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Aさんに捧ぐ

ひょんなきっかけからお世話になった前職の超偉い人と再会し、ランチでもどうですかと某ホテルの中華料理屋に誘われた。お互い忙しい身なので60分で前菜からデザートまで全て出してもらうよう頼んで始まったフルコースの味は、数日経った今はもはや記憶にも残らないくらいになってしまった。
だがその席で知らされた話題は、ふとした時にも思い出すのだろう。


話題が前職での思い出話になった時、あるプロジェクトの当時のトップだったAさんの話をした時だ。僕の目の前に座っていた偉い人はこう言った。

「あぁ、あのプロジェクトか。確かに当時Aさんが担当してたな。…Aさん最近亡くなったんだよ」

目の前の皿の1番手前にあった、蜂蜜を丁寧に塗られた焼いた豚をつかもうとした箸を思わず止めて、「えっ、」と呟いた。焼豚の味は忘れてしまったが、その時の衝撃はいまだに生々しく覚えている。

Aさんは当時のプロジェクトの上司の上司、という感じのポジションで、うちの会社側の責任者を勤めていた。毎日接点がある訳ではなかったが、出社すれば顔も合わせるし仕事について話す事はそれなりにあった。


「末期ガンでなぁ、まだ若かったんじゃないかな。闘病していたみたいだな。」


Aさんは確かに太く短く、という言葉が似合う豪快な人だった。怒る時は分かりやすくキレるし、昭和というか部活というか、その辺りの雰囲気をそのまま仕事にも持ち込んでいた。贔屓のプロ野球チームが負けた次の日は機嫌が悪く、当時はプロ野球に全く興味のない僕も自分の身を守るために野球の結果を見ていた。

ただ、クライアントへのアプローチも単純明確だった。クオリティの高いアウトプットを出すことが仕事であり、仕事の結果が全てと思われがちな業界において、客と仲良くなれ、仕事の外でもしっかり関係を作れ、ととにかく指導された。

おそらく僕が上手くお客に溶け込めていないと思われたのだろう。当時を思い返せば、どうしてもクライアントに遠慮がちになってしまうところがあったし、あれから転職して逆の立場に立ってからは、どんなに提供される仕事が素晴らしくても、その人の人となりが分からない人間とは付き合い辛いことを身をもって感じた。

鮮やかに、ロジカルに事を運ぶ人は確かにすごい。だが僕にはそういった能力もなければ、そういった進め方はあまり好きではない。
理想を追うばかりでなく現実にどうすれば良いかを考え、心情面も考慮し、泥臭く推進するAさんに、僕はキャリアの1つのモデルケースを見たと思う。


「亡くなる直前にも会社に出社していたんだよ。だから亡くなったと聞いた時は驚いたんだけどね。」


僕が知っているAさんは病気で伏せっているような人ではなかった。だからこそ、この言葉を聞いた時にも「あぁ、やっぱりAさんらしいなぁ」と少し安心した。

あの頃から時が経って、今や自分も部下を持つ立場になったが、ふと自分がAさんと似たような指導をしていることに気がついた。

こじんまりとまとまるな、とにかく人と会って存在感を高めろ、仕事の能力だけで評価されるほど社会は上手くできてないぞ…

こんなことしか言えないのか、と思うこともあったが、なんのことはない、自分が当時ずっと言われ続けていたことだった。そう考えると、少しはAさんの考えをインストールできたというか、ちょっとだけ近づけたということかもしれない。

そんな事も最早Aさんに伝える機会さえ無い事をふと思い出すと寂しく感じてしまうが、
同時にその瞬間は自分の成長を省みる機会にもなるのだろう。ならばこの先寂寞を感じ続ける事こそ、自分の成長の証となるのかなと思う。
Aさん、当時の事を話のネタにさてせもらいつつ、僕ももうちょっと頑張っていきますわ。

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