複雑なものを「単純化」するのではなく、「身体化」するということ
新型コロナの感染が、世界中に広がり、色々な人々に多様な影響をもたらしている。
「風が吹けば桶屋が儲かる」や「バタフライエフェクト」ではないが、全く新型コロナとは関係がないと思っていたビジネスまで、大きな影響を受けてしまっている。
そんなときに実感することがある。
「世の中が複雑になってきている」
これを肌で感じるようになったのはいつからだろうか?
もしかしたら、以前から複雑だったのが、自分が色々なことに関わってきたことで、複雑な世の中が見えてきたのかもしれない。
「複雑なもの」に対して、我々はどのように向かい合っていくべきだろうか。
以前、コンサルティングの職についていたときには、「複雑なものを、複雑に扱うことは誰でもできる。如何にして単純化するかが重要だ」と思っていた。
そういう時に、暗黙知といった複雑なものを、形式知にするというSECIモデルの表出化だけを話して、偉そうに講釈を垂れていたように思う。
知識創造理論(野中郁次郎)
しかし、どうしても複雑なものを単純化してしまうと、情報が抜け落ちてしまう。
例えば、私が普段ビジネスで使っているPythonによるデータサイエンスのプログラム。このプログラムは、チーム全員に共有して、お互いに見られるようにしている。マニュアル化もして、その通りに実行すれば、誰もが簡単にデータ分析を実行することができる様にしている。
そこまで単純化しても、ミスが起こってしまう。
もちろん、そのマニュアルでの注意点が足りないと言うこともできる。
しかし、それ以上に、データを見るときの”肌感覚”といった、どうしても言葉では伝えきれないもの。
これが残ってしまっているように思う。
4月になり、新入社員や、新たに配属された社員に研修をする機会が増えた。特に、今年は対面ではなく、リモートで研修をしなければならないことが多い。
その時に、どうしても複雑な業務を単純化した形での講義になってしまうと、受講者の理解度も上がっていないように感じてしまう。
そんな時に学んだ考え方が「身体化」というもの。
とても偶然なのだが、先に私がロールモデルとしていると書かせていただいた安田登、田坂広志の両氏が全く別の場面で、「身体化」の重要性を述べられていた。
相手と一体化しようとする「如」や「恕」を実現するために、「心」を使ってなんとかしようとするにはほとんど不可能であることは、多くの人が経験するところです。(中略)まずは身体から
出典:身体感覚で「論語」を読み直す。(安田登)
日本という国では、CSRの思想は、すでに「身体化」された深い思想として存在していたのである
出典:田坂広志「21世紀の資本主義」を語る(田坂広志)
「複雑なものを単純化して捉える」というこれまでの私の考え方と真逆のアプローチ。
・複雑なものを複雑なままで捉える
・物事を頭で考えて理解しようというのではなく、身体で行動によって理解する
その様に「身体化」を捉えています。
(この書き方自体が、複雑な「身体化」という言葉の意味を、単純化して捉え様としている、私の元々のアプローチになってしまっていますが)
ビジネスでの経験や、本・講演等を通した教え。
それらを、自分の頭で解釈して理解すると、そこには元々伝えたかった言葉にならない情報が、抜け落ちてしまっているかもしれません。
まずは、その教えの通りに身体を動かしてみる。
それによって、複雑なものを複雑なままで理解する。
これからの学びは、その様になっていくのではないでしょうか。
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