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君が好きだったもの

こうして例の後輩くんの事を度々文字にすることに抵抗を感じていた。まだ彼のことを忘れられてないと思い知らされるようで嫌だった。けれど、それじゃあ私のこの後味悪く残った気持ちは一体いつどこで消化されるのか。
そこで気がついた。私はあの記憶と想い出を、文字に起こすことで消化していたんだと。
なのでまた、彼との記憶をここで消化しようと思う。

***

彼はジャズが好きだった。演奏するのも、聴くのも好きだった。
彼がジャズのコンサートに行くと言ったとき、私も連れてもらった。ジャズは完全に専門外で、どんな世界か知らなかった。10:0で好奇心。

「へえ、これがジャズの世界かあ」と思って隣の彼を見ると、見たことないぐらい活き活きしていた。この人こんな顔もするんだ、と少し驚いた。普段はなんだか斜に構えたような、冷めた感じでいるから。

帰り道、彼は饒舌にジャズを語った。あの曲は有名なんだよ、とか、今日追悼してた方は世界的に有名なジャズ演奏者で、とか。私はうんうんと聞きながら、見たことない表情を次々見せる彼を微笑ましく思っていた。

あれから数ヶ月経った。
気持ちの整理が完全につくまで、私はジャズ喫茶などは避けるようにしていた。
けれど、近所の大きな本屋さんのオーディオコーナーで優しくジャズが流れていた。店内に溶け込んだ高価なオーディオからは、あの時聴いた弦の音が響いていた。
ああ、まだ全然忘れてないじゃないと一気に気持ちを引き戻されてしまった。

私はそのコーナーを逃げるように去ってしまったけれど、それだけ私の中に見えない「なにか」を刻まれたのかと思うと余計に虚しくなった。私もあなたに、見えない「なにか」を刻んだのだろうか。

いま、なにしてるんだろう。

彼が好きだったジャズ。
今はまだ、想い出が少し多くて落ち着いて聴くことはできないけれど、素敵な世界だと思う。
知らないことを教えてくれた彼に、いつか笑顔でお礼が言える日がくるまで。

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