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父親へ(超個人的)


父親へ、父親のためだけに特別な遺書を送ります。今すぐ死ぬわけじゃないけど、自分の感じている気持ちを書き留めておく用にも使う。

いてくれて有り難かったことと嫌だったことを天秤にかけると、嫌だったことのほうが少し下に傾きます。
この時点でイラッときたなら読むのをやめてください。お互いストレスを感じるのは何も生まないので。

まず最初に、強く叱責された記憶があります。
あなたは男性だから分からないと思いますが、自分の勝てない相手から強く怒られたとき感じるのは、怒られた理由よりも恐怖の感情です。叩かれないように、家から追い出されないように、相手の機嫌を損ねないようにしようなどの、理由を考え反省するものではなく、その逆である、思考の硬直です。
恐怖政治は、あなたの嫌いな某国や某党と同じですね。皮肉です。
そのために、私は今でも大人の男の人が苦手です。自覚できたのも高校生頃で、それまでは無意識のうちに男性に対しニコニコ愛想をふりまいていました。笑顔なのに異常に疲れるのを不思議に思い、また男性への嫌悪が強かったために気づきました。

特に怖いのは、男性の運転する車です。私は車に乗せてもらう際、財布とスマホが手放せません。あなたが私や弟妹を車から引きずり下ろそうとしたことが何度もあるからです。
幼い私は車に乗っているときや乗る前には、必ず「ここで降ろされたら、ここの公衆電話を使って警察に助けてもらって……」というシナリオを考えていました。いつあなたが怒るのか分からなかったからです。怒られたときに反省できず、恐怖だけが頭にこびりついているので、あなたがいつ怒るのか分からなかったのです。幼子に冷静に諭すなどできないと、体に覚え込ませなければいけないと、あなたは主張するかもしれません。ですが、身体的虐待・心理的虐待の特徴も、あなたのしてきたことと同じだということを、思い出してほしいです。虐待は養育者の気持ちの問題ではなく、受け取る側の問題なのです。
大人しくて、騒がなくて、親の後ろを静かに着いてくる子。そういう子どもを求めていたのですよね。あなたの望む子どもになれなくて申し訳ないと思っています。反論するとすれば、あなたは自分の尊厳を貶められたときやイライラしたときに怒っていたと思いますが、あなたの妻である私の母は、私たちが危険なことやルールに反したことをしたときに強く怒っていました。その違いを分かっていただけたらと思います。

そのために、私は大人しい子に育ちました。家族で出かける際、あなたが先に歩いていってしまうのに、子どもの着替えを背負った母と幼い弟妹はスピードが遅く、不安だったのを覚えています。このまでははぐれてしまうので、いつも私はあなたと彼らの間でひとり、目印のように歩いていたのを、前を歩いていたあなたはきっと知らないでしょう。実は、楽しい思い出の際には必ず、「はぐれたら置いていかれて捨てられる」と恐怖しながら歩いた記憶があるのです。親から捨てられる恐怖を、あなたは分かるでしょうか。

名古屋にある児童館へたくさん連れて行ってくれましたね。あのときも、父親の場所を常に心配していました。置いていかれたらこうしよう、あと何分間は機嫌が良いはずだから遊ばせていいはず。そんなことを考えて遊んでいました。常に恐怖があったことをあなたは知らないでしょう。私も大きくなってから気づきました。それくらい、あなたに捨てられる恐怖が身に滲みて、習慣になっていました。

クレヨンや掃除機や腕時計やベランダや雨の中の車内や色々色々、あなたは忘れているでしょうが、私は色々なことがトラウマです。腕時計を見ると、あなたに怒鳴られたことを思い出します。あなたが適応障害になったときも、きっとこんな症状が出たのではないですか?寝ても醒めても嫌な記憶が蘇ってきて、苦しかったのではないですか?私は幼少期から積み重ねてずっと、こんな生活を送ってきました。それも、一番恐ろしい対象と同居して、機嫌を損ねないようにしなければならないのです。ずっと緊張してきて、今でも体がこわばるということを、理解していただければと思います。

私が小学生の際、お小遣いで父の日にビールグラスを買ったことがありました。パパありがとう、なんて手紙も付けたかと思います。覚えていますか?きっと覚えていないと思います。一度も使っているところを見たことがないので。

高校受験の際に、志望校を変えろと私に迫り、担任に再度の三者面談をさせて、結局あなたが折れたエピソードは覚えていますか。「お前が行きたいところへ行かせたい」と言いつつ、変えるよう迫ったのは別の学校でしたね。建前が透けて見えており、私の意思を大事にしてくれていないことが分かって、落胆しました。

大学受験の際に、受験校に加えろと言ってきたのは、女子大でしたね。最低限の基準として、女子大だけは絶対に通わないと決めており、その旨も伝えたはずなのですが、あなたは無視して受験を強要しましたね。

大学の卒業式の日、来なくていいと再三伝えたにも関わらず、私に干渉してきましたね。会いたくないときっぱり伝えたほうがよかったでしょうか。ですが、そう言えばあなたが傷つくと思い、言い出せずにいました。その点に関しては申し訳なく思っています。言わずにあなたの尊厳を傷つけてしまい、申し訳ありません。

記念日ごとの記憶のほうが強いですが、日常の記憶では、あなたに反発したとき部屋へ呼び出されて、正座で二時間の説教を受けたことをよく覚えています。怒られた内容や説教の話は全く覚えていないのですが、おおかた親を無視しただとか、親への愛想が足りないだとか、そういうことが原因だったかと思います。
そのときに、あなたの怒るポイントを知れたことはよかったと思います。あなたは、あなたの尊厳が傷つけられたと感じたときに怒るのであって、私のために言ってくれているわけではないのだと気づけました。
会話を試みるとあなたの演説が長引くので、最低限の相槌だけをするようになりました。なにか返事をすれば、その返事の仕方で怒られるので、返事をしないようにしました。私があなたと会話をしないのは、あなたの演説(≒説教、説法、父としての言葉的なもの)が長く、無意味なものだからです。会話と演説は違うということに、あなたは気づいていないかと思います。

ここからは、父親がいてくれてよかったことです。

沢山いろんな場所へ連れて行ってくれましたね。場所自体に恨みはないので、いろんな場所を知れたのは良かったです。

回転寿司へ行かないことと、父親のおすすめ店では、父親のおすすめメニューしか頼めない制度もよかったです。おかげで、友達と行った際には、回転寿司は楽しいんだ!メニューを自由に選んでいいんだ!とたいへん嬉しくなった記憶があります。

小学校最後の年に、卒業祝いの腕時計を買ってもらえなかったのもよかったです。
中学二年生のとき、ポイントを貯めてようやく買えた3000円の腕時計は、誰から贈られるものよりも高価に思えました。

人の見た目をあげつらう関わり方も、参考になりました。おかげで私は、人の見た目で会話を始めたことがありません。

大学生のとき、おすすめのスマホを教えたのに感謝の言葉がなかったと怒ったことがありましたね。あれは良かったです。報連相を意識するようになりました。

PCに強かったのも、よかったと思います。自分の主張を押し通してくるところが玉に瑕だとは感じています。

私が自分で死を選ぶときがあるとすれば、それはあなたからもらった言葉で私の首が締まったからだと思います。
社会不適合者、産廃、ゴミ、クズ、死ね、いないほうがいい、邪魔、早く死んだほうがいい、などなど、自分自身にそう言葉をかけてきました。きっと、あなたからもらった言葉で構成されているのだと思います。あなたからもらった言葉たちは、死へ続く道を舗装してくれたのだと思います。
世界は厳しく、私は社会不適合者で、私は存在自体が邪魔で、いないほうがいいと、教えてくれてありがとうございました。あなたが私にくれた愛ですよね。そうじゃないと私は、あなたの言葉のせいで泣いた夜を受け入れられません。

今日も「お前」と呼ばれ社会不適合者だと怒られた17時29分。奨学金を返したら、すぐにいなくなるからね。

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