お酒って、秀逸なメディアだと感心した話

こんばんは、クラフトビア子です。

先日、夫が知覧Tea酎を買ってきました。サツマイモと緑茶の茶葉を同時に仕込んだ焼酎なんだそう。

知覧には行ったことがないのですが、知覧という地名から想起されるイメージとともに、知覧Tea酎の瓶を前にいろんなことが思い浮かびます。

1本の焼酎から、着想は広がる

私の場合、知覧といえば、まずは知覧茶。それから特攻基地。
太平洋戦争末期の特攻隊員たちに想いを馳せつつ、知覧のお茶のおいしさにほっこりとし、平和に感謝して、やっぱり鹿児島だから芋焼酎でそこに特産のお茶と組み合わせるとは!なるほどなあと感心しました。

そして、お茶の焼酎って緑茶割りみたいな感じなのかなあ、などと考えたり。瓶も緑茶がイメージされていい感じだとか、焼酎は透明だけどこのTea酎は緑茶の色なんだろうかとか、香りはお茶なのかしらとか、何やらわくわくしながらロックのグラスに注ぎました。


実際に注いでみると液色は透明で、お茶の香りはかすかにするかなあといったところ。ひと口飲んで「おお!焼酎だけどお茶だ!!」と夫婦で顔を見合わせます。

その後、家に遊びに来た友人にも出してみたら、やっぱり同じような思考や反応をたどって「おお!焼酎だけどお茶だねえ」という感想でした。

芋焼酎としてしっかりとおいしい。しかも緑茶の香りがすうっと爽やか。

飲んべえ同士で知覧Tea酎への感嘆と感心を共有したところで、ひとしきり鹿児島の話題に花が咲きました。

お酒はめちゃくちゃ情報を持ったメディア

お酒は、さまざまなアイコンがつけられて売られています。

名前、生産地、生産年、パッケージデザイン、種類、原料、風味、度数、飲むシーン、飲み方、合う食べ物などなど。他にも生産者や価格、買った場所――。

アイコンの情報ひとつからだけでも、話題や着想は広がります。しかも、予備情報を持たずに、ただグラスに注がれて目の前に出されただけでも、いざ口に含めば情報はたくさん。

味や香り、見た目、個人的な好き・嫌い、その味から呼び起こされる過去の飲酒体験や文学・映画などのアート――。

ここまで人に何かしらの想起をさせ、感情を動かすお酒は、つくづくおそろしいほどに情報を持ったメディア=媒体だと思いました。

文学や絵画、音楽といったアートは太古から気持ちを深く動かすメディアですが、さすがに身体性はそこまで強くありません。

見たり聞いたりと知覚を使うことはあっても、お酒のように自分の体に物理的に取り込んで、しかも酩酊するなんてことはまずない。

食べ物や水は摂らないと命にかかわりますが、お酒の場合は摂取しなくても全然生死に関わらないのも絶妙です。

まさに余剰の存在。絶対的に生存に不可欠ではない、文化的な産物。古くから神と人を結びつける役割を果たしていたのも興味深いです。

評価軸が多様化した今の時代、お酒はもっとおもしろい

親世代、祖父母世代は大量生産・画一的プロダクトの時代を生きてきたため、誰もが同じお酒を同じようなスタイルで飲んできました。

しかし今は、消費や文化の個別化・多様化が進み、同じものを大量に消費するのではなく、自分が選び取ったものを自分のスタイルで消費していく時代です。

お酒というメディアが持つ情報は、今後ますます着目され、おもしろがられるようになるのでしょう。

何を飲むのかでどんな人かわかる時代になってきたとも言えます。

でもそれは、決して高級で希少なお酒を飲むのが正義だということではありません。どんなスタンスでつくられたお酒なのか、その背景を知って選ぶ。文化や地域特性を感じられる特徴があるお酒だから選ぶ。こうした各個人の評価軸が多様化し、多様な評価を持ち寄ってお互いがポジティブに楽しめる社会が来ているのだと感じます。


さて、知覧Tea酎がなくなった我が家では、夫が同じ醸造元のプレーンな芋焼酎を買ってきました。

いわく、知覧の焼酎そのものの味も知りたくなったから、だそう。

いまは知覧の地元で採れたサツマイモで仕込まれたという、芋焼酎本来の風味を夫婦でたのしんで味わっています。いつか知覧も訪ねてみたいです!

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