なぜ会社(監査法人)を辞めて世界一周するのか?
初めまして!古作(こさく)と申します。
今回Noteに書きたいことは、「なぜ、会計士である私が会社(監査法人)を辞めて世界一周をするのか?」ということです。通常取りえない様な選択肢を、なぜあえて取ったのか?について語っていきたいと思います!
①自己紹介
本題の前に、まず、簡単な自己紹介をさせてください。
・古作 祐真(こさくゆうま)と申します
・生まれは日本、育ちはシンガポール、高校のタイミングで日本へ帰国
・慶應大学経済学部に入学し、体育会と悩んだ末、公認会計士になることを決意
・大学3年次に公認会計士試験2次試験に合格
・大学4年次に会計士受験生の交流サークル「ケイアカ」を創立
・大学卒業後、KPMGあずさ監査法人のグローバル事業部に入所
・5年目で監査DX部署に異動、ビッグデータ監査や監査現場用のSaaSプロダクト開発に従事
・趣味はゴルフで、ハマっていた時は年に52回コースでラウンド(笑)
監査法人のキャリアを着々と歩んでいたはずの私が、何故、突然辞めて世界一周するに至ったのか、月並みな考えではありますが、その経緯を話していきます。
②漠然としたキャリアに対する不安
当時、社会人1年目の自分は、何ら変わらない普通のサラリーマンでした。新卒で配属されたチームはメンバーが3,40人いる大規模エンゲージメントで、残業も多くかなりの激務でした。
飲み会も週3-4くらいあったので、仕事が終わったら飲みに行って、深夜タクシーで帰宅する毎日を過ごしていました。1年目の記憶は、正直ほとんど飲み会しかありません(笑)
ただ、漠然とした一つの、途轍もなく大きな悩みがありました。
「このまま、この会社で働き続けていいのか」
私は新卒で監査法人に入社しましたが、正直監査法人に入るときから、「いつか辞めるんだろうな」とはぼんやりと思っていました。しかし、何も手掛かりのないまま、毎日が刻々と過ぎていきます。
「自分は、何かを成し遂げたい。だけど何になるんだろう」。そう言葉にならないモヤモヤだけを抱えたまま時が過ぎていきました。
振り返れば、そもそも公認会計士を志したきっかけも、「大学生活に何か目標が欲しかった」からという理由だったので、会計士という仕事自体に興味をそこまで持ったわけではありません。
ですので、当然会計や監査に元々興味を持っているわけでもないのです。
ただ、現状にはそこそこ満足はしていました。所属している監査チームは良いメンバーだし、仕事も難易度も高く、やりがいもかなりあります。ですので、何か積極的に、この環境から脱しようと努力する必要もありませんでした。ただ、何か漠然とした「不安」が常に心を過ぎっていました。
③恩師からの一言
そうこうしているうちに、とある転機が訪れました。
それは、監査法人のリクルートイベントの帰りでした。当時僕は監査法人のリクルーター(採用担当)としてそのイベントに参加していました。
帰りに、とある恩師に「飲みに行かないか」と誘われました。久々の再会だったので、近くの居酒屋に飲みに行くことになりました。そこで言われたのが、
「古作は全然やり切れていない。もっと泥臭く生きないと。」
という言葉でした。
当時の自分では一生懸命やっているつもりでした。監査法人で残業も沢山して、難しい論点もこなして、色んな状況を乗り切ってきたつもりでした。しかし、客観的にはまだまだ、という厳しい評価でした。
正直悔しかったです。一生懸命頑張っているにもかかわらず、正直「何でだよ」と最初思いました。しかし、分かっていました。恩師も20代は死に物狂いで頑張っていたことを。そして、それと比べると自分は全く努力していないことを。
「このままだと、自分が腐っていってしまうのではないか。本当にやばい…」
そこから、自分で何かを成し遂げなくてはならない、という心が一気に芽生えました。その当時突き動かしたのは考えというよりも焦燥感に近かったかと思います。
そして、何かを思い立ち、まずは情報収集をし始めました。当時は日本公認会計士協会の準会員会幹事と、法人のリクルーターという立場がありました。
ですので、準会員会幹事では他法人や独立開業の話を聞き、自分の監査法人内では懇談員として参加しつつも、就活生に話すパートナーの話を隣で聞きながら、監査法人のキャリアについて学びました。
しかしながら、どれを聞いても自分の中ではいまひとつピンとくるものがありません。焦りがドンドンと増していきます。
④転機
社会人3年目に差し掛かるときに、転機が訪れました。準会員会の活動の延長線上で、東京会青年部のCPA TALKS 2018の手伝いをする運びになり、起業家 Voicyの緒方さんの講演を聞いていた時のことです。
『監査法人を休職して世界一周をした後、EY NYに入社した』
『迷ったら面白い選択肢を取ればいい、世界一周もその一つだった』
https://www.youtube.com/watch?v=hjyZjgF8nqM
何だこの面白い人は、と思いました。
当時は上の空で聞いていましたが、「バックパッカーをしたら何かあるのだろうか」という思いが、ふとこみ上げてきました。
その直後、たまたま会計士の有志が集まる「ユメオト」というイベントに参加し、すぐに自分の考えていることをアウトプットする機会がありました。
「例えば、世界一周してみたらどうだろうか。」
多くの会計士の先輩方にこの質問をぶつけてみました。すると、意外と良い反応があることに気が付きました。そこから自分の意識が変わっていったのを覚えています。
「何かきっかけを得るには、飛び込むしかない!」という気持ちになりました。
そんな思いが先行していく中、『LIFE SHIFT』という本を読んでいた時のことです。人生100年時代にどのように生きるかが戦略的に記されている名著ですが、どうやらそこにも、『マルチステージの時代を生きることが大事』、『エクスプローラー(世界を探検する)としてのステージも考えられる』と書かれていたのです。
「名著もそれを推奨している」、そのことにビックリしました。そこからますます自分のやりたい度が増していきました。
LIFE SHIFTでは、このように紹介されています。
そして、たまたま、今の相棒の智博君に、飲み会でその話をしたら、「面白いですね!」という反応をしてくれて、気づいたら一緒に行くことになっていました(笑)
そこで気づいたことは、ひたすらアウトプットし続ければ、その人の意思は助長されるということです。
はじめは何無しに考えていた一つのアイディアですが、人に話すことで、段々としなくてはいけないと考えるようになったということです。
多分、自分がその夢を人に話さなければ、絶対に勇気を出して会社を辞めてまで世界一周の旅に行くことはなかったと思います。アウトプット正義。
⑤今の会社(監査法人)に残るのか?海外駐在との葛藤
そして、監査法人の直属の上司に、「実は世界一周をしたい」と内心をぶっちゃけて相談しました。正直、「何考えているんだこいつ」という冷ややかな反応をされるかと思ってはいましたが、そこまで反応は悪くありませんでした。
そして、ある日、懇意にして頂いているパートナー(上司)から突然電話がかかってきました。
「ロンドンに行かないか?」
ビックリしました。グローバル事業部を希望して入社し、一番夢見ていた海外駐在。それが僕のキャリアの選択肢の中に突如現れてきたのです。海外生活も仕事も両方手に入れられる。まさに青天の霹靂。
正直、めちゃくちゃ葛藤しました。ロンドンの金融街で働く自分の姿を想像し、どちらを選択するのが一番いいのだろうか、と毎晩自問自答しました。
しかし、悩みに悩んでいる中、ふと、僕のモットーを思い出しました。
「人生一度きりだ。チャレンジをし続けたい」
ありきたり言葉ですが、「人生は一度きり」。20代残り僅かしかない中で、やるべきことは、世界一周しかない、と思いました。
勿論、海外駐在もチャレンジだと思います。ただ、働くところも、住むところも、働く期間も、仕事内容も決められています。海外駐在は手段であって、目的では無い。監査業務をやることは変わりはないのです。
「海外駐在という手段を取ることは、30代、40代でもできるはず。だが、世界一周でバックパッカーは今、この20代のタイミングでしかできない!」
そして、5年間勤めた監査法人をついに辞めることを決心しました。最終的には「古作のやりたいことをした方が良いよ」、と強く後押ししてくれました。僕の上司には感謝しかありません。
正直実感は全くないですが、今からできるチャレンジに心からワクワクしています。
⑥今後何をするのか
さて、世界一周で何をしてこようかというと、まず、各地のいろいろな人と触れてきます!そして、現地の状況をSNSで沢山発信していきます!
SNS発信には正直不慣れな自分ですが、1年間でどこまで自分のスキルが上がるか楽しみです。
「公認会計士をもっと身近に」をモットーに、会計士業界の方は勿論のこと、会計士を知らない人も楽しめるようなコンテンツを、世界の各所を巡りながら発信していきたいと思います。
アウトプットし続けることが大事と学んだので、毎日投稿を心掛けます!
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また、LIFE SHIFTにもこの様に書かれています。
受け身の期間にせず、能動的に、且つ計画的にアウトプットをしていきます!
そんな古作を是非応援してください!
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