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【ラグビーメモ#1】「君たちはなにをめざすのか」徳増浩司 ベースボールマガジン社

「君たちは何をめざすのか」
ラグビーワールドカップ2019が教えてくれたもの


ラグビーワールドカップ2019年で「心に火種の着いた青年達」への問い掛け。
決して我々おぢさん達へのものではない。

本の紹介の前に42歳のおぢさんである私の話を。
この本にある「君たちは何をめざすのか?」

実際に21年前、21歳の私時に心に着いた火種。
20年後の2019年ラグビーワールドカップ釜石開催で果たされた。
(しかしそれは終わりではなく始まりでありましたが)

まさにそれまでに数多くの方に出会い、教えていただき、育んでいただき、叱咤いただき、時には批判もいただいてそこに至った。

著者の徳増さん。
名前が同じ「こーじ」であることも共通点であるが、
間接的にその人生の姿のお世話になっている。

2002年、大学卒業を控えた2月。
大学の卒論を書き終えた青年・早川こーじーは、バックパックにラグビースパイクを入れてイングランド・オックスフォードに旅立ちました。
当時、22歳。

頼ったのはまだ一度も顔を合わせたことのない先輩。
茗渓学園ラグビー部を卒業し日本ラグビー協会の職員を経て、ウェールズ、オックスフォードを渡り歩いていた長谷川仁さん。

上記の経歴で徳増さんとの関わりはわかる方にはお分かりいただけるだろう。

仁さんは、「釜石の論文書きました!、本場の地域スポーツクラブを体験し一緒にラグビーしたいっす!」という、気持ち先行の大学生を兄弟のように受け止めてくれた。
諸々の手配、オックスフォードでの面倒を見てくれた。

「本場の地域スポーツクラブでラグビーしたいんです」
という私の思いを叶えてくれた。
地元のゴスフォードオールブラックスというチームを紹介いただき到着その週末から仲間に入れてもらい、試合後のパイントのビターを飲み明かすチームメイトにしてくれた。

少なからず、仁さんには「徳増イズム」が働いていて、
直感的に僕を受け入れてくれたのだと改めて思った。

そんな私が仁さんに恩返ししなければならなかったこと。
まさに釜石への、ラグビーへの、21歳の想いをいつか少しでも実現することだ。
そう決意し大学4年生の2ー3月をオックスフォードで過ごし、4月から社会の大海原にでた。

振り返り、すこしは果たせただろうか、、、と思うが。

より思うのは、私がこの数年で出会った青年達に
「君たちは何をめざすのか」
を一緒に考えながら歩く存在でいたい、
私にとって仁さんがそうであったような存在でいたい、
ということであります。

まだすべてのエピソードを読めていませんが、
この珠玉のエピソードがつまった一冊を手に取り、
そんなことを思うきっかけをいただきました。

続・君たちは何をめざすのか 読書感想  「受容」


徳増さんの著者。
ラグビーのコアバリュー
「品位」、「情熱」、「結束」、「規律」、「尊重」の5つに加え、

「受容」
を加えてはどうかというサジェッション。

とても腹落ちしました。

2019年10月13日、正確には前日の10月12日の午後から夜。
釜石でのカナダーナミビア戦の開催はほぼあきらめざるを得ない状況。
現地に迫る危機と関東での被害。
開催の可能性を信じることすらできなかった。

その時の感情はまさに「受容」と言えたと思う。

開催しないことへの批判や物言いはあるだろう。
しかし、現地にいて、前日ボランティア活動で意志決定までの悩みを感じ、関係者ひとりひとりの判断に誤りはないと確信していた。
何があっても自分は「この判断は間違いではなかった」と伝え続けようと決心した。
それはきっと、「受容」だったのだろう。

沖縄から熊本会場に来た少女の話。
試合中止を受け止めた岐阜の少年。

いい話、だけではなく彼らの決意がそこにあったと思う。
ひとついい言葉をいただきました。

ラグビーワールドカップ2019
試合結果やプレーの記憶だけではなく、こうした話をしっかり残して行くのは本当に意味があると実感。


8月11日追記 読み切れていなかった終章。



これは徳増さんからの未来への手紙であり、もし同じ思いをすることがあれば読んでほしい、という先人の親心がなす章だと理解した。
順不同で気になった点を列記します。

・2003年にはじめて「ラグビーワールドカップを日本で開催したい」と真下昇氏がプライベートな思いを公で発言。
・1987年の第一回ラグビーワールドカップ開催に際し日本がIRB理事国になったこと、そこに金野滋氏の存在が貢献者としてあったこと。
・招致活動のスタートは、8ー100、0ー98の現実から。ロビー活動と同時にやらねばならないことも。
・IRBボードメンバー国へのアプローチの限界と、アジアラグビーの代表であるという気づきからの意識のブレイクスルー。
・日豪連携から始まり。昭和の経済連携の構図を想起。
・2015年イングランド開催、2019年日本開催セット議論によるイングランド協会との連携。
・2016年、2020年オリンピック・パラリンピック東京招致活動の存在。
・2009年7月28日のIRB理事会での2015年イングランド開催、2019年日本開催の決定。
・その2ヶ月後の2009年10月の7人制ラグビーのオリンピック競技への採用決定。
・ジョン・カーワンが本気のひとり「ハカ」で肋骨を折ったこと。

2011年大会招致を後一歩で逃し、その学びで実現した2019年。
もし2011年が日本開催だったらどうなっていたのだろう、少なくとも釜石開催はなかったのは確実だろうと思うと歴史のボタンがどうかかるかは本当にわからない。

先人達の取り組みの轍の上を歩ませていただき、また新たなレールを敷きながら進んでいく。

まさに、
「私たちは何をめざすのか」

を意見交換しながら新たなレールを一緒に気づいていきたい。

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