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ゴジラとは倒すべき相手なのか?


「ゴジラ-1.0」を観てきました。


ネタバレはなしで、僕なりにゴジラについてお話ししていきたいと思います。
ちなみに、この話は、単にゴジラの話で終わりません。
僕たち人はいつまで自分にとっての問題を解決し続けるのか?という問いでもあります。(こっちがメイン)
なので、そういう記事だと思ってお読みください。


僕とゴジラのお話

僕がゴジラを見るようになったのは「ゴジラvsビオランテ」がきっかけです。

金曜ロードショーで見たのをきっかけに、小学生の頃は地元のボロい映画館でゴジラを見るのが楽しみでした。

今でもの僕の部屋の中には、「ゴジラvsデストロイア」の当時のパンフレットから申し込んで購入したソフビがご神体として飾ってあります。

ファイナルウォーズまでも見てきて、レジェゴジ、シンゴジ観てきたわけですが、僕が生まれれる以前のゴジラ映画も何本か池袋の新文芸坐の企画で、見にいったこともあります。

今回のマイゴジは70周年作品ということと、久しぶりの日本のゴジラということで、これだけの長い年月ゴジラが愛されてるからには、その秘密があるように、僕は思っています。

同じ特撮ものでも、仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊モノと、長く続いていますが、ゴジラは映画がほとんど。

ここもゴジラの魅力なのではないか?と僕は思っていて。

ゴジラが愛される理由ってなんなのか?
ゴジラが放っているメッセージがなんなのか?

この辺りをここから深くお話ししていきます。


ゴジラはまた帰ってくる

マーベルのエンドロールじゃないですが、ゴジラってまた帰ってくるんですよね。

そしてゴジラは帰ってくる度に都度違うメッセージを持ってやってきます。

中でも大きく2つに分かれるんじゃないか?って僕は思っていて。

・倒されるべき問題
・人と共生する生物

この矛盾した存在感がゴジラの魅力でもあるのかなと。

そして、ゴジラ映画で忘れてはならないのが、

「人の物語」

どんなゴジラ映画でも都度都度人間のドラマが描写されているわけで。

ここにゴジラが愛される理由の一つがあると僕は思っています。

ゴジラを倒すのか?
ゴジラと共に生きるのか?

ここを巡って人々が人間のエゴ剥き出しに様々なドラマを繰り広げていく。

これもゴジラ映画ならではかなと。


ゴジラは何を伝えたいのか?


ゴジラという存在は言葉を発しませんが、僕たちに強烈なメッセージを残していきます。

ゴジラのメッセージの一つが、

人はいつまで自分にとっての問題を解決し続けるのか?

だと僕は思っています。

人の愚かさと人の美しさ、どちらも描くのがゴジラ映画だと僕は観ていて。

その中でも大きなテーマがこれ。

ゴジラを問題と扱い、問題を解決するのか?

あるいは、

問題を扱う自分たちを恥じて、問題解決をやめるのか?

ここはゴジラ映画によって様々な描き方がなされている部分でもあります。

ゴジラという圧倒的な存在を描くことで、この人の問題解決への意識に大きな警鐘を鳴らしてる、とも見ることができると、僕は思っています。


問題を解決し続けるのか?
問題解決そのものを辞めるのか?
それが問題だ。

そんなハムレットの名台詞にも似た、人としての性をゴジラ映画は描いているのではないでしょうか?

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