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50歳のノート「転職でさまよう自分の居場所と絵本「ペツェッティーノ」」



○ 現在地
職務経歴書をイヤイヤ更新して転職エージェントさんと連絡をとり始めたものの「また次もハズレなんじゃ…」と、本来どんどん飛び込んでいくべきなのに手が止まる。
焦燥感はじわり来るものの、スイスイ前進していかない。

○ 転職市場で探しているもの
今度こそ、お客様のことをみんなで一緒に考えて純粋なものづくりをしたい。
そんな状況は一度が二度しか経験していないけれども、その体験を願ってしまう。
自分の気づき=お客様のペイン予防になって、メンバーから喜ばれる環境だ。

○ 本当に欲しいもの
とはいえ、転職活動で言えない、本当に欲しい状態は、
・ひとりでできる仕事
である。
ひとりでできる仕事で、今と同じかそれ以上稼ぎたい。
静かに没頭してアウトプットしてそれを受け取る相手が価値を感じていただく。

今と真逆だ。
今は人が相手になっている。
・初見の相手とコミュニケーションをとり課題と情報を引き出す
・背景のよくわからない事象に飛び込んで情報を集めながら課題を見つける
・ユーザーが遭遇する不具合をサービス開始前に想定していかにクリティカルか伝える
・不具合量産体質の組織に漢方薬のように処方薬を投与し続ける

実はトップダウン方式でしか組織の体質は変えられない。やったことのある方はご存知の事実だ。
けれど、ほとんどの企業でトップがその感覚が何故か無く「品質に強い人を採用してきて置いとけば組織は良くなる」と信じておられる。
臭いところに脱臭剤を置いとく感覚なのだ。ニオイをなんとかするのではなく、何故悪臭が発生しているのかを見つけてそこに手を打つことはしない。
もちろんトップにもアプローチするけども何かしてくださったことは今までの経験上無い。

自分は人見知りだし小心者だし政治的な駆け引きは一切できないにも関わらず、人にまみれる今の職種を20年近くやっている。
自分の本当の希望は1人で完結する世界で、何なら稼ぎたい。

感情ベースで抽象化すると、ただ人に優しくありたいだけなのだ。
人に優しい人でいたいのに、これまた真逆の世界にいる。

問題は優しくありたいのに世界は優しくなく、ひとりで完結したいのに稼げる仕事がないことだ。
本当に欲しいものに全然辿り着けない。

○ 相手の否定から自分を組み立てる
自分のしていることと世界のギャップを掘り下げるとこんな感じだ。

人の痛みがわからない人たちの中で「お客様の痛み」を訴えて改善を求める。
当然、理解も共感もされない。
私のしている行為に価値を感じる人がいない。
否定か無関心が返ってくる。
自分は相手の否定から自分というものを組み立てている。
結果、自分は相手が捨てたジャンクパーツを寄せ集めたいびつなロボットになる。

そっと想像を広げると両親と自分の関係性だと思う。
否定と無関心をかき集めてできたいびつな体であがいて生きてきた。
社会に出てお褒めいただくことはあるけれども「いやいやこんな体ですから」と恐縮するしかない。自分ならではのこの世界観が幼少のころからコンティニューしていると気づく。

○ ひとりで仕事するのが良い理由
自分がものづくりに没頭すると世界は自分ひとりになる。
否定と無関心を投げてよこす他人も「こんな体」で恐縮しなければならない相手もいなくなる。
結果、息がしやすくなるのだ。

○ 自動的に相手の否定を拾っていた
最近、あらゆる意味で自分の上位互換の同僚と話すうち、いままでは感じなかった違和感に気づくようになった。
「相手の反応から否定を拾っている」ことである。
相手から、自分自身を無価値と感じる言葉、態度を拾い集めていることに気づいた。

転職して船を降りようとしているタイミングだからこそ、同じ船で生活する人たちとシンクロがズレてきているだけかもしれない。

けれど、相手がこんなもん要らないと認定したパーツを拾ってレゴブロックのように自分を作っていることに気づいたのだ。
そんな世界ならば自信なんて持てないし、自分というものも自分でわからないのは当然だ。

○ 絵本「ペツェッティーノ」の世界
レゴブロックといえばレオ・レオニの絵本「ペツェッティーノ」を思い出す。
クレヨンのようなカラフルな絵柄に谷川俊太郎さんの言語センスにはっとなる絵本である。

小さなキューブのような形をしたペツェッティーノは「自分は小さくて特技もない。きっと大きな誰かの部品なのだろう」と思いたち訪ね歩く。
「僕はあなたの部品ですか?」と尋ねた相手は「違います」。
見た目、相手もキューブの集合体に見えるのに違うという。
ペツェッティーノは自分の所属先を訪ね歩くも見つからない。
とうとう小さなキューブ、ペツェッティーノは船で海を渡るもとうとう自分がパーツとして合体する相手は見つからなかった。
旅から帰ったペツェッティーノは「僕は誰かの部品ではなく僕は僕だ!」と歓喜してこれまで訪ね歩いた人たちに宣言する。

ここで終わらないのが一番好きなところである。
突然「僕は僕だ!」と宣言され、何のことかわからなかった人たちは「何のことだかわからないけれどもペツェッティーノが嬉しそうだから嬉しい気持ちになった」となって物語は終わる。

自分は自分!と気づいたところで終わらないところがいい。
本人が喜んでいるからまぁいっか、というおおらかな世界にこそあたたかさを感じる。
パーツとして所属先が決まってハッピーエンドになるよりよっぽどひととのつながり感がある。

逆に「自分は自分!と気づきました!」で終わるとスピリチュアル路線まっしぐらである。
その気づきの高揚感に中毒すると、さらなる気づきを得られそうなツールを求めてスピリチュアルビジネスに永遠にカモられる。

その気づきだけで終わってしまうと浅くてもったいない。 
せっかく得た気づきをじっくり醸造したり物語を読むように自分なりの解釈を味わうほうが良いと思う。

○ 転職活動はペツェッティーノの旅と似ている
うっすら気づいてしまったのだが、ペツェッティーノの旅は転職活動に似ている。
自分がキューブの形をしていることを職務経歴書に書き「あなたの会社の部品としてハマりますか?」を尋ね歩く。
小さなキューブでしかないことをちょっぴりみじめに思いながら。
どうにかドッキングしてその会社で働き始めたり、丸の形を相手が求めてるのに合わせてキューブなのに丸に擬態したり。

自分は自分だ!という気づきについて、まだ自分は消化できていない。
相手に飲み込まれて自分の価値を相手に委ねなくてもいいんだよ、という感覚はわかる。
そこから先は、解釈のための醸造タイムが必要だ。

絵本の訳者、谷川俊太郎さんによる美しい日本語の世界に酔いつつ、ペツェッティーノの元気いっぱいの冒険の旅に少しの勇気をもらうだけで今はいいのかも。

○ 自分の物語に気づく
絵本の物語を読みながら、自分の物語に少しずつ気づいていく。
いつか、相手が自分のことを「嬉しそうだからまぁいっかぁ」と思ってくれる場所に辿り着きたい。

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