生かされている

小学生の頃、
両親ともに仕事第一で、父は飲食店経営で深夜に帰宅、
母は教員で早朝出勤、夜は直帰する事もあったけど、
週に3〜4日は連絡なしにそのまま飲みに行くので、
私は夜8時くらいになっても帰って来なかったら、
夕飯を作るか、お金があればコンビニかスーパーで買うか、
お金が結構あって何もしたくない時はピザを頼んで、
家で一人で食べて、
お風呂の用意をして、自分のものだけ洗濯して、
一人で寝るという事をしていた。

殆ど一人暮らしのような感じで、
それが慣れてしまって、
逆に母が夜いると、
テレビはサスペンスドラマになるし、
口が開けば仕事の愚痴だし、
私の話は聞かないし、
いない方がマシだと思っていた。

一人で自由に過ごすのが良かった。

時々、変な人の訪問があったりしたけど💦


そんな訳で、
中学生になると、いじめや仲間割れなどに遭い、
"誰も、自分がいなくても悲しむ人なんていない"
と思って、自暴自棄になった時もある。

自分で旅立つ事は勇気なくて出来なかったけど、
"いつ死んでも構わない"
とは思っていた。

親を殺す夢を何度も見た。
酔っ払った母と、殴り合いもした。


私が母のお腹の中に入って間もない頃、
母は妊娠を知らずに授業でプールに入り、
股から血が出て、病院へ。
その時に妊娠している事がわかったそう。

そう、私は、生まれる前から、
命の危険にあっていた。

変なおじさんに付け回されたり、
ちょっと危険な目に遭いそうになったり、

20代半ばに、
夜の高速道路で一人で運転してた時、
不注意で、右のガードレールをこすり、
左のガードレールをこすり、車が横に倒れた。
もう、死ぬかと思った。

"お父さん、お母さん、ごめんなさい。
 ありがとう。後は宜しくお願いします。"

そう念じてたけど、

結局、
腕に薄っすらアザが出来た程度、
ガードレールも擦れただけで曲がっておらず
弁償にはならず(損害なし)、
人も物も巻き込んで無かったので、
切符も切られず。
ただ、車体の右側の全面破損だけ💦

不幸中の幸い。


今まで振り返ると、
守られている。
生かされている。
と思う。

生かされているという事は、
何か果たすべきものがあるからかな?と思ったり。
私に何ができるのだろう。

そして今、

乳ガンになったけど、死んでない。
また、生かされているという実感している。

あの時、そのまま死んでいたら、
この今の子どもたちの笑顔も見られなかっただろう。

ありがたい。

私はまだ生きなければならない。
生きる意味がある。

ありがとう。

命を諦めなくてありがとう。

私はまだ生きている。
これからまた、色々な景色が見られる。

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