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【2日目】怪異には取り憑かれてる 幽霊の見えないわたし消せない居場所

一限後集団下校の田んぼ道 彼岸花の首が落ちている

わたしはいま、こんな短歌を作り続けている。
『怪異短歌』と名付けて、この二年間200首以上怖い短歌を作ってきた。

ふと、わたしの怪談のルーツはなんだったかと疑問が浮かんだ。

母も怪談が好きで、当時流行っていたmixiの2chスレを選抜したまとめを読んでいた。

何歳だったか、
母にこれ読んでみて、と言われた怪談があった。

わたしは漢字が読めなかったから、兄に読み聞かせをしてもらった。
それぐらい幼い頃の話だ。

それは、『廃墟の管理人』という物語で
廃マンションに肝試しに行った男女が何者かに襲われながら逃げるようなものだった。
この話のすごいところは、進む部屋を選べることだった。
自分の意思で「201号室へ行く」「405号室に行く」と決められる。
それはまるで自分が本当に肝試しに行っているような感覚だった。
その疑似体験は、美しく苦しく終わる。
文字以外の情報はないはずなのに、明確にわたしの脳裏には『管理人』の姿がこびりついた。

それがきっと怪談にハマったきっかけだった。

もっと昔を思い出す。
それは今の家に引っ越す前のマンションでの記憶だ。
パソコンの画面には古びれたある一室が映されている。
右側には二段ベッドに汚れたシーツだけが置かれており、
正面にはドアがある。
薄汚れた布に体を包んだ細長い女と思しき存在が瞬間移動のように動き回る。
座っていたり、立っていたりするのだけれど、移動をしてるの動きはない。
ただ、そこまでしか覚えていない。

多分、友達の家でみんなで流行っていたゲームのような何かをやっていたのだと思う。『赤い部屋』だったか、Flashの何かか。
いまだにあれが何だったのかを知りたいと思うと同時に
不明なものとして脳にとどめておきたいと思う。


他にも思い出すのは的場浩司のことだ。
『やりすぎ都市伝説』で的場浩司が、実体験のように怪談を話し始めた。
途中でガラリと空気が変わる。
この話を聞いた人の元に怖い何かが現れるという。
ドアが3回ノックされる。
ノックされたら、心の中で「テンシンキアクリョウキョ」と唱えないといけない。

その話を聞いたわたしは心が恐怖に支配された。
トイレに行く時もドアを閉められない。
もし、ノックされたら?
「テンシン……なんだっけ、覚えてられない」
覚えられないことが恐怖になって、自分の身に危険が迫っているのではないかと不安になった。
あれが初めての強制参加型怪談だった。
感染したあの感覚が恐ろしくて、いまだに的場工事を見るとケッと思う。

怪談は毒だった、感染だった。呪いだった。

だからこそ、わたしは心惹かれたのだろう。

小学四年生の三学期、わたしは不登校になった。
執拗な嫌がらせを受け、教師は何もできないどころか助長させ、
やってられるか!と思い、適応指導教室に通うことにした。
その頃までは軽度の識字障害があり、本を滅多に読めなかった中で、
唯一読んでいたのが『怪談レストラン』であった。

読み漁り、怪談系の本を読み切ったわたしは、
ネットに溢れる怪談を読むようになっていた。

たくさん読んで、読んで読んで。

きっと、現実の苦痛を逸らすためのある種の自傷行為だったのかもしれない。
もしくは、代償行動。
「悪いことしたらバチが当たるんだよ、あいつらも呪われるわ」
だけでなく、
人が死ぬことに快感を覚えていたのかもしれない。
わたしの中にある強い憎しみも死ねば何かになるかもしれない。
そういう喜びもあった。
でも、そんなこともわからないぐらいわたしは怪談が好きだった。
取り憑かれるように読んでいた。

5年生になると同時にわたしは登校を開始した。
それは、担任が変わってコミュニケーションが取れそうだと思ったから。
しかし、流石に不登校だった人間が溶け込むのは難易度が高いものだった。
一番の苦痛は、お昼の給食の時間。
座席順に6人ぐらいで班に分かれて、ご飯を食べるその時間は、
会話をしなければただ淡々と、でもとてつもない長くゆっくりとした地獄の時間になる。

わたしの学校は、一学年2クラスしかない小さな学校だった。
小中一貫だということもあり、このメンツは大きくは変わらない。
だから、どうにかしないといけないと思った。

「こんな話知ってる?」

もう今はどんな話をしたか覚えていないけど、怪談を話してみた。
すると、みんなワクワクと話を聞いてくれ、
「他には?他には?」と縋られるようになった。

覚えている話をいろいろと話し、給食の時間が終わった時、
「また他のも聞かせてな!」と声をかけられた。

その日から、わたしは覚えた怪談の
タイトルだけを書いたノートを作った。

ストーカー
赤いクレヨン
猿夢
アイスピック
人形
エレベーター

そして、その一覧から選んでもらって、給食の時間に毎日話した。

その中でも一番人気があったのは、
「意味がわかると怖い話」だった。
その頃はまだ、五分で怖い怪談本や意味がわかると怖い話の児童向けの本は出ていなかった。
だから、みんな新鮮でたくさん考えて、なぞなぞとして楽しんだのちに
「あー!」って怖がったふりをしていた。

その結果、わたしはいつの間にか教室に馴染むことができていた。
いろんな戦いがあったけれど、怪談を話すという点において、
わたしは居場所を得た。

怪談は居場所だった。
怪異は居場所だった。

高校生になって、演劇部に入ったわたしは、
ホラーモチーフの演劇を書いて、上演した。

最後にその存在が「人ならざるもの」だと判明するような、
簡単なものだったが、新入生歓迎会などの本当に短い時間で魅力をつたえるには
とても有効だった。

それはなぜか。

怪談は、ホラーは、怪異は、
人の心をどうしようもなく捕まえてしまうからだ。

新歓では、強制的にダンスや説明を見せられ、聞かされる。
強制的に見せられるということは、
強制的に参加させられることだ。

正直、何も興味はない。
演劇部に入るつもりのある生徒なんて全校生徒のうち1%もいないだろう。
その中で、演劇部の話をするわけでもなく、
突然「奇妙な出来事」の話が始まる。
それはわたしたちの生活の延長線上で起きているかもしれない、
近い物語。
心のどこかで、当事者になった気になる。
だから、最後まで聞かないと、最後まで見ないと、
輪は閉じない。

舞台が終わると同時にタネが明かされ、
悲鳴が上がる。

人は心のどこかで、恐怖を求めている。
それは、恐怖と命が限りなく近いからだろう。

恐怖は死を予感させる。
死は生を実感させる。

人は皆、死を知りたいと思っている。
なぜなら、生きることの意味がわからないから。
だから、恐怖を感じることで、生きていると感じることができる。

そんな気がしてる。

怪異は取り憑くものである。
怪談も取り憑くものである。
そして、生も取り憑くものなのかもしれない。

そんな気がしてる。

だから、わたしはずっと怪異を描き続けているのだろう。
ずっと、一貫して、怪異に居場所をもらっている。
小さな頃から変わらず、今も怪異短歌を描くことで注目を浴びようとしている。

大学でも民俗学、フォークロアをメインに勉強してきた。
人々にとっての地獄とはなんなのか、
地獄の描写は何を表すのか、
境界線を越えるとき人は何と出会うのか。
もっと、深く学びたいと思う。たりてない。足りていない。

恐怖は人の根本的な感情だ。
その人が何を恐怖するかで、人となりがわかる気がしている。

わたしが今一番怖いことは、
誰の必要ともされないことだ。

あなたの恐怖はなんですか?

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