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【エッセイ】用法容量をきちんと守って


「はぁ…はぁ…はぁ…
先生、また最近苦しいんです」

「最近はどんな症状が気になる?」

「不安なんです。とにかく。
涙が出るしイライラもするし。
なんだか息もしにくい気がする。
いつまでこれが続くんですかね?
はやくこの苦しさから逃れたいんです…
だからほら、またあの薬か欲しいんです」


社会人になった頃からだろうか、
その病はいつも突然に私に襲い掛かった。
ただ幸いなことに、
この手の症状を緩和させる特効薬を
私は既に持っている。
有り余るほど処方してもらっているから安心だ。

「知」の口渇に犯されたその喉元に
手当たり次第に「言葉」を注ぎ込む。
お目当ての「それ」をごくり飲み込めたとき
私を苦しめた症状はすーっと消え
穏やかな生活に戻れるようになるのだ。


”ルンペルシュティルツヒェン現象”
=対象の名前を知れば、
その対象を支配できるとする概念のこと。

へんてこな名前をしたその現象は
「名前の神秘性」を謳った
とあるグリム童話の中に登場する
悪魔の名前に由来しているらしい。

最近Twitterなんかでよく目にする
「この現象に名前つけて」系ツイートは
まさにその心理なんだろうなぁと思う。

銭湯や入浴施設は好きなのに
家のお風呂になると面倒くさくなるのは
どうしてなのか…誰かこの現象に名前つけて…
(出典:Twitter)
彼氏と会った直後~翌日くらいが
1番会いたくなって、1週間くらいすると
割とどうでも良くなる病気に名前つけたい…
(出典:Twitter)
「貯金を増やしたいならサブスクを見直すべき」
というツイートを見て
いくつかのサブスクを停止してみたら
5000円近くカットできたけど3秒後には
「さぁこの浮いたお金でどのワイン買おうかな」
って考えてるから、
もはや貯金増やせる気がしない。
誰かこの現象の名前つけて…
(出典:Twitter)

けっこうみんな、
本来名前なんてないネガティブな状態に
それらしい名前をつけることで
現実の「不条理」とか自分自身の「怠慢」とかから
なんとか目を逸らして
できる限り平穏に生きようと工夫しているみたい。


私もまさにそういう人間で、
日々の生活の中で襲いかかってくる
悩み苦しみの正体の名前を「知る」ことを
ある種の精神安定剤にしている。

「恐怖は常に未知から来る。
ならば知を得て恐怖に立ち向かうのみ」
これこそが私の座右の銘でもある。

ただ私はたまにその薬に依存し
時に過剰に摂取してしまい
人間らしさを失ってしまう瞬間がある。

「なんで私はこんなに苦しいの?
今は未だ私がそれを知らないだけで、
必ず答えはどこかにあるはず。
もっと考えなきゃ、もっと向き合わなきゃ」

スマホと本とノートを片手に
とことん私は調べあげようとする。
気が済むまで「知」を摂取しようとする。


現実は不条理で
コントロールなんて一切効かない。
そんな世の中に生きる人間もまた
傲慢なくせに怠慢な弱い生き物。

どれだけ言葉を知ってみても
どれだけ頭で考えても
その真理はどうせ変わらない。

だったらたまには考えるのをやめて、
「なんかわかんないけど、それが愛じゃん?」
「どうしようもないけど、それが人生じゃん?」
って感じのマインドで
なんとなーく過ごすのもいいのかな。

色んな本を読んでみたり映画を観てみたり
大切な人とぶつかったり慰め合ったりして、
最近そんな風に思えてきた。


「先生、今日もお薬もらえますか?」

「そうだね、じゃあ今日も
一応お薬は出しておきますけどね、
あまり薬の飲みすぎはダメですよ。
よく寝てよく食べて、
お風呂にもしっかり浸かってね。
素直に泣いたり笑ったり怒ったりしなさいね。
それが“人間らしい”というものですからね」

「はい、わかりました」

「じゃあ今日の診察はこれで終わりです。
あなたは何の問題もありませんよ。
あなたはこれから、
あいまいな世界ほど愛おしいのだと
少しずつ知っていくことでしょう。
だからあなたはきっと、大丈夫」

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