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虚無で膨らんだ風船に錘をつける

小雪|朔風払葉
令和5年11月27日

ルアンパバーンには行ったことないが、アジアのバックパック旅には少しばかり知識がある。香港からロンドンまでの一人旅紀行文、沢木耕太郎『深夜特急』。熊本から宮崎に向かう長距離バスの中で、同じ旅人としての自分を重ねながら読んだ。ちょうどフリーランスの自由を “孤独“ と感じるようになっていた頃だった。ただでさえ何者にもなれない自分が会社に所属していないのだから、いよいよ本物のフーテンであった。常に社会から説明責任を問われているような気がしていた。「お前は誰だ、何を貢献しているのだ」と。

フリーランスは自由な騎兵である。どこかから仕事さえ見つけてくれば、働く時間も、働く場所も自由。無理して働かなくていい、やりたくない仕事は請けない。好きなことだけを仕事にできる。フリーランスになってしばらくは、まがいもなく自由を手にしていた。日々の仕事はお子様ランチのようで、ハンバーグにエビフライ、好物ばかりが並んでいる。野菜なんて食べないし、納豆なんて選ばない。そうやって嫌いなものを避ければ避けるほど、生活がどんどん栄養失調になっていく。好きだったはずの仕事も、ただ時間枠を収入に変えるだけの作業になった。自由にいろいろなことをやっていたはずが、気づいたら孤独に苛まれていた。自分の居場所がどこにもなくなっていた。

そんなときに、仕事の関係で熊本・宮崎に行った。たまには小説でもと思い、何気なくリュックに入れた『深夜特急』。新潮文庫全6巻のうち第3巻、カルカッタやパトナ、ブッダガヤなどをまわった著者が放った言葉が、強烈に自分の心の最深部に刺さった。

ヒッピーたちが放っている饐(す)えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国にいても、明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類いの無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。

(沢木耕太郎『深夜特急3―インド・ネパール―』より)

フリーランスは本義として通過するだけの人であり、いまの自分の人生は深い虚無が支えている。 ”旅の恥は掻き捨て” は旅人のプライドが許さないので、その国々では何か少しお役に立てるように努める。けれど、地に根を生やして頑張っていた正社員のあの頃のような、哲学や熱意に下支えされた固い責任感はない。むしろその重圧から解放されて、肩の荷が降りて楽になったのと同時に、錘をなくした風船のように、虚無によって膨らんだ見せかけの自由に弄ばれていた。

「正社員に戻る時がやってきた」と思った。風船の糸をひいて、錘をつけよう。

ちょうどハレとケの循環のように、ハレのマツリの過剰なほどの放出を支えるのは、ケの日の耕作で蓄えたエネルギーである。フリーランスは刺激的なマツリばかりだったけれど、これからの自分にはケの地道な生長が必要だ。百姓のように、自分では選ぶことのできない百の仕事にただ熱心に向き合っていく。コヨムも、誇らしき百の仕事のうちのひとつである。

-T.N.

朔風払葉

キタカゼコノハヲハラウ
小雪・次候

みはらし亭

昔から旅に出るのは好きだったが、最近はどうしてか旅情を覚えることが少なくなってしまった。そんな自分が圧倒的な郷愁に駆られたのが、尾道の坂を登って千光寺のやや手前に建つ築100年の茶園「みはらし亭」。崖の上に建つ元別荘からは、坂のまち尾道の市街地と、尾道水道のむこう側の向島が見渡せる。八朔が入ったビールを飲みながら、だんだんと暮れゆく景色を眺める。やっぱり旅人も捨てがたい。

カバー写真:2019年11月23日 17:13 尾道・みはらし亭


コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

虚無で膨らんだ風船に錘をつける
https://coyomu-style.studio.site/letter/kitakaze-konohawo-harau-2023


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