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パタゴニア(アルゼンチンとチリ)

(44番)  2014年   1月

パタゴニア(アルゼンチンとチリ)へ行ってきました。
目的は100万年以上前の氷河の上を歩くことと、氷河が崩落する瞬間を見てみたかったのです。
両国とも2回目でアルゼンチンは25年ぶり、チリは14年ぶりです。
参加者は男性6名、女性11名の計17名でした。
今回は又しても予期せぬハプニングが二つも起こりました。

1日目 1月28日
✈ 15:05 発 成田 デルタ航空 (747-400)
  13:25 着 アトランタ(出発までラウンジで休憩)
  20:30 発 アトランタ デルタ航空 (767-300)

Aircraft Icingを霧のような水をかけて氷を解かす珍しい作業光景が機内から見られた。その為に、出発が50分ほど遅れた。

因みに飛行機が着陸する際、勢いよく「ドンッ」と地面にぶつかるように降りる時があるが、あれはパイロットが下手なのではない。
雪や雨の日は敢えてそうしないとスリップをして大事故につながることがあるからだそうだ。

今回のルート

アルゼンチンは南米大陸の南西側に位置しており、チリ、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ブラジルと国境を接している。世界第8位の国土面積を誇り、首都はブエノスアイレス。

2日目 1月29日
  07:55 着 ブエノスアイレス (エセイサ国際空港)

ここで一つ目のトラブル発生!
一人の女性がスーツケースを残して忽然と消えたのだ。
まるでミステリー映画のように・・・

機内では楽しそうにおしゃべりをしていたそうだが。この時点ではまだメンバーの顔触れを把握していなくて、どんな人だか自分には分からなかった。
いくら探してもいなくて、諦めて国内線の空港まで1時間ほど移動。
12:20発なので充分間に合うはずであったが、乗り遅れて他の便に変更する羽目に。
加えて変更手数料まで取られた。もちろん、我々の負担ではないが。
やっとこの日の最終便にやっと乗ることができたが、もしできなかったら、全員分のホテルを手配したり、スケジュールの調整をしたりと大変なことになっていたであろう。

✈ 17:15 発 アエロ・パルケ空港 アルゼンチン航空(737-7                                                                                                               00)
  20:15 着 カラファテ

21:30 ホテル着 
バスが着くと行方不明だった人が中から出てきた。
思わず「エエッ?」と
一人でこのホテルまでスーツケースを持たずにやって来たのだとか。
全く、人騒がせな人だ。どうしてそんな事をしたのか理由は不明・・・
きちんと全員の前で説明がなかったし、添乗員さんからの説明も、もちろんなし。こういう点が添乗員の力量が窺い知れる。
しかし、まあ、事件や事故などに巻き込まれていない事は安心だ。
長旅だったし、どっと疲れた。

パタゴニアについて
南アメリカ大陸の南緯40度以南でアルゼンチンとチリに跨る地域。
1520年、マゼランが南米を訪れた際に見た原住民がグアナコ(アルパカよりも毛が薄い)の皮で作った靴を履いていた。
それを大きな足=パタゴンと呼び、パタゴンが住む地域、パタゴニアとなった。
面積は110万㎢で、日本の約3倍もある。一年中風が吹く、風の大地である。

3日目 1月30日
朝食:野菜なし、果物なし、暖かいものなしでパンのみ🤒

終日、ロス・グラシアレス国立公園の観光。

8:00 ホテル出発
1.アルヘンティーノ湖
アルゼンチン最大の淡水湖でその表面積は1,415㎢。
「カラファテの木」があり、実もなっていた。この実を食べると又この地に戻って来られるという伝説があるとか。
街の名前はこの木が多く自生しているために名づけられた。
「クロエリ白鳥」が泳いでいた。これは首だけが黒くて体は白いので、とても珍しい。
因みにオーストラリアでは白鳥はいなくて黒鳥のみが生息する。

2.ロス・グラシアレス国立公園
南極、グリーンランドに次ぐ大きさを誇る氷河地帯があり、1981年に世界遺産に登録された。
約4,450㎢の面積は東京都と神奈川県がすっぽりと収まるほどの規模。

ペリト・モレノ氷河の展望台にて15階建てのビルの高さに匹敵する大迫力の氷河を見ながら崩落を待つ。
何度か小さな崩落と2回ほど大きなものも見ることができた。崩落の前には必ず「バキバキバキーッ」と雷のような轟音が聞こえる。落ちた氷塊は水面を大きく揺らしながら波を作り、徐々に消えていくことを繰り返していった。これが見られて大満足!

氷河の崩落の瞬間

1988年には大崩落があって、32名の方が亡くなり、2004年3月14日には氷河と展望台側に繋がっていた橋が落ちた。

3.リコ湾からミニクルーズ
氷河の近くまで接近することができた。

昼食:アルゼンチン風ミラネサ(ビーフカツレツ)

午後には気温が上がり氷河の崩落が見られるチャンスが増えるため、再度、ペリト・モレノ展望台へ戻った。
風も出てきて寒かったが、チャンスを待った。1度、とても大きな崩落があり、待ったかいがあった。

ホテルへ。戻る途中にはフラミンゴがたくさんいた。
夕食:サラダ(レタスが古かった)、ロールチキンソテー、フルーツサラダ

ここで第二のトラブル発生!!
突然添乗員さんから重大な発表があったのだ。

それは明日予定されている「氷上ミニトレッキング」には66歳以上の人は参加ができなくなった事。理由は先日このトレッキングでクレバスに落ちて死亡事故が発生したため。その人の年齢が66歳だったのだとか。
1週間前に66歳になった人はもうカンカンに怒っていた。それを知っていたら、このツアーには参加しなかったと。人の健康状態はそれぞれ違うから年齢で区別するのはおかしいだろう。うん、分かる、分かる・・・
その代わりとして、終日いろいろな氷河を巡るクルーズに参加をすることになり、大体半分の人がそちらに行くことになった。この人たちは全員トレッキングをするつもりでいたので相当ガッカリした様子だった。
あまりにも突然の話で言葉もない。
日本を出発する前に判明していたのに旅行会社は黙っていたのではないかと勘繰る人多し。

後記:その後、行った人の話では現在はもっと年齢が下げられているとか。行く時は確認をされた方がよいかと思います。

4日目 1月31日
前日に引き続き、ロス・グラシアレス国立公園の観光。
クルーズ組とトレッキング組とに分かれて出発。

7:20 ホテル出発。
国立公園までの道中にはコンドルや野ウサギが見られた。コンドルは体長約1mで両方の翼を広げると約3mにもなる。飛んでいる姿は力強くて生命力を感じる。

公園から船にて対岸へ。
3人の英語ガイドさんに案内をしてもらう。
まずは人生初めてのアイゼンを着用。もちろん、つけ方は知らないのでガイドさんにつけてもらう。アイゼンは8本の横板がついており、重さは片方が1kgで「ひえ~重いぞ・・・」

アイゼン

歩き始めるとザクザクという我々の足音以外は無音で、一度立ち止まると辺りはとても静かで氷が溶けだして「ポタポタ」と水滴が落ちる音が聞こえた。それがとても軽やかに感じた。青色が見事に反射するクレバスでは「青ってこんなに綺麗なんだ!」と感激。

氷河の上をトレッキング

約1時間半のトレッキングだった。アイゼンを外すのは自分で行う。
外した後の足はまるで羽が生えたように軽やかだった。最後は氷河の表層部分にある約300年前の氷でお決まりの「オン ザ ロック」。
私は氷を浮かべた水だけ飲んだが、江戸時代の水の味は「う~ん、よく分からない・・・」
その氷は透明度が高くてガラスのようだった。

オン ザ ロック

昼食:お弁当

ホテルへ。
夕食:自由食

5日目 2月1日
朝食後、南パタゴニアで最高峰のフィッツロイ(3,405m)の登山口であるエル・チャルテンへ向かう。

7:30 ホテル出発
パン・アメリカン ハイウェイ、ルート40を北上。
途中には、グアナコやチョイケ(ダチョウの小さいの)が見られた。

ルート40

ラ・レオナ ホテルにてお手洗い休憩。
ここは映画「明日に向かって撃て!」のモデルになったブッチ・キャシディ達が泊まったホテルとして有名。レモン・タルトが美味しいそうだ。
1905年、このホテルにチリに向かう途中の3人のアメリカ人が1か月ほど宿泊した。
彼らが出発した数日後、指名手配中の写真を手にした警官軍がここを訪れてホテルのオーナーに見せたところ、銀行強盗だったこと判明した。

11時ごろ、一度ホテルへチェックイン。

11時半、セロ・トーレ展望台へ向かってハイキング。
ニレの木、レンガの木、カラファテの木などが見られた。
ニレとレンガはニュージーランドとタスマニアとパタゴニアでしか自生しておらず、ゴンドワナ大陸として繋がっていたことが伺える。

セロ・トーレに向かってハイキング

マルガリータ滝で休憩。

13時過ぎに展望台(標高700m)へ到着。
少しだけ、セロ・トーレ山(3,128m)が、麓にはトーレ氷河とトーレ湖が見えた。

昼食:お弁当

帰り道には赤い頭のマゼランキツツキがものすごい音を立てて、木をつついていた。チェーンソーかと思ったほど。

山小屋風のホテル着(フィッツ・ロイ ビューの部屋とそうではない部屋がある)

夕食:アサード

6日目 2月2日
朝食:又してもパンやパウンドケーキしかない。
朝食に甘いパンしか食べないのはイタリアの影響かな?
イタリア系移民が一番多いから。
イタリアでも安いツアーだとこれしか出なくて辟易する。
添乗員さんがおにぎりを用意してくれたが、炭水化物ばかりで栄養のバランス最悪!これじゃ、体がもたないよ。ブツブツ・・・

青く澄んだ湖越しに見える名峰フィッツ・ロイが望める絶景の展望ポイントである「カプリ湖キャンプ場」へのハイキング。

フィッツ・ロイ山(3,405m)について
先住民のテウェルチェ族の言葉ではチャルテンといい「煙をはく山」と言う意味。
その名の通り、常に雲に覆われて見るのは難しいのだとか。
1834年、サンタクルス川の探検を行ったビーグル号(第二回目の航海)の船長だったフィッツ・ロイに因んで名づけられた。

今日は朝から天気が良く、フィッツ・ロイ山が間近で綺麗に見えた。
1か月で4,5回しか見えないらしく、ラッキー!

左はセロ・トーレ 右がフィッツロイ

道中にはタンポポが満開で、「レディースリッパ」というラン科の花や「クラベリージュ・アスール」というバラ科の青い花などがとても綺麗だった。

ラス・ブエルタス川が見下ろせる地点に到着。
「蛇行」という意味のクネクネした川で、見下ろすと赤い屋根の家が一軒あった。後ろにはピンク山があり、ロッククライミングが盛んだとか。
コンドルがヒュ~ッと一羽飛んで行った。キャ~、カッコいい!
レンガの木の森の中をしばし、歩き、「鹿に注意!」の看板も発見。

昼食:お弁当

その後、カプリ湖のキャンプ場へ到着。
しばし休憩の後、来た道を戻った。

途中、昨日は見えづらかったセロ・トーレ山がくっきりと見えた。
よっしゃー!

3時ごろホテルへ到着。

7日目 2月3日
朝食後、国境を越えて鋭く尖ったパイネの岩峰と氷河湖が美しいパイネの町へ向かい、410kmの移動となる。

8時半にホテルを出発して、20分後くらいに「ビエドマ氷河」と「ビエドマ湖」が見えてきた。
辺りはパンパ(大草原)で周辺では12,000年前の壁画や恐竜の化石が発掘されて研究がされている。
グアナコ(ラクダ科で50km/hで走り、荒っぽい性格)にも遭遇。

グアナコ注意の標識

再び、ラ・レオナ ホテルでトイレ休憩
一昨日よりも人が少なく、ゆったりできた。

その後、グアナコの死骸の傍にコンドルが二羽いる場所に遭遇。
その周りにはパタゴニアン・グレイ・フォックス(狐)とカラカラ(カラスでずる賢いとの事)が獲物を狙っていた。
馬に乗ったガウチョの姿も見られ、ラッキー!

ガウチョ

再び、カナダのフェアバンクスからフェゴ島まで続く、パン・アメリカン ハイウェイ(40号線)に進んだ。
チェ・ゲバラの「モーターサイクル ダイアリーズ」にも登場する。

昼食:スープ、パスタ、フルーツサラダ

16時ごろ、アルゼンチンを出国
17時ごろ、チリに入国(ラピスラズリを見たが、とても手が出るような値段ではなかった)

チリは全長4,000km、幅100kmの世界で最も細長い国で首都はサンチャゴ。

チリに入るとグアナコが群れでいる。

グアナコ

18時半ごろ、トーレス・デル・パイネ国立公園到着。
パイネとはテウェルチェ族の言葉で「青」という意味で面積は大阪府がすっぽりと入るほどの広さがある。岩峰の中で一番高いパイネ・グランデ山は3、050m。
約1,200万年前に花崗岩が隆起をして、その上の堆積岩が氷河で削られて今の岩山になった。

パイネ国立公園

途中、アマルガ湖にて写真ストップ。
また、パイネ川やパイネ湖も青くて感激。

ホテルへ。
夕食:ビュッフェ

ホテルはパイネ ビューのみで窓が広くて素晴らしい景色が望めるようになっていた。外は庭になっており、白馬が草を食んでいた。
しかし、設備は今一で、バスタブはあるが、栓がなく、一人分のお湯しか出なかった。
ドライヤーも壊れていた。TVはなし。部屋の壁も薄く、隣の人のいびきが聞こえた。

8日目 2月4日
朝食:ここにきてやっとスクランブル エッグが出た。新鮮な果物もたくさんあった。少しはましだが、まだまだ栄養不足が続きそうだ。

朝食後、パイネ国立公園内にある「クエルノス展望台」へハイキングに出発。

クエルノス展望台へ向かってハイキング

グレイ湖畔に到着。

グレイ湖にはこのような氷河の塊がポカリポカリと浮かんでいる

1度に6人しか渡ることのできない橋を通って森の中を散策。
グレイ湖に沿って1.5km歩き、丘の上まで行くと公園内で最大の氷河がみられた。

サルト・グランデ滝
氷河が解けることによって流れる水が造り出す滝。

昼食:ミックスサラダ、ポークソテー、アイスケーキ

再びハイキングへ出発するとペオエ湖が見えてきた。
2011年の森林火災で一度は焼け野原になってしまったレンガとニレの木に囲まれながら、どんどん歩いて行くとノルデンフェールド湖が見えてきた。
19世紀末にはフィンランドの鉱山学者がこの辺りで「ミロドン」と呼ばれる巨大生物の骨を発見した。

帰り道に足元ばかり見て(石ころだらけなので)歩いていて、ふと顔を上げると「うわー、ビックリした!」。🦙グアナコの群れが近づいてきたのだ。そのうちの1頭は1mの至近距離まで近づいてジッと我々を凝視したが、人間を怖がる様子もなく悠々と通り過ぎて行った。近くで見るとかなり大きい。

プエルト・ナタレスのホテルへ到着。
夕食:キッシュ、メルルーサのグリル、カラファテ・ムース

9日目 2月5日
朝食後、マゼラン海峡に面したチリ最南端の町、プンタ・アレーナスへ。

7時半にホテルを出発。
道中、ルピナスが咲き、コンドルが飛び交い、羊は原野をのどかに移動する様子が見られた。

ルピナス
羊の群れ


湿原の方にはフラミンゴの群れが見られた。いつ見ても綺麗な鳥だ。

オトウェイ湾のペンギン コロニーに到着。🐧
クロアチアから来たクサビッチ家の私有地でマゼラン・ペンギンを見学。

昼食:サラダ、羊の丸焼き(アサード)、アイスクリーム
地元のTVの取材が来ていた。

クルーズの丘で写真ストップ。
白い十字架があるだけの丘だが、マゼラン海峡の濃い青色の景色が素敵。

マゼラン海峡を望む

アルマス広場にはマゼラン像があった。

ホテル着
夕食:素麵(自分は遠慮した)他。

この町の近くには「ミロドン」の洞窟がある。ミロドンはナマケモノの祖先で、体長は3~4mもあり、体重は1トンから2トン。

10日目 2月6日
朝食後、フェリーでマゼラン海峡を渡り、フェゴ島へ。
更度、国境を越え、チリからアルゼンチンへ入国し、世界最南端の都市、
ウシュアイアへ向かう。

8:15ホテル出発
10時半ごろ、プンタ・デルガーダ到着。

ここからフェリーに乗船。途中にはイルカが泳いでいるのが見え、我々が「可愛いね~」と言っているとある外国人に声をかけられた。

どうも日本人がイルカを愛おしんでいる様子が解せない様子だった。
あなた達は太地でのイルカの追い込み漁をどう思うか」と聞いてきた。
最初、「たいち」が「タヒチ」に聞こえてこの人は何を言っているのだろうと思った。そもそも「太地」という言葉が日本の地名だという事さえ知らなかった。
更に肝心の追い込み漁についても知らなくて、何のことかと逆に質問することになってしまった。ニュージーランド人だというその人はかなりの真顔だった。
でも、我々がキャーキャー言いながら、イルカ ウォッチングを楽しんでいたのは伝わったと思うが。

12時ごろ、フェゴ島到着。

昼食:バス車内でお弁当。

14時半ごろ、サン・セバスチャン(チリ国境)へ到着。

再度アルゼンチンへ入国後、ここから、ブエノスアイレスからウシュアイアまで3,300km続く国道3号線を南下していく。

途中、リオ・グランデという町を通過し、フェニーノ湖、ヴェルデ湖、エスコンディード湖や雪の積もったアンデス山脈が見られた。

20時過ぎにホテル到着。
夕食:スープ、メルルーサのグリル、アイスクリーム

ウシュアイアの町
南極まで約1,000km。人口は6万5千人。
ウシュアイアとは先住民ヤーガン族が「湾の終わり」と言ったことから名づけられた。
ビーグル号に乗ったダーウィンが世界に広めて、当初はイギリス人が住み始めた。その後は流刑地としての役割を果たした。
パンアメリカン ハイウェイの終点でもある。

11日目 2月7日
8時半ホテル出発。
ガイドさんは日系人で祖父母が沖縄から移住された方だった。

世界の果て号に乗車
1910年に囚人達によって建設されて、終点は監獄。木材や石炭を運んだ。
約8kmの区間を蒸気機関車によって牽引されている。
時速30kmで走り、途中、マカレナ滝で写真ストップしてくれる。

世界の果て号

エンセナーダ湾
世界の最果ての地の郵便局で絵葉書を投函した人も。

ロカ湖、ベルデ湖、ビーバーダム、ラパタイア湾など。

昼食:ビュッフェ

ビーグル水道クルーズ
太平洋と大西洋を結ぶ海峡で1932年にビーグル号が発見をした。
マリーアン島に上陸し、ボラックス・ブミフェラ(苔の一種)まみれだった。イワウミウ、コウテイウミウ、アシカなどがいた。

アシカ?

ホテルへ。
夕食:自由食

12日目 2月8日
✈ 10:30 発 ウシュアイア アルゼンチン航空 (737-80                                                                                                                     0)
  13:30 着 ブエノスアイレスのアエロ・パルケ空港

ガイドさんは同じく日系人の方。
ホテル到着。

午後はフロリダ通りを散策。

夕食:シーザーサラダ、ポークソテー、コーンカラメル、アイスクリーム

13日目 2月9日
朝食:又しても甘いパンやお菓子ばかり。

午前中は自由行動。

12時過ぎにホテルを出発し、南米のパリとも呼ばれるブエノスアイレスの市内観光へ。
ここからは2度目の訪問なので、懐かしく思いながら楽しんだ。

7月9日通りをドライブ。オベリスクやピンク色の「酔っ払いの木」などが見られた。

レコレーター墓地
約4,400ものお墓がある。ペロン大統領の妻だったエビータのお墓もある。

コロン劇場
1980年に建築。約3,500人収容でき、世界でも5本の指に入るほどの劇場。

昼食:サラダ、エンパナーダ、チョリソー、アサード

5月広場 市の中心となっている。

カテドラル
祭壇には金塗りのマリア像があった。本日は日曜日の為にミサがあったが、中に入ることはできた。

カーサ・ローダ(大統領府)ピンク色の壁が珍しい。

カミニート
港の近くにあり、移民が多く住み着いた場所。船に塗るペンキの余った物を家に塗ったために現在のカラフルな通りになった。

カミニート

✈ 21:30 発 ブエノスアイレス デルタ航空(767-300)
          ここで、初日に消えた人からグループの全員に                                         チョコレートをお詫びとして頂いた。

14日目 2月10日
        06:00 着 アトランタ (出発までラウンジで休憩)
✈ 12:30 発 アトランタ デルタ航空 (747-400)

15日目 2月11日
  16:50 着 成田

今回はトラブルが続いたけど、壮大な景色が見られたし、自分の目的は達せられたので良かったです。

南米とアフリカは普段から山登りなどをされている方以外は、体力のあるうちに行くことをお勧めします。

写真は旅行会社さんのパンフレットから引用させていただきました。
お礼申し上げます。

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