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旅の間のおもいつき

せせらぎ

 真夏の車中泊旅。初日に道の駅で泊まろうとしたものの暑くて眠れず、こりゃ標高を稼ぐしかないということで、毎日夕方までに標高1000mくらいのところを目指す旅になった。必然的に人里離れた山奥で泊まることになる。山は、人間が住むところとは異なる。強い光がない。大きい音がない。ノイズとなるものが少なく、得られる情報も少ない。そうなると、人は情報を得ようとする。得られた情報が増幅されて処理される。3泊目は、小川の近くに車を停めた。17時すぎに下山する車が通ってからは、周囲から人の気配がなくなった。スマホは圏外。日が沈み、あたりは闇に包まれる。川のせせらぎがひたすらに聞こえてくる。他の情報がほぼ無いので、意識は川の音に集中する。段差になっているところを流れ落ちて鳴る「とぷん」という低い音、飛沫や細い流れが奏でる「ちょろちょろ」という高い音。音域が広いため、意識は、類似する波形から人の声を連想したり、耳鳴りを連想したり、足音を連想したりする。そんな感覚を楽しみながら、眠りにつくまでに思いを巡らせた記録。

進化のタイミング

 進化(とされるもの)がどのような仕組みであるか。長大な時間によって少しずつ優れたものに変化するというのが一般的な(あるいは旧来の)進化のイメージだろう。しかし、どうも進化は突然起きている。変化に滑らかさが少ない。であるなら、どのように変化しているのか。
 生命は、置かれている環境とその対応の循環によりバランスが保たれる。ある個体の適応可能な環境が幅広ければ、身を置く環境の変化から行動様式の変化が起こり、その繰り返しに伴う訓練によって、結果的に一世代でも大きな変化が起こりうるのではないか。そして、ある集団が練度を高めたとき、その系は種として分岐しうる。

不安について

 山奥の暗闇で独り、川のせせらぎを聞いていると、不安になる。人の声が聞こえた気がする。なにかの足音が聞こえた気がする。川の音に集中するとすべてが川の音に聞こえる。観測と思考の境界が曖昧になる。不安を感じるとき、そこには観測した情報と、連想した情報がある。つまり、不安に感じたモノとは別に、そこには根拠となる要素がある。

痛みについて

 怪我をしたとき、神経が刺激を感知して、痛みを感じる。その比喩表現として、心が痛むという表現も使われる。その共通点は、と考えた。痛みは、境界が侵されたときに感じている。自分の、あるいはある一部の領域が、外のものに侵入されたときの反応として、痛みという語が使われている。


 夜が明けていた。意識を手放したとき、暗闇と川のせせらぎと涼しい空気は、睡眠の良いサポート役となる。車から降りて、朝の空気を吸い込む。爽やかな旅の一日の始まりだ。

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と、清々しい気持ちになりながらふと近くの木に目をやると、明らかに何らかが爪で引っ掻いたような痕跡があった。これは、えーと。ダッシュで車に戻り、そそくさと山を立ち去ったのだった。

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