優しい乱暴 原案小説その4

ひどい二日酔いで、今日も鏑木エリエリレマサバクタニ八十七歳の家です。そこで殺し屋と合う約束です。蟹江の家の時計が壊れているので約束を守れるのか不安だったのです。尋ねてくるのは殺し屋ですけどね、待つ方もしっかりと約束の時間に待っていたいものですから。鏑木エリは突然の訪問に寝間着から先日売りつけられたオレンジのワンピースに着替えて無理に三人をもてなしている。まるで似合っていないのだから売りつけられたのだ、無理をして我々のために喜び恥ずかしさにおどけながら裾の辺りをひらひらするように振る舞っている。老人が乙女ぶっている様は心の闇をかき立てる。由利はこの恥じらう老婆を抱けるかという自問に襲われている。そこに正義の水野知子が登場する。鏑木エリを後ろから抱きしめ、そして手を握り両手を右へ左へ伸ばしふわりと回転してみせる。エリ、恥ずかしいのと耳元で水野が由利を見ながら呟く。頬が少し赤らむエリエリレマサバクタニ。由利は思う。水野、お前が仕掛けたのだ、そんな派手な服を推薦し恥じらわせ年甲斐も無く男を惑わせ、俺は今、グロテスクな心の闇を抱えている。その老婆を抱く姿を想像している、してしまっている。俺を淫行の悪魔に見立て、鏑木エリを救う正義を演じたいのだろう水野、そうだよ、やっちまえと俺にも心の声が聞こえるよ水野知子。
「ねえ、ちょっと派手すぎるなって思ってるの」
「ですよねえ」
「由利さんはどう思う?かわいいですよね?」
「どうかな」
「ほら、ちょっと照れちゃうくらい本気でかわいいと思ってますよね」
「はい」
「ほらエリ様、由利さんがエリ様を好きですって」
「あらま」
「蟹江さんもかしら」
蟹江はにやりと。
「ほらエリ様、蟹江さんもエリ様が好みですって」
「なんだか恥ずかしい」
「けれど素敵でしょう、でもデートの時はもう少し真剣に気持ちを交わしたいでしょうから、こんなシックで落ち着いた色使いの洋服なんてどうかしら」
水野がカタログを開き、鏑木エリの手に。指で視線を誘導しながらカタログを手にした時点ですでに自分の服であるかの様に思わせようという企み。
「シックで黒系だけど,襟のところ、かわいいんです」
なぜか鏑木エリの心が開かれて行く。
「確かにこの襟の形、素敵ね」
老いというものが、グロテスクに感じる事はないか、由利は蟹江に聞いてみたくなった。八十五歳の女の子は椰子の実の女の子なんじゃないかと考えたから。
蟹江が恋人にしたいのはあのバスを待つ老婆だと確信しているのだ。
「蟹江」
「来たみたいだよ」
鏑木エリの家の庭に、男が立っている。黒い。黒い服を着ているからだが、それよりも何か黒く感じる男だ。殺し屋らしいような気がするが、もしも生かし屋がいるとすれば、白か、それじゃ医者だ、もっとモグリの生かし屋だとすれば派手な服を着ているのだろうか、鏑木エリがそうであるように。という事は今、殺し屋と生かし屋が遭遇してるという、人間の真理の状態か。つねに生きれば死があり、死によって生の価値が存在している。
「殺し屋さんですか」
蟹江が聞いて、男はほんの少し頷いた。
「どうぞこちらに」
我々は殺し屋とちゃぶ台を囲む。
「彼女が検索して連絡したんです」
蟹江が水野を紹介。
「本物ですか?」
殺し屋は蟹江の質問に無言でぴくりともしない。
「今まで何人ですか?」
人は嘘をつく時、眼球が左を向く。いや右だったか。殺し屋は左を向いた後、右に訂正しながら、ぶつぶつと口びるだけが動いて何も聞こえない。
「人見知りかしら」
水野は質問と断定の中間の厭味を投げる。
「殺し屋が人見知りなんて三流かもね、社交的じゃなきゃ上手くいかない職業だと思うけど。」
「社交的だと友達になってしまうかもしれないよ」
「友達になったら?」
「殺すのが辛くなるよ」
「でも殺し甲斐があるでしょう」
水野にはすでに殺し屋の心が聞こえてるのだろうか。
「殺し甲斐ってなんだよ」
殺し屋の心を聞いたまま発言する。
「どのようなご依頼ですか?」
殺し屋は全てを無視して業務に徹するつもりだ。蟹江が叶えたい事は殺し屋を雇って人助けを依頼する事だ。どうあがいても業務に徹する事は不可能です。
蟹江が再び質問する。
「本物ですか?」
「これまで四人」
水野には嘘だとバレる。だいたい検索して雇える殺し屋なんて偽物だ。アマチュアだ。ただのイカレポンチだ。蟹江はそれでも真剣に依頼する。
「人を助けて欲しい」
殺し屋はわざとらしく驚いた顔をした。
「殺すのじゃなくて助けて欲しいんだ」
じゃあ誰をだって事になって色々考えたあげくに、鏑木エリを助けるって事になった。鏑木エリを助ける、何から?誰から?考えたあげく水野知子が鏑木エリのストレスであると由利が笑う。
「鏑木エリを助けるために、水野知子の犠牲が必要みたい」
蟹江鳥生が笑う。
「じゃあ、俺は彼女を殺すのか?」
殺し屋は真剣な顔をする。
「助けるために?」
殺し屋はまた真剣な顔をする。
「俺は殺し屋だから」
殺し屋はまたまた、真剣な顔をする。
蟹江が水野を見て笑う。
「殺すのじゃなくて助けて欲しいんだ」
「助けるために殺すんだろ、俺は殺し屋だから」
こいつは何に取り憑かれているんだ、殺し屋じゃないくせに。鏑木エリが毎夜の涙を紛らわす枕元の寝酒のバーボンのミニボトルを一口。少し驚く鏑木エリだが、鏑木エリは水野知子が嫌いではない。二人には好きか嫌いかは問題ではなく時々の退屈しのぎがお互いの目的だと知っている、殺し屋以外はみんな知っている。たとえ水野がならず者を気取っていても。
殺し屋はにやにやしながら水野に接近する。女なら勝てる、腕力で勝てる、まずは腹に蹴り、後ろに倒れ込んだところで二三発顔を殴る、抵抗出来なくなったところで部屋を物色して紐で首を絞めて殺す。あの老婆は俺にありがとうと言うだろうか、あれ、でも依頼したのはあの蟹江という男だ、老婆を助けてくれてありがとうと言うだろうか、でも、あれ、あの蟹江という男は俺に殺すのじゃなくて助けて欲しいと依頼したんだ、殺し屋で生きてやろうって決めた俺にさ。殺さないで助けるために殺す?あれ、なんか混乱してる、俺は混乱してるのか、殺し屋で生きると決めた時からもう混乱してるんじゃないのか。水野はミニボトルを殺し屋の股間におしあてて人質を取る。
「ちんちんちん、人質ちん」
殺し屋は由利に助けを求める様に少し視線を向けた。
「また叶いそうにない」
蟹江は楽しそうだ。
「私を助けてくれよ、殺し屋さん」
上野がそう言ったので小さな旅行はまだ続く事になった。

 殺し屋が加わり、水野知子が生まれて二十歳まで過ごした町に向かった。途中、山道の急なカーブを数回通り過ぎた。小さなバスにかかる抵抗は我々の身体を揺さぶり、水野知子は郷愁に耽る。殺し屋はバスに酔う。由利寿文と蟹江鳥生は下腹部がくすぐられる事を共有していやらしく見つめ合う。なんだか時空を超えていく旅に思える。小さな旅行ではなくなっていく気がしたのか、バスが途中の駅で停車した時、由利寿文は売店で靴下と下着を購入する。それと緊急のためのチョコレートも密かに買った。殺し屋がそれに気がついて少しだけ嫌な予感がしたがすぐに忘れてしまった。何やら軽妙な音楽が聞こえるのだ。
どうやら駅前でイベントが開催されてるらしい。水野知子は便所から直行でイベントへ歩いていく。独特な柄の羽織りを着た長髪の男や女が歯を糸で抜く様な姿で楽器を演奏している。激しくも緩やかでもない音楽は音の洪水の様だ。その音楽に合わせて決まりがある様な無い様な踊りをしている数名がいる。獣が死んでいる姿に見えると蟹江鳥生が言う。由利寿文も真似をして踊ってみる。
蟹江鳥生の周りを一周、水野知子がそれを見て獣の言葉で歌う。蟹江鳥生は昇天を身体で表現してみて大笑い。叶えたぞ、先住民族と精霊の儀式、ちがうだろ、友達とライブに行って盛り上がりたいだよ、じゃあその両方って事でいいんじゃない、そうね、そうそう、何処かの知らない駅のイベントでふたつも願いが叶う。先住民族と精霊ではない由利と水野と、その由利と水野は果たして友達であるのかわからないけれど、蟹江鳥生は、そうそう、と頷いた。蟹江が良いならそれでいいのだ。殺し屋は気取って先にバスに乗り窓から三人を眺めている。由利が手を振って俺らがバスに乗らなかったらあいつ悲しむだろうかと言うので水野は迷子だから怖いんじゃないかなと答え、蟹江は怖いから始まって悲しいのだと考えていた。

 目的地の駅に辿り着いた。バスには3時間以上乗っていたので腰が痛いと殺し屋が言った。三人はそんな言葉をまるで無視して、無視してから誰か優しくしないのかな、共感しないのかな、笑わないのかなと考えたりもしたが、もう町の景色の虜だった。興味が虜だった。殺し屋はもう町に紛れてバラバラになっている。
夕方の少し前、4人は学校に着いた。水野知子が通った学校はもう廃墟になっていて、グランドから眺められる時計は8時半くらいで止まっている。その時が止まっている様子は大いなる運命の時間である様な面構えをしている。グランドの土がからからに干上がり被弾したみたいに見える。
あっちにバス停があってスクールバスで通ってたんだ、時々、タクシーも使ったけどねと自慢する水野知子はここに着いてからよく笑いよく喋る。全く楽しそうには見えないのは、両眼が地中に埋まっていて光を見た事の無い形をしているからだよ、と由利は言ったつもりになり怒る姿を想像していた。殺し屋が小便がしたいなんて言って、由利も水野も小便が漏れそうな感じになり、便所を見つけるが便所もやはり廃墟で心が引ける。もちろん水は流れなかったが、奇妙な虫に遭遇しなかったので良い事にしようと慰め合った。蟹江は三人を遠慮がちに馬鹿にして楽しんでいる。そして、水野知子が高校三年生だった頃の教室に辿り着き、散らかる椅子と机を集め殺し屋が水野知子をどうやって助けるのか相談する事にした。
女学生の水野知子は放課後、教室から夕暮れを見ながら缶ビールを一缶飲む事が日課になっていた。教室でひとり夕暮れをつまみに酒を飲む十七歳の女、なんて見出しでグラビア、私は将来暗黒世界の教祖的モデルになるんじゃないかな、なんて他人事みたいに考えてた時代、だそうだ。ある日、ビールを飲み過ぎてバスの最終を逃してしまった時に、少女の様な笑顔をする老婆がバス停にいて、水野はもうバス来ませんよと教えた。老婆は暗くなりかけた空を見て、たぶん星を見つけたのだろう、嬉しそうに驚いて水野知子の匂いを嗅いだ。
「お酒臭い」
「すいません」
「それと血なまぐさい」
「あ」
「若い子はそういうものだけど、お酒は似合わないかもしれないわ」
「おばあさんは、いい匂いする」
「そう」
「老人には似合わないかもしれないわ」
「香水を貰ったの、でもずっと昔ね」
「いい匂い、おばあさんには似合ってますよ」
「ありがとう」
「どういたしました」
老婆は大切にバッグの口を開け閉めして嬉しそうに、夜が来るわ、と丁寧な口びるの動きで言った。水野知子が教室でこの話をしているうちに夕暮れが終わりそうになって用意していた懐中電灯をつける。なんだか全部が水野知子の記憶の中に存在しているくらいの雰囲気になった。
「私が女の子の時代には戦争がありました」
「ラブ平和」
「私は戦争に行く人に恋をして、離れ離れが辛かった、嫌だった。戦争は悪だって叫んで泣いて喚いても、どうしようもなくて、それなら小さな悪を作り出してそれを退治して正義になった気分で、そしたら戦争も退治した気分になれて、そうしたら彼が生きてるって信じられて、悪くない、良い気分になれるの」
老婆はすっかり小さな女の子になったみたいに見えて水野は驚いて、ひょっと小声で囁いて、自分で平和を作るなんてとても羨ましく思ったのだった。その時蟹江が、小さな悪ってどんなものだ、とまるで老婆に聞いている様に言ったので誰もその声に気がつかなかった。
「私も小さな悪を作るのが好きになったんだけど、小さくない悪も作っちゃったんだよね」
殺し屋は教室の闇に怯えている。
蟹江はその闇の中に居る。
まるで老婆が隣に居る様に見えるがその隣は黒い闇だ。
由利が突然懐中電灯を持ち、蟹江の姿を探した。
「蟹江」
「いるよ」
「どこ」
「ここだ」
由利は恐る恐る声の方に懐中電灯をむける。声の方向が正しいのか自信がない仕草だ、彼は本当は自分自身を信頼出来ない人間なのだ、その証拠に靴下がいつも白だ。学校の校則通りの白いソックス、そしてそのソックスが汚れるのがとても嫌いだと水野が通った学校の廃墟の校門前で言ったのだった。言われた蟹江は白好きだよと空中に言った。
「小さくない悪ってなんだよ」
風が劣化した窓ガラスをこすったせいで殺し屋は椅子から立ち上がってしまった。それで椅子が倒れて全員で悲鳴をあげた。たぶん全員。なんだか不気味な雰囲気がしてるのだ。別の誰かが居る様な、そんな気がする。
「小さくない悪から、あんたを助ければいいのか?」
水野知子は頷いているが声に出さない方がおもしろいので黙っている。
恐怖が高まり妖怪が生まれている。まるで闇がうにょうにょと動いている様に感じる。四人は闇という妖怪に包囲されてしまった。
「おい」
殺し屋が苛立ちながら水野に声を放つ。
放った声の最期のいの瞬間に懐中電灯のスイッチが切れる。由利がタイミングを計ったのだ。真っ暗闇になり、殺し屋は倒れた椅子に足をぶつけると痛えと足元に怒りをぶつける。再び懐中電灯が灯るとその光を一身に浴びる、いや、自分の顔面を下から照らす水野が現れる。殺し屋は黙り、由利は笑った。
そして水野はゆっくりと怪談を、いや自分の思春期の思い出を、まるで怪談のようなそれを、話した。
「あの頃の担任は二十七歳の男で私達は十七歳の女子高生だった」
わざと猥褻な言い回しは怪談としては悪くない、エロと恐怖、完璧だ。
「担任は川上真琴、私は嫌いだったけど友達、その頃は親友だった中川繭は好きだった、とても密やかに好きだったの」
友達と親友の違いがわからないと殺し屋は思った。正義の味方は男ばかりで、悪者も男ばかりで、私は女でどちらにもなれると水野知子は思いながら過去の話を続けた。
「あいつは繭の気持ち気がついてたんだ。たぶん名前が似てるから」
川上と中川って事だ。
発音は全然似てない。
「でも気づかないふりして色々楽しんでたの、例えば好きな食べ物はラム肉だとか大声で言って、それを聞いてた繭はお弁当に焼いたラム肉を入れてきた時があったんだけど、すんごく獣臭くてその弁当が。私が馬鹿にするんだけど繭は嬉しそうに食べてるの、好きな人の好きなものを食べるのが好きな私なんて言ってるの、じゃあ繭はもう明日からケモノね、明日からケモノって呼ぶからって私がはしゃいでると、川上真琴がニコニコしてこっち見てるの。自分を愛してる女を気分良く眺めて愛されてる優越感に浸ってる川上真琴を見ちゃったの、その優越感が脆弱な自信を育てていくから私はもの凄く気持ち悪くなって誘拐してやった。担任の川上真琴を。進路の相談ですって深刻なふりして学校の裏にある林の中の幽霊屋敷に呼び出したの、二人きりで話したいって言ったらいいよって言うの、すげえ気持ち悪いでしょ、でも愛されてる自信のある男はみんなそうだよね。幽霊屋敷って呼ばれてる空き家があったのね、そこにまんまとあいつは来た、私は軽くキスして、しょうがないからおっぱいを犠牲に揉ませて、縛りたいって言って両手両足を縛って空き家に担任を閉じ込めたの」
ポルノみたいな独白で言っている本人の水野が興奮している。殺し屋はさっきまでの恐怖が落ち着いた様だ。下ネタは恐怖を半減するのだ。遠くの街灯の木漏れ日明りに目が慣れてきていたからかもしれないけど、もう幽霊も妖怪も居ない気がした。闇すら晴れてしまったかもしれない。それでも水野は怪談を続ける。「私、川上真琴を縛って空き家に閉じ込めたの」人間というものは慣れてしまうと不感症になるのだ、当たり前の事を殺し屋は考えていた。殺しも最初の一人が肝心なんだと考えている。それから先は慣れていくだけなんだと、悲しさが未来と言う名の経験に幻滅する。
川上真琴が二日間無断欠勤した。
教師達と水野知子の周辺がざわつき始める。
水野は川上真琴に電話させる事にした。
縛られた男は最初激しく喚き、水野を脅した。
教師の脆い善意を壊してる事が楽しかった。
縛られてるのに暴力的で男は切羽詰まればそれしかないんだと考え、この考えは一生ものだろうと確信する。
「繭をあげるから、電話してよ」
縛られた男は静かになった。
「やれるよ」
縛られた男は静かになったよりも静かになった。
「ポケット、右の後ろ」
ケツのポケットに携帯をいれてるのは腰痛の原因ですよ。
川上真琴は一週間の欠勤を連絡した。誘拐から三日後の事だ。
四日後の夕方、水野知子は中川繭と、空き家で待ち合わせをしていた。
繭はきちんと時間を待ち合わせの時間を守ったが、水野知子は現れず、そこには教師の川上真琴が、いた。もう縛られてはいなかったが、空腹だった。
「先生」
「中川」
「何してるんですか」
「腹が空いてるよ」
「なにか食べますか」
「なんか食べたいよ」
「じゃあ買ってきます」
「ありがとう」
水野はずっと見てた。
夕暮れがやけにオレンジ。
「繭が走って戻ってきてコンビニのおにぎりとサンドイッチ買って来たの、どっちが好みですか?とか言って、大人ぶってじゃあおにぎりとか言ってたくせにサンドイッチも全部食べたの、あの男、それから、繭に抱きついて口びるを食べたの、繭の口びるをまるごと食べたの。そしたら急に太陽が沈んじゃって、真っ暗闇で、でも音でわかるの、入ってるって、川上が中川に入ってるって。ケモノとケモノなら罪じゃなかったんだろうけど、川上は屈折した理性を知るただのつまらない男だって、許された悪意が解放されているだけのクズだって知ってるから、だって私が育ててやったんだからそうでしょう。次の日、繭に教えてあげたの、川上って彼女いるらしいよ、もう行方不明になって五日目なんだって。繭は一言だけ、ふうんだって。楽しそうに。晴れも曇りも雨もどんな天気も嬉しいと想える人になってる。私の育てた悪の虜。繭は空き家に通ったの、そこにはもう縛られていない川上がいるから。学校を休んでる間、ずっとそこに居たの、風呂も入らず、ただ肌と肌が合わさって心を洗っていた。これは純愛なのかもしれないと思える生活、一週間を二人で過ごしてた。私はね、彼女がいるって言ったら繭が傷ついてじゃあ私が川上を懲らしめてやるねって
正義の味方になる計画だったんだけど、もっとひどい悪魔を育ててしまった。
二人は川上が一週間学校を休んでいる間だけ恋人でいようと約束してたの、で最期の日、繭が死にたいって言ったの、川上に、こんな幸せのままで終わりにしたいと言って、川上は繭を笑った。一週間の約束だよと言って、空き家を出て行った。復帰した川上は記憶に障害があるんじゃないかと思えるくらい、教師川上真琴だった。繭は逆で記憶の中、ずっと深く記憶の中。もう新しい記憶はいらないみたいだった。じゃあ私はどうしたらいいんだ、正義の味方になれないじゃない、憎しみも敵意も無い、あるのは愛、淫らから清らかになった愛、間違えたの、正義の味方になるタイミングを完全に間違えたの」
「繭は死んだって事?」
殺し屋はやっぱり死ぬって事に敏感だ。
「繭の復讐で川上を殺すか?川上はまだ生きてるのか?」
そしてみんな死んでる事になっていた。
多くの人間の死にたいなんて愛されたいの比喩だ。比喩だとしたらどうしようもなくつまらない比喩だ。連想ゲームをしよう、死にたい、愛されたい、喋りたい、笑わせたい、触りたい、口と口で、舌を吸いたい、肌をすりすり、産毛が絡まるのをじっくり見たいのに、色んな願望が、全部、やりたい、に一括り、だったら、死にたいの比喩はやりたいだよね。殺し屋は自分を肯定するためにポルノ男優になるべきだ。アダルトビデオとは違うよ、ドラマと根拠があり理由を作り服を脱がすところから官能のポルノだ。精神がいっちゃうやつだ。やっぱり殺し屋が人見知りなんて三流だ。
「繭は幸せに生きてるし、川上はただ生きてる」
「そうか、俺は君を救うんだった、水野知子を救うにはなんだ、どうすりゃいいんだ」
「正義の味方にしてあげたらいいんじゃない?」
由利が殺し屋にちょっといらついて懐中電灯の光を目に入る様にあてる。
「どうやって」
怒鳴る殺し屋を由利は笑わなかった。とても真摯に睨んだ。
「私は正義の味方になりたい、ずっとなれてない」
「どうしたらいい」
殺し屋は苛立った姿で懐中電灯のスポットを浴びて独占している。
由利はそのあまりの主役ぶりがおもしろくて真摯じゃいられなくなったので、提案をする。

 老婆を救う

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