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シカゴのヒップホップ史を振り返る

WebメディアのCINRAに二本の記事を寄稿しました。

一本目はKanye Westのドキュメンタリー「jeen-yuhs」のレビューです。そのキャリアの歩みから「働く場所」について考えるものになっています。二本目は先日公開された、The Kid LAROIと漫画「東京卍リベンジャーズ」コラボムービーについての記事です。The Kid LAROIのシカゴ人脈に着目し、シカゴのラッパーたちによる日本の漫画・アニメへのオマージュなどについて書いています。CINRAでは今後も書いていく予定なので、ブログやPodcastとあわせて随時チェックしてください。

今回寄稿した二本は、どちらもシカゴのヒップホップにまつわる記事です。共通する名前も出てくるので、読んでいてなんとなく繋がるような話題だと思った方もいるのではないでしょうか。そこで今回はこの二つの記事をより繋ぐべく、シカゴのヒップホップ史について書いていきます。プレイリストも制作したので、あわせて是非。


南部のレーベルとハウスとの接点

Kanye West記事では、レーベルがなかった1990年代のシカゴのシーンについて書いています。当時のシカゴのラッパーは、NYのRelativityに所属したCommonのように他エリアのレーベルと契約して活動するのが主流でした。Da BratJermaine Dupri率いるアトランタのSo So Defと契約。Do Or DieはテキサスのRap-A-Lot、シンガーのJohnny Pも同様でした。そのほかA.M. Dre'はルイジアナのCititrax、ゴスペルラップデュオのTrue II SocietyはテキサスのGrapetree…と、南部のレーベルと契約するケースが特に目立ちました。

この頃のシカゴ勢はまだ南部やNYなどほかのエリアのスタイルを借りているような印象のものが多いですが、TwistaやDo Or Dieなどは「チョッパー・スタイル」と呼ばれる高速ラップを得意としていました。また、シカゴを代表する音楽であるハウスとの接点を持っていたこともシーンの特徴の一つとしてありました。Vitamin-Cは1990年のシングル「The Chicago Way」でハウスビートを採用。Do Or Dieは1994年にリリースしたEP「No Love」で、ハウス系プロデューサーのDJ Funkを起用していました。そのほかヒップホップとハウスを横断するような作風を聴かせていたSoundmaster Tなども活動。このハウスとの接点は、後のシーンにとって重要なことになります。

1990年代後半から、Kanye Westがプロデューサーとしてメインストリーム作品にも少しずつ参加してくようになっていきました。そしてKanye West記事でも書いていますが、当時Kanye Westが運営していたレーベルのKanman Productions所属のMikkey Halstedが2000年前後にBirdmanLil Wayneに気に入られてCash Moneyと契約。この頃のCash MoneyにはMikkey HalstedのほかにもTateezeBoo & Gottiといったシカゴ勢が加入しており、この頃のCash Moneyがシカゴのシーンに注目していたことが伺えます。

Cash Money入りしたシカゴ勢は、Mack 10の2001年作「Bang Or Ball」Big Tymersの2002年作「Hood Rich」といったCash Money作品に次々と参加。2003年にはBoo & Gottiが1stアルバム「Perfect Timing」をリリースします。同作にはレーベルメイトはもちろん、Kanye WestやR. Kellyも参加(今となってはどちらも…)。Mannie Freshが当時のKanye Westの作風を模倣したようなソウルフルな「Chicago」なども収録し、翌年にリリースされるKanye Westの1stアルバムに先駆けてシカゴのヒップホップをメインストリームに届けました。Cash Money所属のシカゴ勢はその後あまり活躍することはありませんでしたが、Mikkey Halstedは後に意外な形で重要な人物となります。


ベテランたちの2000年代の活動とKanye Westのブレイク

2000年作「Like Water for Chocolate」などが高い評価を集めたCommonなど、ベテランの活躍も2000年代に入ってから目立つようになっていきました。客演やグループでの作品は残していたものの、自身のソロ作は1997年の「Adrenaline Rush」を最後に途絶えていたTwistaもKanye West(とJamie Foxx)とタッグを組んだ2003年のシングル「Slow Jamz」で復活。2004年にはアルバム「Kamikaze」をリリースし、商業・批評の両面で成功を収めます。

ヒットには恵まれませんでしたが、Do Or DieSnypazらも堅実に活動。Soundmaster Tはアラバマ出身でシカゴに移住したJah Ristaと手を組み、傑作アルバム「Redemption」を2000年にリリースしました。

Commonのようなブーンバップ系譜のスタイルの持ち主がいる一方、Twistaのような西海岸や南部のGに通じるスタイルも根付いていたシカゴ。そしてこれらの文脈を継ぎ、2004年にはKanye Westがいよいよ1stアルバム「The College Dropout」をリリースしました。同作は、シカゴが培ってきた多彩なスタイルがKanye West流に昇華されたものでした。

この頃のKanye Westの作風といえば、なんといってもシングル「Through The Wire」に代表される早回しサンプリング、「チップマンク・ソウル」です。

以前こちらの記事で書いたように、かつてRoc-A-Fella作品で共にビートを作っていたJust BlazeRed Bull Music Academyの企画でチップマンク・ソウルについてハウスからの影響を語っています。先述した通り、シカゴのヒップホップシーンはハウスのシーンと接点を持っていました。Kanye Westがチップマンク・ソウルに挑んでいたのにも、ハウスからの影響もあったのではないでしょうか。また、ハウスの影響は「The College Dropout」収録の「The New Workout Plan」の後半、四つ打ちのキックにBoskoがトークボックスで歌う展開ではっきりと感じることができます。

そのほか、先述したTwistaとのヒット曲「Slow Jamz」も収録。同曲のビートは高速ハイハットをレイドバックしたメロウなウワモノに合わせた南部G的なノリで、チョッパー・スタイルの代表格であるTwistaのラップもシカゴをレペゼンするものです。Talib KweliからLudacrisまで並ぶスタイル・地域を問わない客演の人選も、多彩なスタイルが共存するシカゴらしいと言えるでしょう。


Kanye Westの影響とジューク

「The College Dropout」の成功により、Kanye Westはシーンに確固たる地位を築き上げました。そしてこの後、Kanye West記事にもあるようにKanye Westが新たなレーベルのGOOD Musicを設立。シカゴのシーンのフックアップを始めました。

Kanye West作品を除くGOOD Music作品で、最も多くの人に知られている作品といえばCommonの2005年作「Be」です。Kanye Westがプロデュースを手掛けた同作は、冒頭を飾る「Be (Intro)」から特別な空気が通う名作となっています。Commonにとっても代表作の一つです。

GOOD Music所属アーティスト以外にも、Kanye West周辺のシカゴ勢は次々と登場していきました。2006年には「Jesus Walks」にソングライティングで参加していたRhymefestが1stアルバム「Blue Collar」をリリース。同作ではKanye WestやNo ID、Mikkey Halstedといったシカゴ勢も多く起用していました。

また、Kanye Westの2005年作「Late Registration」に参加していたLupe Fiascoも2006年の1stアルバム「Lupe Fiasco's Food & Liquor」でブレイクを掴みました。Lupe Fiascoについては以前こちらで少し書いています。

この記事にもあるように、この後シカゴからはKidz in the HallThe Cool Kidsといった気鋭のアーティストが次々と登場し、「ヒップスター・ラップ」と呼ばれるムーブメントに繋がっていきました。シカゴのシーンの熱気は、この頃にはヒップホップリスナーなら誰もが知るものになっていました。

ヒップスター・ラップはクロスオーバー志向の強いムーブメントでしたが、シカゴのヒップホップシーンは先述した通りそれ以前からハウスと接点を持っていました。そして、ハウスの派生ジャンルであるジュークとも自然に合流していました。2007年にはラップデュオのDude 'n Nemが名曲「Watch My Feet」をリリースしました。

当時はSoulja Boy「Crank That (Soulja Boy) 」Yung Joc「It's Goin' Down」のように、ダンスの振り付け付きでヒットが生まれる傾向がありました。ジュークのビートを採用してその激しい足の動きを紹介する「Watch My Feet」はそんな時流もあってか、メジャーレーベルのTVTからリリースされてヒップホップとジュークの交流史における重要曲になりました。

「Watch My Feet」のように、この頃のシカゴではジュークを導入する例がいくつか見られていました。Twistaも2007年に発表したシングル「Pimp Like Me」でジュークに挑戦。ストレートなジュークではないものの、Kid Sisterが2007年に発表したシングル「Pro Nails」もジュークの文脈で語られていました

その「Pro Nails」のリミックスにも参加していたKanye Westは、2008年に名作「808s & Heartbreak」をリリース…する前に、Jeezyのヒット曲「Put On」に客演。トラップビートに乗せ、オートチューンを使ったメロディアスなアプローチを披露しました。そして心の痛みを歌った「808s & Heartbreak」でもオートチューン導入は継続。Kanye West記事とThe Kid LAROI記事の両方で触れた通り、同作は後続の多くのアーティストに影響を与えました。2000年代後半に起こったジュークとの接近とオートチューンの導入という二つのトピックは、後のシカゴの大きなムーブメントに繋がっていきます。


ドリルとボップ

こういったダンスヒットやナーディなスタイルが注目を集める裏で、ハードなギャングスタラップも育っていました。2010年にはPacmanというラッパーが「It's A Drill」と題した曲を発表。「ドリル」というキーワードが広まっていきました。

2010年前後のシカゴ産ギャングスタラップで注目を集めたのが、ラップグループのL.E.P. Bogus Boysです。

Mobb Deepと共にブーンバップに乗りつつGucci Maneもフィーチャーしてトラップにも挑むその姿勢は、今ではKanye WestやLupe Fiascoの時代とドリルの時代を繋ぐ中間地点のように聞こえます。惜しくも解散していましたが、シカゴのヒップホップ史に強烈な足跡を残した忘れがたい存在です。

そして2011年、Chief Keefがシングル「Bang」を発表。リミックスでのLil B参加なども手伝って知名度を拡大し、続く2012年のシングル「I Don't Like」は大きな話題を集めました。

その話題はKanye Westにも届き、GOOD Musicの面々やJadakissをフィーチャーしたリミックスも登場。同年にリリースされたGOOD Musicのコンピレーション「Cruel Summer」にも収録され、Chief Keefは一躍人気ラッパーとなりました。同年の12月には1stアルバム「Finally Rich」でメジャーデビュー。若干17歳にして大ブレイクを掴んだChief Keefは、多くのラッパーに影響を与えました。そしてこの頃から、ドリルのシーンが急速に注目を集めていきます。

この頃のドリルの特徴としてよく指摘されるのが、ジュークの影響を受けたドラムパターンです。後述するLil BibbyG Herboの曲を手掛けたプロデューサーのDJ LVibeの取材で「アトランタのトラップサウンドと2つのシカゴサウンド、ハウスやジュークのサウンドとマーチングバンド、ドラムラインのサウンドをミックスした」と話しています。シカゴドリルからは徐々にジューク的な要素は見られなくなっていきますが、この「地元のサウンドをミックスする」という手法はUKに渡って独自に発展していきます。

そして、2012年頃から頭角を現していったLil Durkのように、オートチューンを用いたメロディアスなラップスタイルもドリルではよく使われていました。これはKanye Westが「808s & Heartbreak」や「Put On」で取り組んでいたスタイルの延長線上と言えるでしょう。特に仰々しいトラップビートの「Put On」はビート的にもドリルのそれに通じるものがあります。また、ドリルが注目を集めた少し後に新たに生まれたムーブメント、「ボップ」でもオートチューンがしばしば使われていました。

ボップはアトランタのフューチャリスティック系にも通じるダンス路線のスタイルで、代表的なアーティストとしてはSicko Mobbなどが挙げられます。

Sicko Mobbはジューク畑で活躍するプロデューサーのDJ Nateとも制作しており、ここでもヒップホップとジュークが混ざり合うシカゴのシーンの面白さを感じることができます。


次々と登場する新進ラッパー

ボップは一部で話題を集めるも、大ヒット曲も生まれず大きなムーブメントにはなりませんでした。しかしドリルは人気の拡大を続け、先述したLil Durkや初期はLil Herb名義で活動したG Herboなど次々とブレイクを掴んでいきました。

特に活躍したのがG Herboです。シカゴのWebメディア「Urban1on1」の企画で披露したフリースタイルがMikkey Halstedの目に留まり、Mikkey HalstedがマネージャーとしてG Herboを支えるようになってから徐々に活動の幅を拡大。2014年には初のミックステープ「Welcome to Fazoland」を発表し、Mikkey Halsted人脈と思しきCommonのアルバム「Nobody Smiling」収録の「The Neighborhood」にも客演します。さらにNicki Minajのシングル「Chi-Raq」にも参加し、大きな話題を集めました。

2012年にG Herboとのシングル「Kill Shit」を放って注目を浴びたLil Bibbyも重要なラッパーです。無骨なラップでドリルビートもソウルフル路線も巧みに乗りこなすLil Bibbyは、2013年の「Free Crack」などミックステープで高い評価を獲得。Chief KeefやG Herbo、Lil Durkらと共にドリルシーンの重要人物となりました。

ドリルやボップのようにサブジャンルとしての名称は付きませんでしたが、初期Kanye Westの影響を感じさせるソウルフル路線やクロスオーバーな方向性を得意とするラッパーも2010年代前半に次々と登場していきました。Chance the Rapperは2013年のミックステープ「Acid Rap」でジュークやゴスペルの要素も取り入れた多幸感溢れるサウンドを提示して高い評価を獲得。シカゴに新しい流れをもたらしました。

「Acid Rap」の成功は、参加アーティストのNonameSabaなどが注目を集めるきっかけにもなりました。Chance the Rapperも所属するコレクティヴのSaveMoneyやセントルイス出身でシカゴに拠点を移したSminoなど、周辺アーティストも同様のスタイルで人気を獲得。初期Kanye WestやCommonの系譜の最新版のようなイメージで、シーンに大きな存在感を示すようになっていきました。

しかし、SabaやSminoはしばしばチョッパー・スタイルのラップを聴かせるラッパーです。Twistaも「Acid Rap」収録の「Cocoa Butter Kisses」や、Sabaの2016年作「Bucket List Project」収録の「GPS」に客演。Do Or DieもVic Mensaが今年リリースしたEP「Vino Valentino」収録の「Alone With U」に参加しており、この周辺がCommonやKanye WestだけではなくTwistaやDo Or Dieの流れも継いでいることが伺えます。かつてTwistaは「Slow Jamz」で、Do Or Dieは2005年のシングル「Higher」でKanye Westと組んでいましたが、その成果がここに来て現れた形と言えるのではないでしょうか。

そのほかにもMick Menkinsなど様々な才能が2010年代前半に登場。この頃のシカゴのシーンは、かつてないほどの熱を帯びていました。


シカゴを飛び出したドリルの影響

Chief KeefやG Herboなど、ドリルシーンのラッパーの多くはかなり若くして成功を掴みました。その活躍はラッパー志望の若者を多くインスパイアし、2010年代半ば頃からその影響下にあるようなスタイルの持ち主が他エリアからも続々と登場しました。

Chief Keefがトライしていた「エイ」というアドリブを多用したラップスタイルは、後にLil Uzi VertXXXTentacionなどが使用して浸透。「Opps」などシカゴのスラングも21 Savageの2015年のシングル「Red Opps」など他エリアでも使われるようになっていきました。UKではドリル(特にDJ Lのストイックな作風)が現地のグライムなどと結びつき、「UKドリル」と呼ばれる新たなムーブメントに発展。そのビートは後にブルックリンを中心としたNY勢にも取り入れられ、新たな動きにも繋がっていきました。

そして、もちろんシカゴの新たな世代の間でもChief Keefなどの影響下にあるラッパーは登場しました。中でも最大の重要人物が、Kanye West記事とThe Kid LAROI記事の両方に登場するJuice WRLDです。

Juice WRLDは2018年に行われたインタビューでChief Keefを「今も昔もフェイバリットラッパー」として挙げ、「シカゴの新進ラッパーも聴いていた」と語っています。Juice WRLDの歌うようなラップスタイルはChief KeefやLil Durkなどとも共通しており、はっきりと繋がりを感じることができます。

また、The Kid LAROI記事にも書きましたが、Juice WRLDと契約したのはLil BibbyのレーベルのGrade A Productionsでした。そしてJuice WRLDの成功からGrade A Productionsはさらなる拡大に乗り出し、オーストラリア出身でKanye West「808s & Heartbreak」愛を語るThe Kid LAROIと契約。そのシカゴ勢からの影響を受けた音楽性をメインストリームに送り出しました。

シカゴからは、近年もPolo GCalboyといった新たな才能が次々とブレイクを掴んでいます。生演奏を取り入れたヒップホップをさらに探求するCommonや、良くも悪くも話題の中心であり続けるKanye Westなどベテランも現役で活動しています。かつては他エリアのレーベルで活動するラッパーが多く成功するのが難しいと言われたシカゴでしたが、数々のアーティストの取り組みによって今では重要な地の一つになりました。そして、その個性豊かなラッパーたちの取り組みは、先人が残してきたものとしっかりと繋がっているのです。


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