見出し画像

SDGsと”三方良し”は似ている様で違う

こんなことを書いたこともあり、最近は「格差・貧困についての論文」と「映画についての所感」の2種類を中心に書いてました。

その間も、読書は習慣のようにしているので、いい本に出会ったり、私的に所感をまとめたりしていました。

そんな中で、若干今更ですが、注目したキーワードがSDGs (Social Development Goals)。
2015年の国連サミットで採択されたらしいですが、当時そういう情報に疎かった私が、その存在を知ったのが2018年頃。
何かのセミナーで聞いたんだったと思います。

初めて聞いたときは、「え、そんなことできるわけ無いじゃん」ということでした。たった十年強で、「貧困をゼロにする」そんなことが実現可能だったら、これまで誰も貧困で苦しんだり、難民になったりしていないだろう。

ただ、そんな意欲的な目標や、世の中への急速な広がり(去年とかは、どこの社外イベントいっても、誰かしらはあのSDGsバッチしてた)をみていくに、「あ、世の中が本気なのかも」と思って、私も2018年の後半くらいから、真剣にSDGsと向かい合うようになりました。


SDGsについての本や文章を読んでいくと、よく出てくる論調が、「日本には、近江商人に由来する”三方良し”という考え方があり、それはSDGsと同じである。なので、日本人はSDGsの精神を昔から持っていたし、すぐにでもそれを取り入れることができる」というもの。

一瞬、納得しそうになる。確かに、”三方良し”は「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」なので、社会貢献につながる。というのは言えるだろう。しかし、現代のビジネス環境に対して言われる”課題”。そして、そのために必要な”対策”がSDGsだとすると、”世間良し”では範囲が狭すぎる。

例えば、企業はこういったことでも批判されるようになっている。

この記事では、「ナイキ、プーマ、アシックス、ベストセラーズ、VF Corporationのサプライヤー工場で働く労働者」の労働環境についての責任を、それらのメーカーにも求めていくということです。

カンボジア製造工場に生産を委託しているスポーツウェアメーカーは、国連『ビジネスと人権に関する指導原則』(特に原則13)に基づき、サプライチェーン上で発生する人権への負の影響を防止し、既に発生している人権侵害を軽減し、被害を軽減し、是正措置を講ずる責務を負っています。
アシックス、プーマ、ナイキら国際ブランドメーカーは、本件卒倒事故について、労働者の意見や置かれた環境について十分な聞き取り調査と分析を行い、原因を特定すべきです。そして、様々な専門家が指摘する、労働環境の改善を主導していく責任があります。(上記記事より)

これは自分にとって衝撃的でした。
もちろん、メーカーとして直接雇用関係にある被雇用者に対しては、適切な労働環境を提供するという責任があることはわかります。
しかし、そのメーカーの下請け・孫請け(更に下まで)の企業の労働環境は、その企業が責任を負うべきであり、最上位のメーカーに追求されることはないのではないか。と思っていたからです。

ある時期までは、それが常識だったのかもしれません。私の判断軸は、その時点に取り残されていました。
しかし、現代のSDGsが中心となった国際社会では、ある企業はその企業が委託・再委託している先の企業に対してまでも責任を負う必要があるということが、新しい”常識”になっていました。

それは、買い手・売り手・世間の三方だけでなく、すべてのバリューチェーンを把握した上で、それが”すべて良し”でないといけないということです。

三方良しが三角形だとすると、SDGsはN角形≒円。
そのすべてを”良し”と言えるビジネスだけが、これからの世の中で生き残っていける。

そんな激しいメッセージであることを、改めて考えさせられました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?