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始まりは「運」と「縁」

2021年2月1日に、株式会社ザスパ、いわゆるJ2クラブ「ザスパクサツ群馬」の代表取締役という大役に選任されました。

私のキャリアは、いつもドタバタで、ある意味「運任せ」なところがあります。
大学院では、もともとは研究者のキャリアを志向していたことがありました。
でも、たまたま大学院の研究室が、リクルートのインターネット関連の新規事業チームと連携しており、そこで「縁」があって、リクルートに入社させていただくことになりました。
当時、実は結婚も考えていて、結婚資金を貯めるために、27歳で社会人というキャリアに転身した、というところがありました。

リクルートでは、新規事業とか、会社を作ったりとか、そういうことをずっとやってきて、とにかく充実した12.5年を送っていました。
このまま楽しくやれると思っていた2008年、リーマンショックが襲来しました。

多分、僕は天狗になっていたのでしょう。それまで自分は仕事でうまくいっていると勘違いしていた、そこにリーマンショックが襲いました。
当時、リクルートグループは、グループ全体で6000名退職するという事態に陥りました。

(もう一度、僕は経営を学びなおさないといけないな)
そう思っていた時に、ちょうど野村総研にいた知人に色々と相談をしたら「うちにおいでよ」と言われました。
これがまた「運」と「縁」です。
野村総研では、経営コンサルタントとして、新規事業の支援や、後継者育成や、経営者のコーチング、事業再生、ターンアラウンドなどを経験させていただきました。
多くの経験者の方とお仕事をして、随分学ばせていただくことが多かった、これは本当に「運」が良かったと感じています。

しかし、ある時に、
(あれ、これはおかしいぞ)
と思ったことがあります。

少子高齢化が進む中で、結局日本企業の経営コンサルティングをすると、全てが
「シュリンクする日本中心の経営から、成長するアジア市場にグローバル展開する」
という経営シナリオになってしまうんですね。

そういった経営コンサルをすることで、確かにお金はいっぱいもらえる。
でも、これって、お金をもらいながら、日本をダメにする方向に自分は加担してしまっているんじゃないか?
自分の子供たちが、日本で働けないようになる社会を創造することに、自分は手を貸してしまっているのではないか?
という恐ろしい疑問が自分の中に沸き起こってしまってきたのです。

最初は小さな疑問のささやきが、仕事をしている中で、より大きな叫びに変わって行きました。
(お金はもらえるけど、こんな仕事を続けていてはいけない)
そう思い出していたのです。

そんな時にたまたま出会ったのが「スポーツビジネス」です。
「モノからコトへ」
と当時言われていた中で、やはりエンタテインメントの領域は、成長可能性があるのではないか?そう感じていました。

ゲームやスポーツ、音楽やキャラクタービジネス。
一時期メディアファクトリーというポケモンの版権やゲームを扱っている会社に1.5年出向をしていて、当時は「日本発のコンテンツを欧州に売り込もう」というビジネスをやっていましたので、「エンタメを海外に輸出する新たなビジネス、あるいは海外の人が日本に来るインバウンド型ビジネスができれば、日本の将来の産業になるのではないか」と考え始めました。

たまたまスポーツが好きだった私は、そこでスポーツビジネスのセミナーなどに参加して勉強をするようになりました。
成熟社会に先に入りつつある欧州では、プレミアリーグやラ・リーガなど、サッカービジネスが非常に成長を遂げていることがわかりましたし、そこでの放映権が世界中に売れて大きなビジネスになっていることがわかってきました。

また、スポーツ業界は、40代半ばから、他業界から転職して活躍されている方が何人かいて、そういうキャリアの転身の仕方もあるのか、と勇気付けられたりもしました。

また、ちょうどスポーツ庁が立ち上がる時でした。
私は当時自分で勉強したことをまとめて、スポーツ庁に提言する機会に恵まれました。

「地方創生、新たな輸出型のビジネスに、スポーツは有望だ」
一言で言うと、そういうことを提案させていただきました。

当然、この頃には、スポーツ業界に転身しようという気持ちにはなっていました。
しかし、当時のスポーツ業界は、思ったよりも転職の壁が高い。
今のように応募もしてなかったし、知り合いを通じて無理やり応募したら、
「石井さんのような年齢と年収の人、とてもスポーツ業界では雇えませんよ」と言われました。
書類で落ちたのも含めると、7社ぐらいは連続で落ちたと思います。
これは落ち込みました。

そんな中で、ある人を通じて「あるスポーツ団体のオーナーにあってほしい」という話が来ました。これは「縁」ですね。

毎年9億円の赤字が出てしまっている、女子プロ野球リーグのNo.2、事業理事のオファー。
(一か八か、これにかけてみるしかない)
そう思って、転職をしました。

女子プロ野球リーグは、それはそれで大変でした。
観客が500人程度しかいない日もあれば、スタッフが1人とか2人の球団もあります。
その人員で全国をハイエースで荷物を運んでまわり、球場を設営して、チケットを売って、グッズを売って、スポンサーをとって、公式戦をやるわけです。メディアをよんで、広報対応もします。スポンサーアクティベーションもします。

私とてNo.2なんて言ってられません。
昼はスポンサー営業に、自治体周り。
夜は深夜の駅前の飲み屋を回って、ポスターを貼らせてもらい、ちらしを配布し、チケットを売り。

公式戦の前日はそうじ、設営。終わったら撤収、そうじ。
会計をしめて、銀行に入金。そして移動。

当然、選手もいれて、全部の仕事をやらなければいけません。
ただ、おかげでスポーツビジネスの、ほぼ全部を体験することができました。
ただ、今考えると、失敗ばかりです。
イベントも失敗があったし、オンラインサロンも失敗。放映権も1年だけはスポナビライブに売れましたが、スポナビライブも無くなってしまいました。
24時間、365日の仕事が続き、体力の限界を感じ、辞任いたしました。

そんな私を拾ってくれたのが、スポーツマーケティングラボラトリーという会社です。これは「運」であり、「縁」です。

スポーツビジネスのプロが多いスポラボでは、がむしゃらにただやってきた女子プロ野球の仕事の経験を整理し、振り返るよい機会になりました。

そんな時に、たまたままた運があり「ミクシィ」という会社が、スポーツビジネスに本腰を入れるらしい、人を探しているらしい、という話をもらいました。これも「運」です。

ミクシィはちょうどスポーツ領域のビジネスを木村社長が立て直すころで、人が集まってきているところでした。
クラブスポーツのビジネスという、正面からのスポーツビジネスに、ミクシィは挑戦しようとしていました。
千葉ジェッツふなばしの経営統合とアリーナプロジェクト、FC東京の経営統合と成長、こういった夢のような仕事に携わることができました。
本当にこのことには感謝をしています。
また、この過程を通じて、クラブビジネスの経営の詳細なところについて、学ぶことができました。非常に運が良かったと言えます。

そんな中で、ある人の紹介で「ザスパクサツ群馬の社長をやらないか」という話がきました。実は、一度話が来た時に、ちょうど私はFC東京の中でグローバルビジネス展開のための本部を立ち上げ、本部長に就任したところでした。
せっかくの紹介でしたが、自分で事業を立ち上げ、本部長になったところでやめるなんて不義理はできないだろう、と思い、実はこの時、しばらくして別の2人からもやらないかとお誘いを受けたのですが、断らさせていただきました。

それから1年、再度また別の方から「実はザスパクサツ群馬の社長職にいい人を探している」と言う話が来ました。
私は良い社長さんがついたと聞いていたので、おかしいなと思いました。
(どうしてまた人を探しているんだろう)
というのが素朴な疑問でした。

当時は実はFC東京の経営統合の話が佳境、発表するかしないかのギリギリのタイミング。当然目の前のFC東京の話の方が重要でしたし、経営統合後のことも山積みであったので、基本は断ろうと思っていました。

私はてっきり、成長のためのアイディアに困っているのかなと勘違いをし、ザスパクサツ群馬の現状を簡単に調べ、またもや10Pほどの経営改革案メモにまとめ、プレゼンテーションをさせていただきました。
その後に「こう言う改革ができる人を推薦できますよ」と回答をしました。

数日後、連絡があり、「どうしても石井さんにやってほしい、引き受けていただけないか」と言われました。
「どうしてですか?」と質問したところ、
「実は現社長が辞任をします」と言われました。
理由は明確にしていただけませんでしたが、シーズン中に社長が辞任すると言う時に真っ先に考えたことは「これは選手や監督、スタッフが大変だろうな」ということでした。

私の中では相当悩みました。
群馬のことは調べれば調べるほど、確かに大変なクラブ・・・。
私自身もFC東京をこれから育てていかないといけないのではないか?という責任感。やめていいのか?という自問自答。

もう一方で群馬の立地や人口、経済的なポテンシャル、アマチュアサッカーが盛んな地域、東京まで新幹線なら2時間という近さ・・・
群馬が持っている可能性、ザスパならこうやればもっと成長できるんじゃないか?というアイディア。
そして何よりも、一度断ったのにまたいただいた「社長」という重職のチャンス。

これは逆説的な「運」かもしれませんが、当時、私がスタートしていたグローバル推進事業は、コロナの影響で、完全に事業が凍結してしまっていました。
東京のクラブだからこそ、海外にもっとビジネスを展開すべきだ、という私の甘ちゃんの夢は、完全にコロナに打ち砕かれてしまっていた。
このことは、ある意味自分が移籍してもいいんではないか?という考えに変わるチャンスだったといえます。
FC東京を伸ばすためのチャレンジが、結果として失敗に終わった。
だったら、出直すことも必要なのではないかと。

そんな中で、群馬にはまったくご縁はないのだけれど、自分というものが役立てるなら。
これまでの経験がそこで活かせるなら。
僕みたいな人間が社長になって、少しでも役にたつ人、喜ぶ人がいるなら、どこだって行こう。
そこで精一杯頑張ってみよう。

そういう考えに、変わっていきました。

そんな時に、2021.11.28 J2優勝、昇格を決めようかというジュビロ磐田との対戦を見にいきました。
https://www.youtube.com/watch?v=DhzH2NuwuA0

ジュビロ磐田がほとんどのボールを持つ展開。
何度失点するか、と思ったか。
勝って優勝を決めたい磐田。
降格がかかっている群馬。

ザスパの選手たちは、必死で守っていました。本当に身体を投げ出して、最後まで走りきって、猛攻に耐えて・・・スコアレスドローで90分が終わった時に、そのまとまりと最後の粘り強さに、感嘆すると共に、ここまで頑張っているのに降格争いになってしまうクラブを、なんとかできないものか、という思いがふつふつと湧いてきたのです。
(後日談ですが、大槻監督もこの試合は観戦されていたそうで、「このまとまりと情熱があるなら、やれるんじゃないか」という感想を持ったそうです)

この段階で、私の気持ちはもう、群馬にあったんだと思います。
こういう試合に巡り会えたのも、「運」だと思っています。
このクラブで、覚悟をもって、トップをやっていこう。
このクラブのために、応援しているサポーターのために、スポンサーのために、地域のために・・・

(まったく群馬と縁がない人だけど、やれるんだろうか)
この不安を多少なりとも解いてくれた映像が、youtubeにあります。
それは、ザスパの創設の際に関わっていた、大西さんの映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=9bdxugtVW2I&t=84s
https://www.youtube.com/watch?v=1SEO09Rqpb8

私は大西さんとは、お会いしたことは、ありません。今回の話が来なかったら、この映像も、人生において見なかったかもしれません。
この映像を見て、こんなにザスパのために、他の土地から来て、身を張った方がいたんだな、ということに、心が震えました。
同時に、群馬に地縁がないひとだからこそ、いろんな人やことやものをまとめたり、つなげたりできたのかもしれないな、と思ったりもしました。

僕は大西さんのような偉大なトップになるのは、到底無理でしょう。
しかし、大西さんのような方がいたんだな、ということは、私の勇気になっています。
これもまた、「運」と「縁」かなと思っています。

大西さんが映像の中で、サッカーをしている風景を見て「財産や、財産」と語るシーンがあります。
これを見て、私はクラブの目指すビジョンとして
「群馬に関わる人たちが、充実した時間を過ごしている」
ということを、掲げさせていただきました。
サッカーを通じて、人々が充実した時間を過ごしている。
そんな未来が創れたら、どんなに素晴らしいことだろう。
そんな風に思っています。



さて、ちょっと長く書きすぎました。
そろそろ終わりにしたいと思います。

どうやら私は、10代目の社長だということだようです。
ちょうど20周年、10代目という、なんだか単なるごろ合わせのような時に社長にならせていただきましたが、それも単なる偶然ではなくて、「縁」なのだろうと。
一つのクラブの成長の節目を作る。
それも今ここに巡り合った、私の役割なのではないかと、勝手に思っています。

20周年を迎える2022シーズンのスローガンは、「Beyond THESPA」。
まさに、私自身が私をこえて、クラブもこれまでの歴史を超えていく、そんな素敵なスローガンをいただいたなぁ、と思っています。

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございます。
どうぞみなさま、これからよろしくお願いいたします。


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