見出し画像

【13日目】汚水飲むような朝だ 毒ならば死ねたというのに強すぎる希望

高校生の時の話をしよう。

わたしは絶望しながら、入学をした。
ああ、もうどうしようもない。
ああ、地獄の始まりだ。

そう思いながら、入学式を迎える。

大阪だからなのか知らないが、公立高校の合格発表の当日に
私立高校の入金締め切りと入学説明会があった。

国語科のある公立高校を落ちたわたしは、失意の中だった。
動けないほど泣きぬれて、車の後部座席に倒れていた。
不登校を決め込んでいたわたしは、自学自習で中学の勉強を行い、
国語と社会は、80点以上を常に取っていた。
数学はめっきりダメだったが、それでも赤点は取ったことはなかった。

高校受験をする頃、
わたしは無理して学校に通った大きなつけとして、
『起立性調節障害』になった。
当時は、今ほど知名度もなく「サボり」「怠け」と言われる時代だった。
朝は起き上がれない、立っているだけでふらふらする、午後になるとやっと少し元気が出る。
起き上がれないというのは、貞子よりも立てず、伽耶子と同じようなものだった。

母が起立性調節障害の専門医を見つけてくれて、通院が始まった。

「あなたは、重度だよ。よく行けてた、ってぐらいだよ」

そう言われた。
数値を見ても人間ではないのではないか?と思うほど、
正常の数値からかけ離れていた。

薬と筋トレを勧められた。

あの時から、わたしの足は常にまだらだった。
白い足に、より白い青い、いや緑の斑点がついていた。
それぐらい滞っていたのだった。

中学3年生になった時、国語科と出会った。
百人一首部に入りたい、文学の勉強がしたい、そう思っていた。
だから、それだけがわたしの希望だった。
生きる糧だった。
全部暗いし、死にたいし、生きるの難しい、楽しいことなんてない、
と思っていたけれど、
国語科に入ることができたら、
きっと、趣味の合う人が見つかるし、感覚の近い人と友達になれるだろう、
そうオープンキャンパスに行くことで感じた。

そんな時に、医者に

「あなたは、普通の学校に通えないよ。数値も全然悪いし、無理だよ。
 通信に行くべきだ」

そう言われた。

内臓が強い熱を持つのがわかった。
脳が沸騰して、怒りが口からはみ出そうになった。

本当に許せなかった。
だって、それはわたしの人生を、未来を、希望を否定することだったから。

お前如きに何がわかる。

その怒りは、体を活性化し、
あんなに酷かった治る見込みもなかった病がツルッと治っていた。

最後の通院の日、医者が驚いていたのが、本当に嬉しかった。

お前なんかにわたしの人生の評価は下させない、と。

受験勉強の中盤を迎えるか、という時期になり、
わたしの皮膚は爛れ始めた。
何年もほとんど悪化してこなかったのに。

火事に巻き込まれ、顔面を大火傷したのか、というぐらい
人間の皮膚の部分が無くなった。
見るに耐えない、人によってはそれだけで自殺をするような、
それぐらいひどい状態になった。
ホラー映画『テリファー』の被害者のような、
ホラー映画『エルム街の悪夢』のフレディのような、
そんなものだった。

朝、目を覚ますと、目が開かない。
滲出液が溢れて、固まって、瞼を閉じ切ってしまったのだ。
それをお風呂に入って、溶かす。
皮膚を切り取られた顔面は、風にあたるだけでも激痛で、
「ああ、死んだ方が楽なのに」そう思うような痛みが毎日に付きまとう。

お風呂に入っている時が楽だった。
午前中はずっとお風呂に入っていた。
ふらふらになりながら、お風呂を上がるとすぐに地獄の痛みがやってくる。
意識を保っているのが辛くて、眠るしかなかった。

夢の中だけは、何も感じない。
眠っている状態は、死んでいるのと同じだと思えた。

そんな中での受験は当然厳しいものだった。

お願いして、別室受験をさせてもらった。

かろうじて、外に出られるようにはなったけれど、
痛みは体の体力を奪う。
醜い自分を晒しているのが辛かった。

それでも、努力した。

けど、
落ちた。

死ねばいいと思った。
わたしは負け犬でしかないと思った。

不登校でもやっていけると思いたかったのに、
落伍者の烙印を押されたと思った。

そんな中で、向かった入学する予定の高校の説明会は、
わたしと同じように泣き腫らした子供が半分。
キャピキャピしたギャルとスポーツ系女子がイキイキしていた。

アホな学校だった。
女子高だったのが、共学になってちょっとした学校だった。
わたしは、女子クラスのコースに通うことになった。

そのコースのメインは、
スポーツ推薦の女子とおバカな子だった。
偏差値はだいぶ低かった。
他には、美術コースと英語コース、特進コースがあり、
その中でもわたしのコースは軽く生きていこうの空間だった。

すごく、すごく、なんというか、
パリピと言えばいいのか、
そういう感じであった。

陽キャとクラスのカースト上位を集めたみたいなクラスは、
うるさく、怖い。

ギャアギャアしていて、恐ろしい気がした。

入学式の日には、もうすでにInstagramでみんな繋がっていて、
わたしはその流れには入れなかった。
そういう時代だった。

忌み嫌っていたタイプの生徒ばかりが溢れていて、
帰宅してすぐ「もう辞めたい」と言って泣いた。

生きていける気がしなかった。

やり直したかった。
どこから?
もう全てだ。

次回、地獄のフレッシュマンキャンプ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?