異常がないって。コロナでもインフルでもない。そやからどうもなかったんや。ただ、ステントで直接腸に通してるやろ。どうしても菌が入ってくるねん。その作用でそうなったんやろうと。そやけど、いまのところ血液検査もCTなんかも異常なしやから、いったん帰って、月曜日に来てくださいって。そやけどまぁ無理はできひんな。細菌をやっつける薬と熱冷ましが出る。ほいで、数値は逆に下がってる言うてた。ビリルビンの。いままで2やのに1.7や(健康体では0.2~1.5mg/dL)。まだ下がってるからな、黄疸は出てないんや。黄疸出てないやろ、目。それを鏡でチェックしといてください、言うとったわ。そうなったら、必ず黄疸出るからな。そやけど蛍光灯なんかやったらわかりやすいけど、うちのは白熱灯やろ。全然変化がないんよ。そやけど前は白熱灯でもあったけどな、黄疸な。自然の光やったらわかるんやな、毎朝、庭で鏡見たりして。でも手鏡持ってないんや。100円ショップのとか置いときたくないんや(笑)」

タクシーで帰宅して、とりあえずホッとしたのか、どらやきを食べている父。そして、佐賀のお義父さんお義母さんが持ってきてくれた、嬉野温泉豆腐を温めて、少し溶けた頃合いを美味しそうに食べる。抗生物質の薬を飲む。テーブルの上には、義父義母に見せようとしていた、ハワイでの結婚式の写真などが置いてある。深夜1時前に就寝。長い1日。

これは大事なプロセスな気がする。大きな往年の飛行機が着陸しようとしている。その着陸態勢を取るために、いろいろなものごとが裏で意志を持って動いているような気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?