私という記憶

私の本当のところを知っている人は世の中に居るんだろうか

初めて離婚した時に一番悲しかったことは、相手と過ごした記憶を共有する相手が居なくなってしまったことだった。その頃の私はどんな風だったか、客観的に語ってくれる人を失ってしまうともう二度とその記憶は蘇らない気がする。夫に話したら思い出すことって必要?と言われてしまいそうだ。夫は過去を振り返ってねちねち考えたり、答えを出したりしないそうだ。考えないで本能に従った結果、例えば一人でもそういう状態だと思うだけだと。私が記憶力が良く、思い出の細部まで覚えていて繰り返し思い出すことが出来る。記憶に囚われる意味はなんだろう。

生まれてから36年間で30年、一番長く住んでいた未来ヶ丘の駅や近くにあった大きい100円ショップ、広い公園、団地群。思い起こす作業もなく日々食事を作っている時や買い物をしている時などに頭に懐かしい未来が丘の映像が流れている。特に好きな場所じゃなくてもランダムに。

若い頃の夫がなんでもないあの日になんて言ったのか、克明に覚えていたりする。その時はあなたはこう言っていたよ、というのはよく会話に出てくる。夫はもちろん覚えていない。母がプレゼントでくれたものを私が着ていると、「それ似合うわねえ、素敵よ。」といつも褒めてくれるが、自分があげたことはすっかり忘れている。ボケているわけではない、あげたら気が済んで忘れてしまう人なのだ。

自分だけの記憶、よく思い出す景色は一人暮らしの部屋の窓だ。井の頭線が窓のすぐ近くを通っていてよく揺れるマンションだった。古いマンションの木の窓枠の隅に小さな花瓶を置いていて、そこに枯れた花が一輪あって、電車が行きすぎる振動で揺れていた。日差しの強い日に窓を閉めて、光でいっぱいの6畳に立ちつくしていた。その時の感情も映像と共に甦る。

私の中は記憶でいっぱいだ。そして人に話せないことだらけ。友人が知っている私の秘密を夫は知らない。私が父を出し抜いてお金を手に入れた時に引っ越しを手伝ってくれた友人は、私の気の小ささを知らない。小さな頃の私の性格を知る母は、現在の私の考えを多分知らない。明るくてパーティー好きなママ友という一面、うつと発達障害と虚弱で家事もままならない日があることをママ友は知らない。結婚してから働いていたバイト先の社長は実は私が元引きこもりでほとんど社会人経験がなかったことを知らない。5歳で両親が離婚してから一緒に暮らしたことのない父は、私の好物すら知らないだろう。煙草とお酒にまかれていた大学時代の私を知る人は、私が子供を2人も育てているなんて考えもしないだろう。ねずみ講にハマってしまい会わなくなった小学生の頃の親友は、私が生きているかも知ることがない。

私の全てを知る人が誰も居なくて不安になった。人から見た私の虚像で多面体が出来ていて、光に照らすと反射して本人すら自分を見失っている。私という確かなものは、私にある記憶だけ。


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