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肉親の死で気づくお金の概念?

こんにちは、今日もご苦労様です。

さて、どなたにも親がいるのですけれども、少し年齢を重ねて参りますと親の体調が芳しくなくなったりして参ります。

親の近くに住んでいたり、親と同居していたりすれば、親の体調をおもんばかっての対応というのが出来ます。

が、遠く離れているところに住んでいたり、親との関係がよろしくない場合もあったりすれば、親の身体を実際に大慈に出来ない場合もあろうと思います。

それでなくても今時は、コロナ対応が全世界的に浸透しているでしょうから制限されることも多くあります。

かく言う私も、父親が数年前から体調を崩してしまい、生まれた時から面倒を見て貰い、親孝行とまではいかなくてもいよいよの時、後悔はしたくなかったこともありまして、できる限りの健康を守るお手伝い的なことはしてきたつもりでした。

人には必ず寿命があり、どんなに拒否しても必ず「死」がやってきます。この世にいるどんな人でも必ず1回は死ぬものとこの世の法則として定められています。

今年父を亡くした時、まさかこんなに早くお別れがやってくるとは思いもしませんでしたが、親を亡くすことの深い深い悲しみを味わいました。父の遺影を見ると涙して、幼少の頃、少年期のころ、青年期と順を追って父との思い出が蘇ってきて、とても泣かずにはいられませんでした。

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父を亡くし、自分の人生を振り返ってみると・・・。余りにもワガママすぎる生き方をしてしまったことに気が付き、後悔も出来ない有様に驚きました。

自我のままに生きて、何一つ社会に貢献することも出来ず、周りの人々に苦労させ、自分の夢も実現させられず、家族に苦労をかけ、悔しい思いをし・・・。

まったく自分の生き様に誇りもナイ状態なのを改めて思い知らされました。未熟な人間のままアラフィフとなっております。

人間の本質は、おそらく地球上にその姿を現したときから今日に至るまでなんら変わることはなかっただろうと思われるのですが、時代が大きく変わるのだからモノの見方も新しくならないといけない、という大きな勘違いが私の内面を占めていた期間がなんと20年以上・・・。

特に、昭和時代に生まれた私たち世代は加速度的に進化していくテクノロジーをまさに目撃し、体験してきた世代です。

子供の頃は、親が好んで聞いていた演歌や民謡、そしてテレビアニメ、ゲーム機など、何もかもが今よりももっと人間くさかったような気がします。

社会全体は、一枚岩のように1つの価値観でがっちりと固められていて、その価値観に恭順を示してさえいれば、大きな失敗もせずに思考力も差ほど使わずに生きられた時代でした。

コロナがもたらした新時代の価値観は、世界から秩序を失わせ始めたように感じます。個人的なことですが、私は父の葬儀にも四十九日の法要にも出られませんでした。そうせざるを得ない状況に置かれ、苦渋の涙とともに父との悲しみの別れを甘んじて受けなければなりませんでした。

そうした悲しみに明け暮れた数ヶ月間があったから気が付くことが出来たのかどうかは分かりませんが、人はその人間臭さの中で生きるのがとても自然なことなんだ、と思い知ったのもつい先日のことです。

人間が思いつくことなんてたかが知れています。人間が出来ることもたかが知れています。一般的には。


人間は、人間臭さの中にあって、人間臭さの中で経済というものを発展させてきたという事実にも気が付きました。

人間臭さ、人間の生活の中にいて、どうせそこからは逃げられやしないのですが、しかし人間の中には未だ明かされず、大多数が体験せず、知らないままの未知の能力もあるはずだ、という思いがあるのも本当です。

とした場合、人間が本当にお金という概念を創り上げたのか、と言う点は甚だ疑問がのこるところです、私には。こんなすごいものを人間が思いつけるのだろうか的な。

人は生まれた時には既にお金という概念が廻り中に浸透しきっているので、アイスを買って貰うとかガムを買って貰うとかの機会、そんな幼少期にお金というものを知るわけで、そのお金というものになんら疑問を持つこともないのです。そういうものなんだと受け入れてしまいますから。

殆どの人はそうだと思います。

お金は本当に不思議です。人々の頭の中にしか存在していないのにもかかわらず、物体として存在しているそのお金を物体として求めている。私もそうですけれど。


そのお金というものの利便性は社会を発展させ、活動的にさせ、高揚させるのですがね。

人体には、気というものが存在していてその気によって生かされているという考え方があるそうですが、そうした気とお金は似ています。

存在していると教えられても、見えないですし、持てないですし、直ぐには理解出来ません。


随分端折ってしまいますが、人間臭く生きることの中に気は存在しているのでしょうから、やっぱりお金も人間臭さの中に存在している気のようなもの。

なのでしょうか?

肉親の死を切っ掛けにして、自分を振り返ったのですが、お金というものの概念1つとっても子供の頃の自分と今の自分が余り変わっていなくて驚きました。


恐らく、この記事を最後まで読む方は殆どいないと思いますが、脳内の溜まってしまったゴミ的なもの、情報はどこかに捨てないとあかんです。この読むに堪えないかもしれない記事は、私の脳内のゴミです。

断捨離断捨離と捨てることを美徳化している世の中です。頭の中も断捨離したらもっと良くなりますね笑


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