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トラップの先駆者・Lex Lugerとサウンドパックの関係を紐解く【サウンドパックとヒップホップ 第3回】

私が「サウンドパックとヒップホップ」「極上ビートのレシピ」の連載を行っていたメディア「Soundmain Blog」のサービス終了に伴い、過去記事を転載します。こちらは2022年1月13日掲載の「サウンドパックとヒップホップ」の第3回です。


トラップの重要曲「Hard in Da Paint」を生んだプロデューサー・Lex Luger

2021年は、Armand Hammer & The Alchemist『Haram』Mach-Hommy『Pray for Haiti』といったブーンバップの話題作が多くリリースされた年だった。各種メディアで絶賛されたTyler, the Creator『CALL ME IF YOU GET LOST』もブーンバップ要素を含むアルバムで、フィジカル版のボーナストラックでは前回紹介したBeat Butchaも関わった「FISHTAIL」も収録されている。そのほかTrippie ReddMadeinTYOなどは新ジャンル「レイジ」に挑戦し(筆者がWebメディア「Mikiki」に寄稿した記事も参照)、Young Thugはアルバム『Punk』で繊細なサウンドを披露。ヒップホップというよりソウルに近いLittle Simz『Sometimes I Might Be Introvert』なども高い評価を集めた。

しかし、トラップのハードなビート……ダーティな低音や細かく刻むドラムは未だにヒップホップの中心だ。アトランタから生まれて2000年代にブレイクしたトラップは、2010年代に入るとさらに広く浸透。南部だけではなく全米、そして世界中で作られるヒップホップの基本スタイルとなった。

そんな気付けば長く積み重なったトラップ史における重要曲の一つとして、アトランタのラッパーのWaka Flocka Flameが2009年に発表(正規リリースは2010年)した「Hard in Da Paint」が挙げられる。重厚なホーンシンセが威圧的に連打される808が効いた同曲は大きな話題を集め、Rick RossJay Rockなど多くのラッパーがそのビートでのフリースタイルに挑戦。blink-182のドラマーであり、ポップパンクとヒップホップの文脈を架橋する大活躍を見せているTravis Barkerによるリミックスや、カナダのジャズバンドBADBADNOTGOODによるカヴァー、果てはコメディアンのJames Davisが当時の大統領だったBarack Obamaのモノマネでラップした「Baracka Flacka Flames: Head of the State」というネタまで登場するなど、ヒップホップを飛び越えて広がっていった。

同曲のヒットからトラップ全体の人気もさらに高まり、シーン全体にトラップビートが浸透していった。 そんな「Hard in Da Paint」を生み出したのは、ヴァージニア出身のプロデューサーのLex Luger。彼も前回紹介したBeat Butcha同様、サウンドパック文化と非常に関係が深い人物だ。


音楽家・ビートメイカー としてのLex Lugerの歩み

まずはLex Lugerのキャリアを振り返っていく。Red Bull Music Academyのインタビューによると、音楽家としてのLex Lugerのキャリアは意外にも教会から始まったという。「最初は教会でドラムを叩いていたんだ。そこからDJセットを組むようになって、BPMや小節、数え方について学んだ。アカペラとインストを合わせているうちに、自分でもインストを作ってアカペラと合わせることができるんじゃないかと思うようになった」と、同インタビューでそのキャリアの始まりを語っている。そうしてビートメイクを始めたLex Lugerだが、最初に使っていた機材はDTMソフトではなくPlaystation 2のゲーム「MTV Music Generator 3」だった。その後MPCを購入してより本格的なビートメイクに乗り出し、FL Studio(の海賊版)を導入してからは制作ペースが急激に上昇。一日に最低でも10個はビートを作るようになっていったという(ヒップホップメディア・HotNewHipHopの記事より)。

こうしてビートメイカーとしてのキャリアを歩み始めたLex Lugerは、2009年頃に当時流行していた音楽系SNSのMyspaceを通じてラッパーのWaka Flocka Flameと制作。40個のビートを送りうち3個がWaka Flocka Flameのミックステープ『Salute Me or Shoot Me 2』に使われた。そしてその中の一つが「Hard in Da Paint」になり、Rick Rossが同曲のビートをリミックス用に欲しがったことから交流が生まれ、新たなヒット曲「B.M.F. (Blowin’ Money Fast)」が誕生。一気にトッププロデューサーへと駆け上がっていった。2010年にはKanye Westにもアルバム「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」のiTunes用ボーナストラック「See Me Now」を提供した。

2010年にはWaka Flocka Flame作品に共に参加していたプロデューサーのSouthsideと共にプロダクションチームの808 Mafiaを結成。翌年にはLex Lugerは離脱するが、集団でのビート制作は作品数の増加に繋がった。2011年のLex Lugerの勢いは凄まじく、Kanye WestとJay-Zのタッグ作『Watch the Throne』からの先行シングルとなった「H•A•M」を筆頭に、Wiz KhalifaOJ Da Juiceman、UKのGiggsといった多くのアーティストの作品に参加。Juicy Jとのタッグでのミックステープ『Rubba Band Business』なども高い評価を集め、米メディアのBETが主催するヒップホップアワードで「プロデューサー・オブ・ジ・イヤー」も受賞した。 また、A-TrakとのデュオのLow Prosでも活動。2014年にはEP『EP1』をリリースし、EDMとトラップの距離を縮めた。同年からはライブパフォーマンスも始め、ヨーロッパツアーなども行っていった。「Hard in Da Paint」のヒットだけではなく、これらのLex Lugerの精力的な活動もトラップ人気の拡大に繋がったのではないだろうか。


サウンドパックとして広がり続けるLex Lugerのドラム

先述した通り、Lex LugerはビートメイクをPlaystation 2のゲーム「MTV Music Generator 3」から始め、その後MPCに移行した。「MTV Music Generator 3」ではCDからサンプリングすることができるため、Lex LugerはドラムをサンプリングしてSnoop Dogg「Drop It Like It’s Hot」The Clipse「Grindin’」のようなドラムがメインの音数の少ないビートを作っていたという(BandLabのブログに掲載のインタビューより)。その後MPCを買ったというので、恐らく元々はサンプリングでのビートメイクに取り組んでいたのだろう。バキバキの打ち込みトラップのイメージが強いLex Lugerだが、ブレイク後もScHoolboy Q「Grooveline Pt. 1」The Underachievers「Melody of the Free」などではソウルフルなネタ感強めのビートを制作している。サウンドパックを使ったビートメイクも以前から行っていたようで、The FADERのインタビューでは「Drumma Boy(※)のドラムキット(ドラムに特化したサウンドパック)は俺の人生を変えた」と話している。

このようにドラムキットを使う側だったLex Lugerだが、ブレイク以降はドラムキットを使われる側になった。Lex Lugerは先述のKanye West「See Me Now」の制作時にJay-Zと会い、「君は今最もホットなプロデューサーで、誰もが君のドラムを欲しがっている」と言われたとカナダのメディア・D’arccのインタビューで語っている。このJay-Zの発言からも伺えるように、2010年代初頭は多くのプロデューサーがLex Lugerのドラムキットを入手してビートを制作していた。しかし、この頃のLex Lugerはドラムキットを正式にはリリースしていなかった。巷に溢れ返っていた「Lex Luger Drum Kit」は、Lex Lugerプロデュース曲から切り取ったものやLex Lugerが使ったものと同じサウンド、もしくは別人が似せて作った「Lex Luger Type Drum Kit」だったのだ。第三者からするとそれでいいのだろうかと思ってしまうが、Lex Lugerの非公式ドラムキットによってトラップが広く浸透していった部分も否定しきれない。

長らく非公式のドラムキットが出回っていたが、2016年には初の公式ドラムキットをSpliceでリリース。2020年にはBeat BillionaireとのタッグでTrapped In The Middle (Drum Kit)を、2021年には単独でのドラムキットをBandLabからリリースした。

誰もが欲しがるドラムの持ち主であるLex Lugerは、多忙を極めた2011年頃の生活についてThe FADERのインタビューで「自分よりも大きな存在になりたいと思っていたので、10倍はハードに働いていた。寝不足で気が狂いそうになって、ただただ疲れていた。ビートもクソになった。パフォーマンスもできなかった」と振り返っている。また、Lex Lugerは同インタビューで薬物・アルコール依存症との戦いについても語っている(なお、適切な施設への入院を経て現在は依存から抜け出したそう)。トッププロデューサーのハードな働きぶりの陰には、こういった負の側面があったのだ。状況を改善して家族と共に過ごす時間を増やすべく、Lex Sugerは一時期音楽制作から距離を置いた。そのこともあり、近年は全盛期ほどプロデューサーとしての活躍は見られなくなってしまったが、そのドラムはサウンドパックという形でこれからも多くのビートで使われていくはずだ。


Young JeezyGucci Maneなどのプロデュースで知られるメンフィス出身のプロデューサー。2000年代のトラップを代表するプロデューサーの1人。

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