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何一つキタナイモノは無かった

またまたお久しぶりの投稿です。バタバタしていて、バタバタが極まり、その活動の物品も極まり、家の本棚の量も家を軋ませるほど極まってしまい、人生史上最大級の断捨離活動をしています。本に関しては9割くらいは電子化を目指してコツコツ裁断とスキャンをしていますがその話もまたの機会に。この記事を書いている時点でようやく800冊くらいスキャン終わって、あと200冊くらいまで迫ったところです。

必要なもの、必要だったもの、不要なものをあれこれ整理して、手放すものは感謝して手放し新たにスペースを作るというルーティンが心地よくなってきているここ数ヶ月。足の踏み場もない状態はまだまだ終わりませんし、音楽作業のスタジオはまだ足の踏み場も確保できず、現在モバイル環境でノマド制作真っ只中です(笑)

文字通り、「感謝して手放す」というものがとても多いです。その中でも特に、東日本大震災の時に拾ったもの、支援でいただいたもので、そしてなかなか捨てる気にもなれずにずっとしまい込んでいたものが割と多くあり(電子化できるものは電子化して残しています)それらも他のものと一緒に整理していました。

こうやって自分で整理して、自分で手放すというのはなんて健康的なんだろうなと思うのです。なにせ震災では、手放すも何も心の準備も無いまま多くのものが無くなってしまった上に、悲しさを感じる以前に生命レベルから今の状況をなんとかしなければ!と動いていたので、悲しくなる暇も無かったというのが正直なところでした。色々と気持ちや記憶の整理もできる感じで今少しずつ自分自身の精神的な復興が進んでいる感じもあります。

そんななか先日2023年2月18日の東北放送のリアスアーク美術館の記事を読んで本当に共感しました。

「“がれき”と呼ばれたくない」きっかけは“憤り”
なぜ収集したのか?当時、被災地に飛び交っていた“ある言葉”に憤りがありました。

山内宏泰館長:「次の瞬間、『がれき』と呼ばれたのは受け入れがたかった。他人からゴミ呼ばわりされるのは気持ちよくない」

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tbc/332899?page=2

本当、この部分には特に共感しました。

同時にあまり思い出したくもなく、記憶の底に沈めていたことも思いましました。

震災が発生したすぐ後の4月で大きい余震も立て続けにあって混乱に混乱していた頃。
震災前に遠方に引っ越した身体表現をしている友人がチャリティーイベントなどをしてくれ、そこで集まったというお金を日赤かどこかに義援金として送るという活動をしてくれていました。本当に有り難いなと心から思い、自分も津波で被災して大変で、正直自分が支援してほしいと思いつつも、すべてを流されてしまった人達も本当に多くいるので、その人達へ支援が早くいくように自分の周りの支援者のお手伝いもできる範囲でやっていました。

これまであまりその人のプロフィールなどをしっかり見たことがなかったけれど、その件がきっかけで見てみると、出身が石巻となっていることにも気づく。出生が石巻の病院というのは聞いたことあったけれど、住んだ事は無いよなぁ・・・と、少し微妙な気持ちになっていると連絡が来る。

直接被災地の石巻に行きたいからアテンドしてほしいという事だったので、とりあえず、当時の臨時バス乗り場まで来てもらえれば車で行ける範囲で案内する感じになりました。もちろん宿なんかも無いので家の浸水していなかった2階の寝泊まりで了承してもらう。というか当たり前ですね。
ボランティアの方々も石巻専修大学の敷地内でテント村を作ってそこで寝泊まりしていましたし、町中で営業できている宿は無かったと思う。蛇田とかはあったのかもしれないけれど。

当日、久しぶりに会い、テレビにもよく出ていた石巻の門脇、南浜町を中心に案内し最後に鹿島御児神社から行った場所を見おろして知っている情報を説明する。

20110422 石巻市

すると、ここの境内に被災した地域住民を集めてダンスとライブペイントのアートパフォーマンスのイベントをやりたいと言われ、えっ、この状況見てパフォーマンス?いやいや、スコップ持ってヘドロを掻いて、そして「がれき」と呼ばれてしまっているもともと家などだった残骸を少しでも早く撤去してまずは避難所にいる人達が無事に仮設住宅に入ることがどう考えても先決でしょ。
と、耳を疑いつつも丁寧に説明する。
ここ被災地真っ只中でのアートで云々って、明日の生活が安定してようやく受け入れられるものだよと説明するも、なぜか噛み合わない。

機材はできる限り集まるもので良いし、他に必要なのはこっちで準備するから〜とか(この状況で俺に準備もさせようとしているのか・・・)そういう事ではなくて、とにかくあと数ヶ月からもしかしたら数年はそんなアートで何かというのは被災地ど真ん中では今は無理というか、俺は考えられないし俺もやろうとは1ミリも思えないと、少し強めに言う。

「私はこの状況の、見たくもないキタナイものに囲まれて苦しんでいるみんなに、キレイなものを見てもらって元気を出してほしいの」

と、言われた瞬間身体の水分が沸騰するかのような感覚、変な汗が吹き出し鳥肌が立ち、そしてここでもまた心を閉ざしました。色々と話し、その後色々とあり石巻でのパフォーマンスは無理と諦めてくれたのですが、本当にこのことは一生忘れないだろうなと。
(その後その方とは連絡は殆どありません。出身地もプロフィールから消えていたと思います笑)

そのガレキになってしまったもの、あなたにとってはキタナイものなのかもしれないけれど、僕らにとっては毎日大切にしていた家や家財道具、思い出、そしてもしかしたらその下に行方不明の大切な人がいるのかもしれないという思いで毎日見ていた景色。
やっぱり簡単にキタナイなんて言ってもらいたくないし、外から持ってきたキレイなものをハイって見せられるより、ただ寄り添ってほしかった、それだけで今日生きる力が湧くからというのは僕自身の考えでした。

海水とヘドロでもうしばらく草も生えないだろうなぁっていう庭からフキノトウとか出た時とか、涙溢れたなぁ。ああ、これから生きていけるって。

20110404

そんなことを、リアスアーク美術館の記事を読みながら、思い出を向き合っていました。

来月の11日で、東日本大震災から12年。

郷土芸能、民俗芸能を始めて11年。今年もきっと静かに思いに耽けて、これまで何ができるか考えていたものを少しずつ形にしていくんだろうなと思います。

おととし書いた東日本大震災についての雑感記事。きっとたまにこういう吐き出すような記事も続いていくと思いますが、どうかよろしくお願いします。


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