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甘えをどうするか

加藤諦三さんの本を読んでいて、五歳児の大人というワードが出てきた。幼い時期に、親に十分甘えられないと、心が未成熟のままで、社会に出てからも無条件に甘えられる相手を見つけてしまう。例えば、上司・同僚に甘える等。仕事のために会社に来ているのに、気づかぬうちに、上司や同僚にちやほやされたいと考えている。だから、型にはまった指示のもと作業をする分には問題はないが、ひとたび自分で考えろと言われると辛くなる。

親に十分に甘えられた人は、心が満たされる。ですから、親を離れても、友人とか先生とか、他人に対して甘えを求めないから、信頼関係を築ける。他人とのつながりの中で生きられるから、挑戦もできるし、失敗しても仲間の支えがあるから現実に耐えられる。つまり、安全基地を仲間との人間関係の中に見出せる。
しかし、甘えが満たされてない人は、他人に一方的に甘えるから、他人との信頼関係を気づくことはできない。負荷のかかる義務を他人との間で果たせない。結局、他人の指示に従うか、他人に自分のわがままに従ってもらうかの二択しかなくなる。

そこで思うのが、この安全基地問題ってカウンセリングで解決できるのかと。心理療法で、クライアントの心を成長させ、仲間や集団の中に安全基地を見出し、つながりの中で生きていくことを援助できるか?
たぶん、完全には無理なんだと思ってしまう。他人に甘えたいという、心の子供は永遠に幼いままだから。もちろん、そんな幼い心に気づいて行動を変えていくことはできるのだろうけど、持病と同じで、うまく付き合っていくしかない。

そうすると、結局、安全基地は、自分の中に見つけるのが良いのではないかと思う。この言い方が正しいかは分からないけど、自分の中に頼れるもの、信じれるもを作り出すしかない。
例えば、職人、芸術、学問、教師等の仕事でキャリアを構築するのがいいと思うんですよね。
これらの職種であれば、自分の技術・感覚・知識を頼り、自分の能力に甘えて仕事をすることができると思う。そうすると、他人は、その能力に頼ってくれる。
人間関係の中で責任を負っていくのはとても大変だし、無理やりその環境で頑張らなくても良いと思うんです。人間関係の中でストレスに耐えることだけが成長ではない。置かれた場所で咲くことができない場合もある。ですから、自分の興味、好きなこと、得意なことを理解しつつ、自分の居場所は自分で作るという覚悟も大事なんだなと思いました。


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