むすびについて話そうと思う⑥

あなたはご存知ですか。
サナギの中身が液体であることを。

ゴール前でヘロヘロになっているランナーのような状態で
どうにかこうにか走りきった虹園です。

大阪出張から帰ってきました。

ここ数年のひと繋がりの流れのなかで
夢中になって
どんどん没入して、
その夢中のなかで
数えきれない程の学びを得て
得れば得るほど
なにかに追われて
なにかに焦って
進化し続けなければと
まだまだ足りない自分に
バチバチ鞭打って
歯を食いしばって
どんどん息苦しくなって
スイスイ泳いでるつもりでいつのまにか溺れてて
見たい世界もわからなくなって
DANDAN悲しいことがいっぱい起きて
ZENZENうまく回らなくなってきて
ナチュラルポジティブが裏目にでて
それでもなお
前だけを見て
そのうちに感度が落ちて
産すぶ(産み出す)こともできなくなって
とうとう
からだが壊れたとき
脳内が静かな湖畔みたいになって
禅行の如く自分と対峙することになって
ようやく気がつきました。

限界がきたことによって罹ったことのない謎の奇病で
高温で燃やし尽くすみたいに熱が出て
いままで使ってきた脳の
要らない部分は焼け落ちたらしく
あれもこれも器用にマルチタスクしているつもりだった機能は
焼けてなくなり
あんまりいろんなことを一気に考えられなくなって
急にすごいポンコツになりました。
以前に増して「いま」しかわかんなくなって
計算もますますできなくなってしまって、
病気の後は
ただ決まっているスケジュールに
いまできる全力で向きあうことしかできなくなってました。
感情もいま感じているものを
出すことしかできなくて
所謂気遣いができなくなっていたかもしれません。
珍しくすごくイライラする時間が増えていたのも確かです。

私自身のパワー不足を自覚しながら
どうすることもできないまま
やるしかない状況が
やるせなくて、罪悪感でしかなくて、
辛くてたまりませんでした。

次に向かいたいキモチ
次につくりたいもの
いま心の中にあるものと
目の前に象られたものの解離を
感じざるを得なくて
もっともっとできるのに、と
不本意で、
でもからだが動かなくて
申し訳なくて、
かといって
いままでつくってきたものだって
心を込めて身を削ってつくってきたものだから
とにかくこの大阪が終わるまで
目の前にある私のエネルギーたちを
心を込めてお届けしなければと
ヨレヨレでした。

すきま鎌倉店で月1でオフ会しますが
それ以外は
暫し籠る予定。
サナギの時間。

もう
身も心もボロボロです。
いまはもう、頑張れない。
イメージとしては下りのエスカレーターを
一生懸命上っているみたいな
「そうじゃないの!!」って心と体が悲鳴を上げているような
そんな感覚でした。
ようやく降りました。下りだって気づいたので。


一区切りまでラストスパートであった
先週の大阪出張は
あんなにもだいすきな大阪だったのに、
毎日しんどくて、
周りのみなさんに助けてもらいながら
なんとか遂行。
ご一緒させてもらったみなさん、本当にありがとうございました。
感謝です。
最終日は、朝まで飲んでたけどパチッと目が覚めて
朝一に電車を変更して
とにかく、体を休めたくていの一番で鎌倉に帰り、
帰ってきてから3日間
気が付けば目が覚める(起きる)、を繰り返していて
三年寝太郎くらい眠っています。


イモムシが蝶や蛾などの成虫になるとき
一旦サナギという状態になるのをなんとなくみんな
知っていると思います。
だけどあのサナギの時、中身がどうなっているかって
調べたことあります??

実は、中身は一旦どろどろの液体になるそうです。
体の殆どすべてが溶けて、そこから新たに細胞分裂を始めて
成虫のからだをつくるために全くはじめから再構築するのだそうですが、
一旦液体になったのにもかかわらず、
成虫になった時、イモムシであった時の記憶はあるんですって。
なんかそれって輪廻転生的なものを感じますよね。

だとしたらその様子ってすごくフラクタル感じるっていうか
最近私の身の回りで起きる
不思議なことも
こういうことなのかな、って
マクロから納得することができます。


いま、
私もそんな感じで
肉体はとりあえず今まで通りだけれど
いま体の中が
どろどろに溶けて
新しく再構築されているような感覚で
一旦死んだ感じすらしています。

ボロボロになっていく間に
両手いっぱいに拾い集めたたくさんの学びを
ひとつひとつ
クラウドのようなでっかい鍋に
いっしょくたにして
新たなからだに再構築するための
材料として
どろどろに煮込んで
ニューバージョンとして
刷新していくことになりそうです。
そのなかで、
もちろん確信はないけれど
今生じゃないなにかを思い出すこともあったように思います。
それも、ただの不思議じゃなくて、
そうなんだと信じたいと思ったし
いまの私は信じています。
そういうことって、そうなんだ、といまなら思えるから。

そう、つまりこれぞ
『むすひ』。
むすひ、とは
うみだすこと。
産す、苔むす、
自然発生的に生成する霊妙な働きのこと。
混沌から徐々に凝縮していく。
どろどろの液体が再構築していく、
いま自分がまさに
『むすひ』のまっただ中にいる感じ。
もうビジョンはあります。
新たなビジョンを象るとき。

9月の個展を目指して
暫し『むすひ』をしていきます。

今回は「むすひ」なうだから
いつもより長くなっちゃってうまくまとまんなかったけど、
今の私はこんな感じってことを
遺しておきたかったので
備忘録として。

私の「むすひ」になってくれた
すべての出来事、すべてのみなさん
ありがとう。


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