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【インタビュー】できない理由を探したら〜まだ何者でもない若者へ〜

「今まで決断できなかった理由って、お金と居心地の良い環境って気付いてん。逆に言うと、それだけやって気付いてしまってんな。」

 kisakiさん、25歳。大学卒業後、大手人材会社でリクルーティングアドバイザーとして2年間勤め、その後退職をして独立。現在はパンコミュニティNaturamの代表を務めている。「“ありたい自分”“なりたい自分”を見つけて、もっともっと輝こう」そんなメッセージをパン教室の講師として伝え、参加者が前向きになって帰る。そんな空間を提供している。持ち前の明るさとポジティブな言葉、そして行動力のある彼女の存在に背中を押された参加者は多く、私もその1人である。

 社会人3年目にして脱サラ。そんなある種「他とは違う特別な存在」に思える彼女の大きな決断を後押ししたのは一体何だったのか。そこに恐怖や不安はなかったのか。「未だ何者でもない若者の、小さな一歩に光を当て、頑張りたい若者に希望を与える」そんなコンセプトからなるこのインタビュー企画の第一弾に、真っ先に浮かんだのが彼女だった。

◆◇◆◇

 大学時代の彼女は教育系の学部を専攻していた。教員になる道ももちろん考えていたが「まだ社会のことを何も知らない自分に教師が務まるのか」そんな小さな不安から、民間企業への就職を意識していた。
 その当時に出会ったゼミの教授にこんな言葉を教わった。“Playful”仕事というのは楽しいものであっていい。これから社会人になる漠然とした不安を抱える彼女には、こんな希望的な言葉が強く胸に刺さった。
 ゼミでは企業向けのワークショップを経験し、そこでは企業に向けて、「職場に変革を起こすには?」「楽しい職場環境を作るには?」そんな提案を学生目線で行っていた。「たったの2時間でも、参加者の表情が変わっていくのが面白い。こんな空間をいつか自分でも作れたら楽しいだろうな」そんな感動を覚えていた。

 そして就職活動の時期を迎え、ゼミの先輩の就職先ということで縁があった人材会社の選考を受け、見事内定。都会の高層ビルの上層階にある就職先は、まさに「キラキラしたキャリアウーマン」にぴったりの職場に感じ、はたらく人や会社に選択肢を与える「転職・採用支援」の営業マンになった。ゼミの教授に教わった「仕事とは楽しいものであっていい」そんな考えを自ら顧客に伝えていけるのがこの仕事だと思い、意気込んで入社した。

 しかし、入社後早々に営業としてのノルマや数字、組織に求められる姿に悩む時期が続いた。新入社員研修では、やることのイメージはつくもののやりがいを感じられるポイントが見えてこない。現場に出て、一連の業務を経験しても達成感は正直あまりなく、「この作業の繰り返しを求められるのがこの仕事か」そんな単調なつまらなさを感じながら日々の業務に追われていた。気付けば、はたらく動機が、組織や上司に認められるための「やらなきゃ」という感覚ばかりになっていた。朝は8時から夜20時まで働き、隣にいてくれるパートナーには仕事の不満や焦りばかりをこぼすようになっていた。

 入社から半年たった頃、毎日仕事に追われる彼女を見つめるパートナーからある言葉を言われた。その時がきっかけとなり、立ち止まって自分のキャリアを考え直すようになった。「きさきは、何を大事にしたくて毎日そんなに忙しく働いてるん?」愛が故のその言葉だったが、自信を持って返せる自分はそこにおらず、もどかしさから自然と涙が溢れた。
 働く時間も自分らしくいたいと思っていたはずなのに、今の自分は…?その問いに真剣に向き合うと、「仕事も家族も自分も全部大事にしたい」そんな欲張りな自分がいることに気が付いた。「ある程度の収入は得たいし、家族やパートナーとの時間はゆっくり過ごしたい。あと自分がわくわくするものにも常に触れていたい」そう考えていた。
 そして同時に、欲張った分すべてを完全に叶えようとしてしまうその「完璧主義」が自分自身を苦しめ、結局欲しいもの全てに中途半端にしか向き合えていないと気付いた。

 そこから最初の1歩を踏み出し始めたのは、そんな自分の中途半端さに気付き始めてからすぐだった。あの時恩師に教わった“Playful”。仕事というのは楽しいものであっていい。自分が楽しみながら、家族との時間も大切にできる仕事を自分で生み出そう。自分の理想の働き方は「時間と場所を選ばない働き方」があれば実現するのではないかと、彼女は個人事業主になることを意識し出した。
 学生時代のゼミの経験から「ワークショップ」という人が集まり何かを得て帰っていく空間に興味があり、自分でもそれを作ろうと思い立った。趣味で行っていたパン作りをきっかけに、それを教える教室という形で自分の周りに人を集め、そこに集まった人たちの繋がりを生み出し互いに良い刺激を与え合う「コミュニティ」という空間を作る。人と人との繋がりが希薄になりつつあるこの時代にこそ、新しい繋がりを生み出すきっかけとなるコミュニティは、必ず世の中に必要とされると信じて走り出した。

 そこからは早速ネットを読み漁り、仕事の傍らパン講師の養成講座とビジネススクールに通う日々が始まった。時間もお金も余裕はなかったが、なりたい姿があるからこそこの自己投資は必ず必要になると信じていた。「今」学びを得ることが自分には必要だと信じ、将来夢を叶えて返す、という約束で親から資金の援助もしてもらった。
 仕事では効率よく業績もしっかり上げられる業務の回し方を最大限に工夫した。定時になると即仕事を切り上げ気持ちを切り替え、そこからは独立に向けた勉強の時間。二足の草鞋を履くこの生活は、ハードではあるものの苦ではなかった。夢に少しずつ近づいている実感がむしろ楽しかった。社会人2年目になった頃には、会社で効率的な仕事を続けてきた結果、初めて月間MVPに選ばれた。目に見えて成果が出たその時、「これでいいんだ」と実感し、むしろ副業に専念できると考え会社に執着しないようになった。

 しかし、走り出しこそ快調だったがやはり悩む時間も多かった。「仕事と両立しながらスクールに通う自分」に安心してしまっていた。自分を鼓舞する意味でもあえて周りには夢を公言しており、周囲から見ればそれは着々と前進しているように見られていた。しかし現実は、インプットするばかりで行動としてアウトプットできていない、学びを自分のものにできていないことにも気付いていた。
 そんな時にビジネススクールの講師にもらった言葉がきっかけとなり、前に進めるようになった。「30~40%の自分で走り出しなさい。100%完璧だと思って、結果不十分だった時、めちゃくちゃ辛いから」この激励に後押しされ、粗削りでもやってみる、自分のものとして世に出してみる、間違えたら修正する。そんなスタンスが自然と身につき、行動も増えてきた。

 そして、会社員としての環境に違和感を感じ始めて約1年半、ついに会社を辞め完全に独立をする時期が来た。前向きな気持ちで独立を目指し続けていた一方で、会社組織から離れることに不安もあった彼女は、決断のために「独立したい理由」ではなく「会社を辞めたくない理由」を考えてみた。すると、辞められない理由は「安定した月給と居心地のいい環境」だと気付いた。あえて言うと、それだけだと気付いてしまった。
 職場の人たちは優しいし良い人ばかり。そこそこの給料も毎月もらえる。しかしこの職場には、お金以外に「自分の欲しいもの」は転がっていない。そもそも毎月20万円をもらわないと生活ってできないんだっけ?そう考え、月々生活していくために必要な最低収入も試算した。そうやって1つ1つの漠然とした不安を現実的に整理した時、やっと独立の決心がついた。
 別に充分な自信がついたわけじゃない。万全な準備が整ったわけでもない。だけどやってみないと分からないし、どうせこのままの自分は好きじゃない。そう思いながら、彼女は前を向いて会社を退職していった。

 そして独立後、彼女は相変わらず忙しく毎日動き回っているようだ。平日はアルバイトに家事はもちろん、レッスンの企画やパンの試作、細かい事務作業に追われ、週末はレッスン本番。会社員時代と忙しさは変わらない、むしろ増しているようにも思えるが、唯一違う点は、自分を奮い立たせて働く感覚が無いこと。理由は単純で、やりたかったことだから、自分で選んだ道だから。
 日々のレッスンの中での参加者たちの前向きな言葉や表情に感動しながら毎日仕事を楽しめている。これからも、遊ぶように仕事をしていたい、誰かに愛を与えられるような仕事をしていきたい。そう笑顔で話してくれる彼女は、まさにキラキラ輝く働く女性だった。

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 大学時代から彼女を知る私にとって、脱サラして独立という夢を叶えた彼女は、他とは違う特別な存在なのだろうと、どこか他人事に思う自分がいた。しかし、インタビューをする中で見えてきた彼女の表情は、決してキラキラした明るいものばかりではなかった。自分の弱さや甘さに苦しんでもがいて、誰かの助けを借りながらも必死に前に走ろうとする、等身大の25歳だった。「大事なものを大事にしたい」そんな誰もが持つシンプルな願望を実現させるため、怖くても行動しようとしたか否か、それだけの差だと感じた。

 夢を持っていても、「実現させる方法」より先に「できない理由」を探してしまうのが20代の現実。「仕事が忙しいし」「お金に余裕ないし」「結婚や家族のことも考えないとだし」やらない理由なんて五万と湧いてくる。情熱大陸に出るような大人達は、みんなどこか遠い世界の存在で自分じゃ到底及ばない。彼女のような同世代の若者の存在を知った時、「すごい」という関心の気持ちと同時に「やられた」という嫉妬に似た感情を持つのもリアルだと思う。
 嫉妬けっこう、悔しさけっこう。未だ何者でもない私たち若者は、ライバル・同志の存在があってまた強くなろうとする。そうして刺激し合いながら小さな歩みを進めていって初めて、なりたかった自分に近づき夢を叶えていくのだと思う。私も嫉妬にまみれながらあがいているそんな若者の一人である。
 夢の大小を他と比べる必要なんてまったくない。ただ、今日の自分は、この先の人生の中で1番若くて可能性に溢れた存在。悔しかったら、やるしかないと自分だって気付いている。自分が特別な存在かどうかは、やってみないと分からない。

 私が今、夢を追いかけられていない理由って、結局何なんだっけ?

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