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須須(すず)神社

正月早々に発生した能登の地震の被害を見て胸が痛みます。親戚が石川県に多いですし、能登にも何度か足を延ばしましたが、古代史好きの私にとって能登は、人情味や懐かしさを感じさせてくれる特別な場所です。
特に能登半島の先端にある「須須(すず)神社」は特に思い出深いです(全身を蚊に刺されたし)。社伝では崇神天皇の時代の創建で、要するに「神社のなかでもとてつもなく古い」のだと思います。それも当然なことで、日本海に突き出した半島の先端部分は航海者にとってとりわけ特別な位置にあります。ここに到達して一変する風景にあおられた船乗りたちは、ここで必ず気分を変えることになり、海の神への思いを馳せたでしょう。ここの神はたぶん海の神様ですが、この神社は祭神が複数います。もとは一つの神様が祀られていたかと思います。

神様の性格

この国は八百万の神の国ですが、個性的な神様がたくさんいます。この時期は神社に参拝される方が多いでしょうが、参拝したらそこで祀られている神様の名前くらいは知っておいて、できればどのような性格の神様かを想像しながら参拝したら、初詣がもっと楽しくなると思います。
たとえば、海の安全の神様といえば、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)厳島神社(宗像三神)やワタツミの神など。
山の神としては大山津見神(おおやまつみのかみ)。
雷の神として天神様。菅原道真も天神とされますが学問の神様としての方が有名です。
疫病の神は「疫病神」という言葉のとおりで、あまり歓迎されないのですが、疫病を鎮める人格神としては素戔嗚尊(牛頭天王)あたりでしょうか。
川では川ごとの神様がいます。私が住んでいる神奈川県の一之宮は寒川神社ですが、祭神はサムカワヒコとサムカワヒメで、おそらくは相模川の神様です。

もっとも古い地震の記録

このとおり自然現象や自然地形に関わる神様は多いのですが、地震の神様もいたのかどうか。
日本書紀では推古天皇のとき(西暦599年の5月)

地震が起きて建物がすべて倒壊したので、全国に命じて地震の神を祭らせた。

と書かれています。

全ての建物が倒壊したというのは、当時の首都があった飛鳥地方周辺だけなのか。全国に命じて、とあるので畿内地方一体が被害を受けるような大規模な地震だったと思われます。
倒壊した建物の多くは行政機関か有力な氏族の持ち物だったでしょう。
この時代ではまだ二階建て以上の建物は少なかったと思いますが、巨大地震に対する耐震性は建築技術上の経験値はまだ未熟なはずです。
だとすると、支配層にかなりたくさんの犠牲者が出たでしょう。
当時の建築物の耐震構造では震度5くらいでも倒壊したでしょうか。
ここで気になるのは「地震の神」はどんな神かということです。日本書紀では神様を特定できるような神の名があまり出てきません。
日本書紀の冒頭ではかなりたくさんの神々が登場しますが、それらのうちの特定の神を祀ったという話がないのはなぜだろうと思います。
天武天皇と持統天皇が広瀬と龍田の神を祀ったという話はいくつか出てきますが、そのくらいでしょうか。
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/1665/files/kenkyuhokoku_148_03.pdf
でも、全国で祀らせたというのは、特定の神様の名前をあげて、これこれの神を祀れ、と命じたのか、それとも、それぞれの地域ごとに地震の神というのがいるだろうからそれを祀れ、といったのかがわかりません。
巨大地震なのに、記録された文字数はほんのわずかなのです。

古代の神のイメージは現代と違うのか

もしかすると、神様というのはすべて地震を鎮める力があるから、だれかれ構わずそのあたりの神様を祀れと命じたのか。

もしかすると、推古天皇の時代の神様現代日本人がイメージする神様とでは、どこか根本的なところで違いがあるのかもしれません。
特定の名を持たない「地震の神」という存在が、推古天皇の時代には存在した可能性もあります。
現代で地震の神と言えば、鹿島神宮に要石(かなめいし)という石があり、この石が、地震が起きないように大地を押さえてくれている、といった信仰もあるようで、これに関連して鹿島神宮の祭神であるタケミカズチの神を地震の神と考える人もいるようですが、記紀においてはタケミカズチが地震と関係している様子はうかがえません。

ともあれ、地震の神様として自信を持って言えるような神様は思いつかないのです。

自然現象そのものが神だった

古代においては人格を持った神は存在していなくて、地震を起こす神、風を起こす神、雨を降らす神、海の天候の神、山の天候の神、のように自然界を動かす自然の原動力を神として感じていたような気もします。
だとしたら、社殿を構えて神様を祀るのではなく、海、山、川といった場所で祭祀を行うのが自然ではあります。つまり、神社という建築物はこれより後の時代に発生したと思われます。
おそらくお寺が普及した後に、仏教に対抗して作られたのが神社だと想像します。
須須神社も、もともとは近くの山で祭祀が行われていて、そのあと山麓に社殿が立てられているので、ある時期までは<なんとなく海の自然をつかさどる神>みたいな感じだったでしょう。
だとすると、現代のような人格的特性を持った神と言うのはいつごろから生じたのか?
早くて奈良時代あたりかな。とも思います。
祭祀に国家が関与するようになって、神の存在を中央政権に目立ちやすくさせる必要が生じて、やがて神に対するイメージが変化していったのではないか。
悪い言い方をすると、国の補助金が欲しくて神社を立てたのではないか。それがいつしか神のイメージを変えてしまったという妄想も生まれてしまいます。
2024年の大河ドラマでは平安時代が舞台となりますが、そのあたりのところを表現してくれるとうれしいです。
ムリかなあとは思いますが。

ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 <(_ _)>