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SS『世界一の花火よ』

 母が失踪してから1年がたとうとしている。
 去年の花火大会の一日目は二人で近所から見ていた。遠くとも明らかな存在感のある花火は、圧倒的力を感じさせる音で押してくる。あの形のない圧に心臓を動かされるのがたまらなく好きで、ワクワクした目をしている母は次の日の花火会場から帰ってこなかった。
 どこを探しても見つからなかった。どこの監視カメラも人が多すぎて確認することは不可能だった。
「おばさんもどっかで明日の花火を笑ってみてるよ、あの人はそう簡単には死にっこないって、お前もそう思っているんだろ?」
 花火職人のお前はそんなふうに笑って見せた。俺もそう思うよ。あの人はそうそう死にっこない、きっと楽しいところを見つけたんだ。
 緑色が激しく主張するこの季節のことは好きだ。暑くてたまらないけれど、八月二日と三日に行われる日本一の花火大会があるから人々のやる気は高まっていく。広い道路を渡って会場まで歩く。まだ空は暗くなっていない。六時には会場に着いておきたかった。特等席を購入していたけれど、絶対に今日の花火は見なければならない。
 夕陽が沈んで、カラスが飛び立つ。足元にカエルが現れて去っていく。暗くなっているけど明るい紫の世界はここでしか出会えない。花火大会の空は無限に広がり、俺の意識を途切れさす。人が次第に増え、黒の影が現れては座る。ああ、今年もこの時間がやってきた。一瞬で過ぎてしまう美しい時間の前、きっと始まる前は誰にも共有できない感情で溢れている。
 ガヤガヤとしているのに、川が広いおかげで全ての音を受け止めて吸収してくれているように思う。誰もが幸せになる時間が訪れる。この花火を見たことがない人がいるなら、一度でいいから見て欲しい。これが花火だ、他の花火なんて足元にも及ばない。人生でこの花火と生きることが出来たのは幸いだ。
 ビールを開けて、自然と繋がる。
 はじまる。
 ヒューッと上がって広がる、なんて言葉じゃ足りない。視界の全てが花火に埋まる。百八十度全部に花火が上がり、止まらない。音楽が流れているのに、そんなこと関係ないくらい音圧に振るわされる。肺の中にまで音が入り、揺らす。
 そんな時間が一時間続く。
 あ、お母さん。
 花火が上がって広がった。母の骨が入った花火は、一瞬で煌めいて街を包んだ。いつの間にか無くなった光は目の中に一生残っている気がした。

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