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お金と信用の関係性

こんにちは、今日もご苦労様です。

家庭的な変動があってしばらく自宅にいる時間が長かったのですが、明日から自宅を出る時間がしっかりと出来たことで、妻はとても喜んでいる様子です。

亭主元気で留守がいい、という言葉は昭和に流行った言葉と記憶していますが、時代は変わりましてもおうちに亭主はいない方が奥方さまは楽ちんなようですね笑

昨年、コロナ禍が起こってステイホームが叫ばれたとき、おうちにいつも亭主がいることに大きな違和感を感じていた奥方様が多くいたようですが。

気を取り直して今日も参りましょう。

お金とは信用のことです、と色んな人が言っています。とても単純な図式であり、あ!そうか!と理解しやすい一面もありますけれど、お金とは信用のことですよと言われてもピンと来ない人も多いのではないかと思って見たりします。

あなたは、お金は信用ですよと聞いて、直ぐにピンと来るタイプでしょうか、それとも今ひとつモヤモヤ感が残ってしまって実感が湧いてこないタイプでしょうか?

私は、正直申し上げて、そうは言われましてもモヤモヤ感が残ってしまうタイプです。でした。

お金は、社会で提供されているモノやサービスの対価として交換されている概念のことで、紙幣や貨幣という物質とモノではないデジタル上の電子データとしての両面性を現在のところ持っています。

お米を買うにも野菜を買うにもお金と交換することが社会の前提条件になっているというこの「前提条件」がとても大切な意味を持っています。

お金とモノやサービスを交換する、という社会の通念、社会の前提条件を満たした状態を維持させていくのがお金が発明された目的といっても良いのではないでしょうか?

無責任なのがこのブログの特徴でもありますので、私の感覚だけで申しますと、お金が発明されるまえには「物々交換」が経済の主な手段だったという説がありますけれども、私には疑問が残ります。

お金が発明される前の交換の基本は、対価を求めない「自分の手許にはモノがあるから相手に与える」というのが本当だったのではないでしょうか?

私たちの脳の中にはお金の概念が存在しているから、「物々交換」という手段が思いつくのであってお金が発明される以前の人々にはそもそもお金と言う概念がなかったわけですから、欲しいと思う人がいたら単に「与える」という行為しかなかった、と考えた方が自然だと思います。

と思っていたところ、「物々交換」について、割と近代に行われた実際の例がありましたので、ご紹介したいと思います。

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こちらは、るーいのゆっくり科学さんという方の「【ゆっくり解説】人類に幸福と不幸を運んできた神の薬-アヘン-」というyoutube動画の中で解説されていたことですが、

イギリスと清との間で起きたアヘン戦争の直前のことみたいですね。

イギリスで空前の紅茶ブームが起きたとき、清に対してお茶の対価として銀での支払いをしたくなかったイギリスは、インドからアヘンをお茶の対価として物々交換し、インドへは自国で生産した絹織物をその対価として物々交換したようです。

歴史的な観点からも勉強になる部分がありますので、ご関心のある方はご覧になるのもよいと思います。

割と近代でも物々交換という手段で交易を行った事例ですね。

私は知らなかったのでとても勉強になりました。それから国内では江戸期から明治期あたりでアイヌ民族とロシアや幕府との交易も物々交換という手段で行われていた形跡があるようなので、少しハッキリした時点で取り上げてみたいと思います。

個人的に生まれた時には既にお金という手段を使ったものしかなかったので、物々交換という経済手段に今ひとつ実感が湧かなかったのですが、前述の事例を知って、結構ありえるものなんだなと思った次第です。

物々交換という経済の手段にはお金は介在しませんが、ここにも信用が非常に大切になる概念である、ということが分かりました。

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