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平成童貞男③:ダサい自分を認める

 この平成において、一度たりとも彼女ができなった。誰のせいでも、タイミングのせいでもないし、明らかに僕自身のせいである。

「平成のうちに童貞卒業出来なかったのはダセぇな」とモテる男子からは言われると思う。確かに僕は「ダサい」。では「ダサい」というのは何だろうか。簡単に言ってしまえば、カッコ悪いだろう。この1か月余り、僕のダサさについて考えてみた。そして、ある答えに辿り着いたのだ。

 それは、僕が「ナルシスト」であることだった。

 結局は自分自身が大好きなのだ。可愛い彼女が欲しい、知的な彼女が欲しい、という本心は「ハイスペックな彼女を持っている俺が好き」ということなんだと思う。
 このナルシストが形成されたのは、僕が小学1年生の時に形成されたと思う。およそ20年前から形成されたので、長い付き合いだ。
 どれくらいのナルシストっぷりであるか、少しだけご紹介しよう。

1.自分の名前に惚れちゃう
 小学1年生の時に自分の名前の漢字を知った。その時の感情は「かっこいい」だった。他のどの子の名前でも、自分の名前が一番、カッコよく感じた。僕の名前以外にしんにょうの部首が他の子になかったからだと思う。
小学1年生にして自分の名前に惚れ惚れするのは相当だ(笑)

2.いつでも映る自分が好き
 
ナルシストと言えば、鏡だ。いつでも、どこでも何かに映る自分が好き。これは完全に七五三のせいだと思う。七五三は当然ながら、おめかしをして写真をとる。メイク室に案内され、普段と違う自分が鏡の前に映ったら、もう誰だって虜になってしまう。僕の場合はこれが人より強く影響を受けてしまった。それ以来、鏡問わず、街にあるショーウィンドウに映る姿を歩きながら見てしまう。洗面台の鏡に立てばオンステージ。アイドル顔負けに鏡にいる時間が長い。

3.称賛を求め、かつ傷付きやすい
 
これもナルシスト特有であると思う。僕は、人より称賛を求める。「池田エライザと対談する」「直木賞を受賞する」といった目標を掲げるのはこれだ。そして、批判があると傷つきやすい、そして少し怒りを覚えてしまうこともある。

といったエピソードを挙げたが、もはや重症だ。ナルシストが形成されるのは心理学的にいうと自己防衛の一種なので、自分を保つために引き起こされたものだ。だから、オシャレもするし、自分が完璧でありたいと努力をする。かっこいい自分に酔いたいのだ。これがあるから僕は「ダサさ」を出せないのだ。本当の自分というものを出せない、その殻からずっと破ることが出来ないのだ。ナルシストを改善しない限り「ダサさ」を出すことは永久に難しい。むしろこれが、真の意味でダサい。

 これに、辿りつくまで色々と悶々としていた。僕はこのダサさを、なかなか受け入れることが出来なかった。男の子は誰だってカッコよくなりたいし、モテたい。ダサいなんてもっての他だった。僕は次第にダサさを捨てるようにしていった。しかし、どんなにダサさを捨てようとしたとしても、童貞、彼女なしという「ダサさ」の象徴といえるものが残っていた。

 「なんで、僕はまだダサいんだ。オシャレも出来るし、料理もできる、センスもいいし、彼氏力はあるのに、なぜここましても彼女ができないんだ!!!」
 ここまでダサさを脱却しようと、必死こいて頑張っても結果が報われなければ誰だって不貞腐れる。もう、何がカッコいいのかがわからなくなってきた。

 しかし、意外なかたちで「ダサさ」を向き合う出来事があった。
 ある時、オンラインのライティングスクールでこの「平成童貞男」の初稿を提出した時、思いのほかにウケてびっくりした。ありのままの僕に生き様の様子が、先生や、他の生徒さんからも称賛を頂いたのだ。最大の理由は皮肉にも「ダサさ」だった。

 すると、「ダサさ」というのは多くに人に受け入れやすいものだと気づき始めた。昨年、社会現象を巻き起こしたDA PUMPの「U.S.A」は記憶に新しい。曲調はカッコいいのに歌詞がダサいと話題となった。その前はピコ太郎の「PPAP」だ。全身ヒョウ柄にパンチパーマな出で立ちと、ダサい歌詞が世界に大ブームを巻き起こした。つまり、世の中は「ダサさ」に対して非常に愛されやすいことではないかと思う。

「ダサい自分を受け入れる」ということは、綺麗事に聞こえるけど、実際やってみようと思うとかなり難しい。自分の恥ずかしい部分を受け入れることだからだ。特に男はプライドの塊だから、「ダサい自分」を受け入れることなんて、並大抵のことではないと思う。

 でも、僕は自分の「ダサさ」を少しずつ受け入れようと思う。殻を破りたい。そのほうが、味のある男になれそうな気がしたからだ。味のある男はどこかしら惹かれるものもある。もちろん、僕だってオシャレで、仕事はスマート、女性からモテモテ、といったような完璧な毎日を送りたい。でも、そんなことは不可能に近いし、できたとしても味気ない男になってしまうし、逆に周囲から顰蹙を買うと気づき始めた。
 改元前に彼女が出来なかったのは、非常に残念だが、自分のダサさを知れたのは良かったと思う。新時代では、この「ダサさ」と上手く付き合っていこう。

 ダサい僕を愛せるように。平成童貞男はまだ終わらないよ!

#平成 #平成最後


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