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ブルースの名盤を大量に手に入れた

私は毎日カントリーミュージックやその周辺の音楽について書いているが、カントリーミュージック一辺倒というわけでもないので、時々クラシックを聴いてみたり、演歌を聴いてみたりしている。

今日は、ハウリン・ウルフを聴いている。ハウリン・ウルフはブルースの大家である。ミシシッピ出身だがいわゆるデルタブルースのような感じではなく、エレクトリックなサウンドでロックにも多大な影響を及ぼしたブルースマンである。

金曜の夜にブルースを聴くのがブルース道として正しいのかどうなのか、本来は月曜日の朝に聴くべきものなのかと疑問を感じながらも、聴いている。
みんな、月曜日がつらいつらいと言っているけれど、火曜日の憂鬱も月曜日と大して変わらない、とTボーン・ウォーカーも言っている。火曜日も憂鬱なら、金曜日の夜も憂鬱でいいではないかと思いながらハウリン・ウルフを聴いている。

ハウリン・ウルフの"The London Howlin' Wolf Sessions"というアルバムで、ブルースの大家が事もあろうにロンドンのミュージシャン(それも大物ミュージシャン)とレコーディングしたアルバムだそうだ。

これがまた凄い、やっぱり凄いミュージシャンは国籍関係なくどんな音楽でもできるのだなぁ。

ブルースというのは、所謂ブルース進行(12小節ブルースとか8小節ブルースとか)の曲ばかりなので、慣れない方が聴くと全部同じ曲に聞こえるのだが、実際私にも全部同じように聞こえる。しかし、こういう金太郎飴のような音楽は俄かにできるものではない。長年の熟練とか、センスとか、努力とかそういったものが混ざり合って、苦しいのか楽しいのかわからない世界で成立しているのがブルースという音楽なのだ。

マイルス・デイヴィスが音楽学校(忘れてしまったがジュリアードだったかな)で先生に「ブルースは貧しい黒人の中から生まれた苦しみを歌い上げた音楽です」と言われた際

「俺の親父は歯医者で、金持ちで、母ちゃんは美人で幸せだけど、俺には世界一ブルースの才能があるよ」

と言ったみたいなことをモノの本で読んだのだったか、レコード屋のオヤジに聞いたのだったかしたのだけれど、マイルスのいうのも一理あるのだろう。ブルースは決して辛いとか苦しいとかそういうことだけの音楽ではない。むしろ、ブルースマン達は、楽しい気持ちも苦しい気持ちもブルースという音楽で表現できてしまう。

ハウリン・ウルフのこのアルバムも、歌詞の内容はしみったれているかもしれないが、一緒に弾いているロンドンのミュージシャン達はイキイキとして楽しそうだ。きっと、彼らはヤバいやつをキメながらハウリン・ウルフと楽しく録音したのだろう。しかめっ面して演奏しているようには聞こえない。

しかし、ロンドンにはアメリカよりもいい機材があったのだろうか。やけに音質が良いし、楽器の音もアメリカ録音のチェスレーベルのレコードなんかよりも随分とクリアで抜けがいい。70年代のロンドンの売れっ子ミュージシャンが集まってやているのだから、使っている機材も一流品だろうから、そういう影響もあるのだろうか。

肝心のハウリン・ウルフもドスが効いた声で唸りまくっている。このアルバムを出した後、1枚のライブ・アルバムと1枚のスタジオアルバムを出して、彼は亡くなってしまうのだが、このアルバムを録音した時彼は60歳ぐらいのはずなので、まだまだ元気だ。BBキングも60代ぐらいの時は凄かった。いや、もっとその前もすごかったのだが。

ブルースマンの中にはロバジョンみたいに20代ですでに完成しちゃっている人もいるけれど、やっぱり年季が入ってくるとそれはそれでしか出せない味みたいのがある。おでんも作りたての出汁で美味しいおでんもあるだろうが、長年煮込んで継ぎ足し継ぎ足しの出汁の味、あれはあれにしか出せないものがある。鰻もまた然り、継ぎ足し継ぎ足しの、、まあいいか。

なぜ、今日ハウリン・ウルフを聴こうかと思ったかというと、実は昨日近所のリサイクル・ショップでブルースの名盤が大量に売り出されていて、そこで入手してきたのだ。

その、リサイクルショップで働いている方々がまた、なんとなくブルースという音楽が似合う感じのするおじさん達だったので、やけにリアリティーがある買い物ができた。これが、20代パツキンのギャルから買うのとは全然訳が違う。マイルス・デイヴィスには悪いが、まさに本物のブルースマンから直々にブルースの名盤を購入させていただいたような気分がして、そのやけに安い値付けも含め、大変満足した。
その満足感を抱えたままハウリン・ウルフの歌声を聴くと、なんだか私もロンドンではないがこの東京という街に住みながら本物のブルースをいつか弾けるようになるのではないかと錯覚してしまうのだ。

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