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遅れてきた反抗期と、その言葉の悲しい現実

「反抗期」という誤ったレッテル

「反抗期」って親の視点からの言葉じゃないか?

私自身に遅れてやってきた反抗期に際して気づいた、悲しい現実と日本社会。


反抗期や思春期における子供の行動は、子供からすれば自我が芽生え変化した自己主張であり、且つ自分の意見や考えを認めてもらいたくてやってる行動である。

なのに「反抗期」という言葉には、一方的に歯向かったり逆らったりしている印象がある。

ふと、英語で反抗期という単語はあるのかと疑問に思い調べてみると。

反抗的な時期= rebellious phaseという言葉はあるけれど、反抗期を一語で表す言葉はなく、どちらかというと思春期= Adolescenceとして一括りにされることの方が多いようだ。

「反抗期」と言う言葉は、日本語特有の価値観に基づいている。

子供側からすれば、大人に逆らい、歯向かい、従わないのは、勇気のいる行動であり、徹底した自己主張であり、自己変革であり、成長過程のど真ん中にいることだ。

「反抗期」の言葉の主役は子供側であるべきじゃないか。

にもかかわらず、徹底して子供の視点を排除した言葉になってしまっている、悲しい日本社会とその価値観。

子供を応援する気持ち、支援を差し伸べる手が少ない社会を物語っている気がしてならない。

これはいかがなものだろうか。
一児の子供を育てる親として、声を大にして言いたい!

反抗期→自己主張期、変革期、殻破り期、などの別の言葉に変えませんか?


この様な誤ったレッテル貼りが、子供を1人の大人として扱うことが出来ない社会にした要因のひとつではないかと思う。

親子において大事なことのひとつは、子供であれ大人であれ相手を1人の人間として尊重しありのままを受け止めること。

弱い所も醜い所も含め互いに心のうちを晒し話し合い伝え合える存在であること。

信じあえること。

もちろんモラルや倫理的に人の道を踏み外すような事があればそれは正すべき。


正直に伝え合う、話しあうのは骨が折れること。

摩擦が起きる。

喧嘩する。

理解してもらえない。

理解できないことがあるのは当然だ、別の人間なのだから。

お腹を痛めて産んだ可愛い我が子は、自分と身を一つにした存在だったけど、成長するに従いやがて自分の元を離れ去っていく存在になる。

「反抗期」はその辛い現実を乗り越えるための試練であり通過儀礼なのではないか。(主に母と子の関係において)

親自身にとって必要な、子供の成長を受け止め子離れをするための、変化と相対する時期。

「反抗」期とレッテルを貼っている限りは、それは親側の課題である。

親子の関係はそれらを乗り越え互いに成長し絆も強くなるのかもしれない。

それでも互いに正直に伝え合うっていうのは、簡単そうに見えて簡単ではない。

言葉の表面だけを掬いあげても、汲みきれない想いが残ってしまう。

立っているステージやフェーズ、環境が違えば、本当に伝えたい話したい思いや感情は伝わらないことの方が多いのである。

大ヒットしたドラマ『silent』でも春尾正輝役を演じた風間俊介が言っていた。

「言葉の意味が分かることと
相手の想いがわかることは違う」

子供側から見た「反抗期」

子供側からすれば反抗期は、いわば成長と自己変革の時期である。

親が変わったのか、自分が変わったのか…

前はそうでもなかったのに急に何かとてもイラッとするような言葉に聞こえる。

親の言っていることの何かが違うと感じる。

トゲのある言い方に聞こえる。

本当に私のために言っているのか疑問だ。

こちらがやりたい様にはさせてくれない。

何を言っても聞き入れてくれない。

などの事態に陥る。

あの手この手を使い足りない語彙力と頭でなんとか自分の考えや意見を主張しても、「じゃああんた1人で社会に出てどうやって生きていくのよ」と終いには脅しにかかってくる始末。

脅迫ではないか。

1人で生きていけないのをいいことに自分に従え、などと言うのはあまりにも横暴だ。

そのような子供がいないと言ったら99%嘘になるであろうこの現実を、どうしても嘆いてしまう私がいる。

30代後半、遅れてやってきた「反抗期」

私の一家は、父は寡黙で温厚、母は普通や常識を掲げ世間体を気にして、姉はヒステリックに自我を押し通してくる、というよくある一般的な家庭だった。

三つ離れた姉が学生時代には、時には家出寸前&包丁を持ち出したりとヒステリックな喧嘩を母親と幾度となく繰り返していた。

そのためか私の反抗期は、母と姉の盛大な親子喧嘩のせいで、隅っこに追いやられ鳴りを潜めていた。

今思い返せば…、思う所や感情をもっと親にぶつけていれば良かったと改めて思う。

それに気づいたのは、最近姉と珍しく長電話をした際に話したことがきっかけだった。

姉は母との親子喧嘩を経て、今では母親の言う事を受け止めつつ受け流すことが出来ていると言う事だった。
積年のライバル同士が互いに相手を認め理解するように、母親との盛大な喧嘩を経て、母のそのままを受け入れることが出来るようになったのであろう。

一方で私は、未だに母の言動や行動にモヤモヤすることも多く、どうしても気になってしまうしまだまだ感情的になってしまう事も多々ある。

姉は電話越しに言う。

「まだ反抗期が来てないんじゃない?」

不思議と納得がいった。

実家を離れて15年以上経つ今、父の入院や介護、リフォームなどについて頻繁に家族会議を行う時間が増えていたこともあり、意見や価値観の相違が顕著になり始めていた。

実家を離れて他県に暮らしているにもかかわらず、父の介護要員にカウントされた私。
子育てに集中したいから介護は出来ないと伝えると、母は悲しんだらしく私の言葉に理解を示してもらえなかった。

別の日、母から「父の入院や手続きの為の休みは取れないのに、自分の旅行の為の休みは取れるのね」という小言を浴びせられた。
それは完全に嫌味だし私が傷ついたことを伝えると、「息子に気を遣って言葉を選んで話してそんな風に言われるとこっちだって傷つく」と半ば泣いてるような語気で言われた。

そうか。

要するに私と母は、「反抗期」と呼ばれる通過儀礼を行なってこなかったために、子離れと親離れが出来ていなかったのだ。

遅れてやってきた「反抗期」への対処法

無論、今からでも遅くはない。

30代後半で人生ももう折り返しを過ぎてるかもしれないけれど、きちんと「反抗期」という通過儀礼をクリアしなければならないと感じた。

親に反抗をしようと決めた私は、まずは私自身の色々な想いを伝えてみたが、当初は私の伝え方が悪く、すぐに母は機嫌を悪くしてしまい話にならないことも多かった。

しかし私ももう子供ではないので、同じ失敗は繰り返さない。

PDCAを繰り返して、つい最近やっと最適解を見つけた。

①まずこれは遅れてやってきた「反抗期」だ、ということを表明する。

②しかしながらこれは「反抗」ではなくこちらの主張を受け止めて欲しいだけということを伝える。
子育てが間違っていたと非難するわけでもなく、機嫌を損ないたいわけでもなく、ただ言葉を受け止めて欲しいだけ、という事を伝える。

③積年の想いをぶつける。
こちらのモヤモヤが晴れてスッキリすればそれでまずはOK。

④理解はしてもらえなくて良い。
母親がどう思おうが、理解が出来なくても良いのだ。違う人間である以上同じ思考をすることはあり得ない。

⑤最低限こちらの考えを受け止めて見守って欲しい、と伝える。

⑥それでも機嫌を損なったり、まだ小言を言ってくるようであれば、今度は親のことを我が子だと思って温かく見守ってあげる。

親にとっては、子供が自分が思ってることと違う言動をするだけで動揺してしまうものなのだ。
と、改めて思い知らされた。

子離れとは、子供が自分とは違う人間であることを受け入れて信じて温かく見守ること。

であり、

親離れとは、親が自分にとって掛け値無しに安心できる存在でありつつ、親に頼らず生きていくこと。

ではないだろうか。


最後に。

長田弘の詩集『深呼吸の必要』から
詩「あのときかもしれない」の一文

きみはある日、突然おとなになったんじゃなかった。
気がついてみたら、きみはもうおとなになっていた。
なった、じゃなくて、なっていたんだ。
ふしぎだ。


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