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50歳のノート「スタートアップ泥船航海記 船を降りる元上司」


転職が決まった元上司と話した。
顔に生気が戻っていて少し感情も見える。
もともとはこんな人なのかもしれないと最後に気づく。
彼は入社直後からあいまいな状況で全てを押し付けられた。とはいえ彼から何も方針を出さず(正確には叩かれて受け入れられず)何も爪痕を残さなかった。
挙句、「お前のせいでシステムがこんなことになっている」と管理職から平社員に落とされる。
からの、後から入社した若年の後任者にうとまれ「期待値と給料が見合わないからお前の給料を削る」と言われていた。
平になってからはどんどんやることをはがされていった。
後任者にすりよる面々はあからさまに彼を馬鹿にした。
まるで韓国ドラマの、学校でのいじめを見ているようでぞっとした。
水をかけられ殴る蹴るが公然と行われている。

ぞっとした私は彼に転職を勧めていた。
差し出がましいですが、と、エクスキューズをいれつつも、精神を病むと元にもどって普通に仕事をできるようになるまで時間がかかる。
早く脱出した方が良いと訴えても彼は「今じゃない」と言っていた。

なにやら落ち着かなくて同僚のYさんに元上司が転職をしないと言い張ると訴えると「できることに対してここの給料がいいんじゃないですか」とのこと。
転職したら給料が下がる、ならばここにいるだけで他より給料高いならもうけ、ってことだった。

私も元上司に対してよき思い出があったわけではない。
相談しても助けてくれることがなかった。
裏で調整してくれることもなく、ただぬいぐるみのようにリモートワークのカメラの前で話を聞いているだけだった。
後から聞くと、裏でわたしのせいになすりつけていたともきいた。
それでもいじめをみるのはぞっとした。

彼が退職をオフィシャルに発表したあと、いじめに加担していたメンバーたちが「転職先がいい会社だったら紹介してくださいねぇ〜」と言ったそう。
「フルリモートワークの環境だからここにいるわけで。それ以上でもそれ以外でもないんですよね。会社が潰れるまでいますから」。

他人事感、自分の快適さ中心感が半端ない。
いまやIT企業がフルリモートから出社に戻している理由がわかる。

そんな元上司だが、2社も内定をもらっていたそう。しかもまともに受け入れ段階を考えてくれているそうだ。
「この会社で本来はやりたかったことをやりたい」そう。
あっ…やりたいことあったんだ…と、かつてのカメラの前に置かれたぬいぐるみの姿を思った。

「ここでの記憶を消したい」と冗談紛れに言った。「全部お前のせいだ」と突然仕事を剥がされたのは初めてだそう。

同僚のYさんは彼を「タイミングの悪いことが重なった悲劇の人」と評した。もし後任者が彼だったらヒーローだったろう。
後任者は彼を否定して救世主として入社したのだから。
彼はタイミングなのか、状況なのか、本人の資質なのか、あらゆる要素が重なって無能者の烙印を押された。
そもそもがマネジメントを必要としていない組織だった。エンジニアがやりたいことをやりたいようにやってマネジメントを排斥した。
後任者はエンジニアの声の大きい人の尻馬に乗る形で自分の立ち位置を確保した。
つまり元上司を攻撃することてエンジニアの歓心を買った。
次は自分の番になるのに…。

そんな憂き目にあった元上司だが、環境が変われば生き生きと復活するかもしれない。
次の会社で普通に働けることを応援した。

ふと、自分を省みる。
ここ近年なぜ転職を繰り返しているのかなと思う。
「必要とされたかったから」という言葉が浮かんだ。

自分のQAエンジニアという職種は求人数が右肩上がりだ。それなのに経験者の数が少ない。なので欲しい企業はたくさんある。
とくに5年を越えたスタートアップ企業の求人が多い。

ところがいざ入社してみると、課題はQAエンジニアの手に余る、もっと大きい問題であることが多い。ほぼそれが99%だ。
イコール、QAエンジニアのテストいっちょうで解決できることはほぼない。
その99% を少しでも減らそうと手を出して悪戦苦闘を始める。
すると、いままでやりたいようにやってきたエンジニアたちから猛反発をくらう。なんなら元上司のようにボコボコにされる。
草の根活動がうまくいくときもあるが、だいたいそうなるまで放置されている組織では、よき仲間を得てもその相手が耐えきれなくなって辞めていく。

とはいえ、解決策はひとつある。それはトップダウンだ。トップから方針を降ろしてもらう。そして現場は少しずつでも前進させる。
トップダウンはむしろ唯一の解決策と言っていいだろう。

とはいえとはいえ、そうなってしまっている組織のトップに毎回掛け合ってきたが、トップがまず他人事だった。
「開発現場にまかせてるんだから!」「QAエンジニアという専門家を雇ってるんだから!」と言って他責にするだけで前に出てこない。

いやいや上からしかできないことあるんよ、、と話しても通じない。

社長、役員なのに品質は他人事なのだ。
簡単に言うと、どうしていいかわからない、考えたくないようだった。あるいは手を出したくないようだった。
私が転職した直後に、社長と役員ごといなくなった会社もあった。親会社に株を売却して抜ける前提だったらしい。
それはもう関わる気もないよね、と後から知った。

ボードメンバーの方々は皆さん「品質は良くしたい」「障害は嫌だ」という。
けれど、じゃ、どうする?となると二の足を踏む。あるいは「専門家をやとってるんだから!」と逆ギレする。
QAはプロダクトの品質の専門家であるべきで、組織的にどうするかはトップダウンでしかできない。
ボードメンバーをふくめ、全員は自分たちは何も変えないでQAを雇って置いておくだけで何かが解決すると思っている。

そんなうまいこと行くはずがない。
品質が自分ごとではない方が危険である。
作ること、作って出すことだけが自分たちの使命で、品質を作り込むことは別の担当ってことになっている。

品質でいうと何十年も型と人材を育成して磨き込んできたメーカー様がダントツである。
その型も組織づくりも人材すらないスタートアップでメーカー様ばりの品質をQAエンジニアいっちょうでどうにかしようとする。
そのあまりの解離に気づかない時点でアウトだ。

やるならトップダウンを効かせられる位置にメーカー様ばりの経験者を入れ、そもそもの本質を捉えた上で現実的に進められることをやるべきである。
なんなら人の大幅な入れ替えも必要になる。品質のためならば!

と、いうことが本質なのだけど、ほとんどの企業でそれをやってない。
そんな求人市場に出ていく自分も軸がぶれまくってしまう。

安直に必要とされるけれども、入ってから自分の手に負えない。
カタチだけやって「ほら、こんなに価値があるんですよ!」と「プレゼンス」していかなければならない。そこに本質は無いのに。

安全を求めれば転職先はメーカー様になるけど、自分の年齢で受け皿があると思えない。
職種を変えると未経験スタートとなる。年齢が壁になるし当然年収が2-300、下手すると400万は下がるだろう。
同じ職種のフリーランスもあるといえばあるけど、有象無象すぎる。

うーん…?と考える。
条件面で考えるとぐるぐるしてしまう。
なので、そもそもの根っこをたどってみる。
なぜ転職したいのか。
 必要とされたいから。
必要とされたいのはなぜか。
 自分が安全を感じたいから。
安全を感じたいのはなぜか。
 そこに居場所を感じたいから。
居場所を感じたいのはなぜか。
 自分を受け入れて欲しいから…?
 人に好かれたいから…?

ずっと他人頼りだのう、と気づく。
自分が面白いから、自分がやってて楽しいから、が無い。
自分の価値は他人に依存した、他人頼みである。

本当はクリエイティブなアプローチが好きだったり、お客様のことを想像するのが好きだったりする。
そもそもでいうと、概念を言葉にして腑に落ちるのが一番好きである。

転職は企業の軸と自分軸のすり合わせだという。それは相手が組織だし、企業にとって人を雇うことは何百万ものお買い物だから企業が有利だ。
とはいえ自分もどこでもいいわけでもない。
なので、企業側も並行して候補者をみているし、候補者も並行で企業をみている。

手元でみると、マッチングアプリでお互いにスワイプしているようなものだ。

自分が一年という短期間で去ったスタートアップ企業は、本質的には必要とされなかった(私自身ではなく職種だけれども。それは前任や後任が短期間で辞めていったのを知った)。

整理すると、表面的には、
・必要とされたい自分 ×  本質的に必要としない企業に行ってしまった

一階層下は、
・人に受け入れられたい自分→相手依存で自分軸が無い
ってことだった。

相手と関係なく、自分がやっていて一番呼吸が楽になるのは文章を書くことである。
考えを書きながら引き出して気づきがあったりするととても嬉しい。
さらにどなた様かのお役に少しでも立てればもっと幸いである。

じゃあ仕事にしたらいい、となるが、いままであれこれ試したが高収入にならなかった。
もしかして「書くことを収入にすること」が安直すぎるのかも。

今回の転職タイミングではかなわないかもしれないけど「これまでの経験があってよかった」という立ち位置につきたい。
60代、70代になっても働きたい。
相手に必要とされることを希求するのではなく自分軸でお役に立ちたいと思う。
自分の根っこをみつめてそう思った。

ふと、元上司を思い返す。
もしかして「本当は役立たずの自分」を彼に投影していたのかもしれない。
必要とされない無能者の末路。でも転職で必要とされるところを掴み…とハッピーエンドを自分に重ねて夢想していたのかもしれない。 

でも、あの何もしてくれないぬいぐるみが少し好きだったのだ。
何の役にも立たないぬいぐるみ。
次の置き場所でぬいぐるみが愛されるといいなと思った。

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