テーマパークダンサーのオタクをしていた話

いつか文章にしたいな〜と思っていた、わたしの過去のオタク活動の話です。

今は休園となっている、千葉県のテーマパークです。そこのとあるショーに出演しているダンサーの方を、大学生の間の2年くらいですかね、応援していました。

現在進行形でダンヲタをやっている方はもちろん、そうじゃない別の界隈のオタクさんにも楽しんでもらえるお話できたらな、と思います。

そもそも昔からディズニーは好きでした。パークは中高生の時はワンデーのチケットを買ってもらってたまーに行く程度で、大学合格祝いで年間パスポートを買ってもらい、そこからかなりの頻度で行くようになりました。

意外と年パサー(年間パスポートを所持している人)はいます。特に大学に入ったらお金や時間も高校の頃よりは自由にしやすくなるので、購入する人も多いのかな、と思います。なので、大学の友達で一緒に行ける子も全然いました。

どれくらいの頻度で行ってたかは覚えてないけど、2週間に一度くらいだった気がします、最初は。

ディズニーのオタクってDヲタって称されているんですが、その趣味垢(D垢)ってのを作って、現地で会える友達も増やしていました。(現地で会うことをミートするって言ってた。)ちなみにパークに行くことはイン(インパって実際使ってる人少なかった気がする)、ランドは陸、シーは海。年パスはランドのみ行ける単パスを陸単、シーのものを海単、どちらも行けるものを共通といっていました。

Dヲタにもいろいろ分類があって、ざっと上げてみると、キャラオタ(キャラクター)、ダンヲタ(ダンサー)、フェイス、中身、など。(夢を壊さないためここでは言及しないでおきます。)

大体はキャラヲタから入るんじゃないかと思います。その名の通り、キャラクターが好きなオタク。アニオタさんが持っている痛バのように、大好きなキャラクターをこれでもかというくらい着けたヲタバを持ち歩いてたり。量産型〜みたいな子もいます。(イメージとしてミニー、デイジー、クラリスあたりのオタクです。個人的にはミキヲタの量産女子が好きです。)

わたしはミニーちゃんが好きなミニヲタでした。いっぱいぬいぐるみバッジつけたトートバッグ持ち歩いてました。(ぬいぐるみバッジ死ぬほど集めた。)

キャラオタはやっぱりそのキャラクターに会いたいから、ショーやパレードに命をかけています。(ちょっと盛った。) あとこれもイメージですが、面倒なヲタクほど「ディズニーいってもアトラクション乗らない!ショーとかパレード見るだけ〜卍」みたいな謎マウントを一般人にかましてきます。こういうのをわざわざいうのは、ファッションヲタなイメージ。(イメージという表記で逃げます。)

それでまあ当時のわたしもショーとかパレードを見るのが好きでした。踊ってるミニーちゃんをひたすらに一眼レフで撮ってました。愛用していたのはCanonのEos-Kissです、みんな使ってるやつ。あと今はないとは思いますが、当時はなんかミラーレスは本気じゃない、みたいな感じありました。覗いてこそ!みたいな、なんなんだろう。ミラーレスも十分だと思いますが。

前置きが長くなりました。とあるショーがすごく好きで毎回毎回何度も見ていたのですが、ある時からキャラクターではなく、そこに出演されているダンサーのお姉さんに目がいくようになっていたんですね。その時にはヲタクの友達はまあまあいたので、すぐにお姉さんの名前(というかそのショーに出ているダンサーさんの顔と名前)を知ることができてしまいました。そしてわたしはそのお姉さんを"追う"ことになりました。ちなみに、ダンヲタはいわゆる"推し"のことを"追い"と呼びます。それからは、ポジ報告サイトという、ショーやパレードにおけるダンサーさんのポジションをヲタクがリアルタイムで現地から報告してくれる掲示板を毎日みて、そのショーのシフトを自分でつけて、追いのポジションとオフ日などを把握した上で追っかけをしていました。

自分がパークに行ってない日もとにかくポジ報チェックは欠かせず、その頃はもう作ってあったダン垢(ダンヲタの趣味垢)で活動するようになっていて、そこでヲタクの人脈を作っていき、ポジ報に上がってない時は現地にいるフォロワーに教えてもらったりしてました。わたしの追いは3ポジ(3つのポジションがあるということ)だったので、他のダンサーさんのポジを合わせてこの日はどれだな、などと予測もします。その予測に合わせた場所取りもします。止まって踊る時に目の前に来る位置のことをドンピ(ドンピシャの位置)といって、いわゆる0ズレのことです。ここを日々狙います。

名前がわかって、何度も通いながら、パークのポストからお手紙を出しました。○○(ショーの名前)の○○さんへ、という形で切手を貼らずに届きます。お名前がわからない場合は、出演していたショーの詳細(日にちやポジション等)を書いたり、写真を貼ったりすると届くみたいです。いきなり名前も知られてるなんて気持ち悪がられそうですが、おそらく演者の方たちもオタクのことわかってくれています(笑)ちなみに、わたしの場合はお返事をいただけました。自分のプリクラを貼って送っていたので、「○○さんのことわかりましたー!」ってことも言って下さり、とても嬉しかったのを覚えています。いわゆる認知を受けたわけです。

認知されてからは本当に楽しいです。大体早い時間から並んで入って前の方にいるのが当たり前なので、ショーが始まって出てきてすぐにわたしに気づいてくれることがほとんど。「お!」っていう表情をしてくれたり、笑顔を向けてくれたり、カメラを向ければたくさん見てくれます。これは本当に人によると思うのですが、わたしの追いのお姉さんはめちゃくちゃに優しかったです。

同じ人を応援しているヲタクのことを"被り"といって、被り大歓迎の人もいれば被り拒否の人もいます。ジャニヲタさんの同担の概念と同じです。新規のオタクは新規、いろんなダンサーさんを齧ってるやうなにわかオタクは齧りと称されてました。ちなみにわたしは追いに関しては新規も齧りも被りも無理なタイプでした(笑)今だからこんな風に言えるけど。被りじゃなければなんでも良かったです。そもそも被りそんなにいなかったんですけど。応援する身としては、被り無理とか言ってんなよ、と今だからこそ思います。演者も応援してくれる人は多いに越したことはないでしょうし。けれども、ダンサーとヲタクは想像以上に近いです。(外部イベントに行ったりして直接話す機会もあります。) 認知されたり、反応もらったりしてると独占欲みたいなものがでてきてしまうんですね。ちなみに誰でもいいからダンサーさんからの反応を求める人(キャラクターのパペット使ったり、言い方悪いけど子供を使ったりして)のことは反応厨といって、ヲタクには嫌われていましたね(笑)

狭いコミュニティに集まっているので、そのうちいつもいるヲタクは顔なじみになります。わたしは同い年のダンヲタ2人とすごく仲良くなりました。確かキャラヲタのときからの知り合いでした。大体はダン垢で繋がってミートして、ああこの人ねってなることがほとんど。あとはあんまり書きたくないけど探り垢とか作って探ったり、仲良いオタ友と協力して特定したり、なんだかんだでいつもいるヲタクとアカウントは一致されていたと思います。わたしは古参じゃなかったですが、とても運が良くそこの主みたいなヲタクとか、いわゆるTOみたいな人も仲良くしてくれていたので敵無しでした。楽しかったです。

人気の高い(特に男性の)ダンサーさんのヲタクになると、被りが無理な人も多く、ドンピの取り合いにもなるし、古参が新規を威嚇したり、まあなんかいろいろありました。泣かされてる子とかもいました。怖いですね。わたしはなんのトラブルもなく本当に平和でした。

真夏には日傘を差してアイスを食べながら、真冬にはブランケットにくるまってスープを飲みながら、ひたすらに地蔵(並んで待つこと)をし、雨キャン(雨によりキャンセル)に泣き、風キャン(風が強すぎてキャンセル)に泣き、反応をもらって湧き、干されたと落ち込み、毎回同じショーを見ながら楽しくて仕方がなかったです。1日に5回あるとすれば、初回、2ステ、3ステ、4ステ、ラス回と全ステすることもあれば、間を飛ばして常に最前で見ることもありました。一般人からしたら同じショーをそんなに見て楽しいの?って思われるし、言われていました。が、同じものなんてひとつも無いんです。(全オタクには伝わるはず。)

ちなみに、ヲタ活がこんなにも楽しかったのはヲタ友のおかげでした。本当にみんなにありがとうの気持ちでいっぱいです。

そんな追っかけの終わりが訪れたのは、大学2年生の3月でした。パークダンサーは年度が変わると異動があります。ある人もない人もあるのですが、大規模な人員配置チェンジが行われるのです。4月に新体制スタートをするため、異動組はリハーサルなどの関係で3月あたりはシフトに崩れが生じてきます。わたしの追いも例にも漏れずシフトが崩れていました。どこに異動なのかな?新しい衣装で踊っている姿が見れるの楽しみだなあ、なんて心躍らせていたものです。他のショーやパレードを見に行って、このポジションやって欲しいな、などと想像をふくらませていました。

そんな希望も虚しく、お姉さんから「退園のお知らせ」が届いたのです。要は、わたしの追いは3月をもってパークダンサーを卒業する、との通達です。簡単には受け入れられなかったうえ、猶予は1ヶ月しかありません。すぐにビデオカメラを購入し、ちょうど春休みだったこともあり、そこからは毎日のように通いました。終わりが近づけば近づくほど、演者同士の絡みも最後を感じさせるものになり、それがまた悲しかったです。

3月31日が最後でした。前日は近くに住むヲタ友の家に泊まらせてもらい、当日は早朝から開園待ち。(このためにオフィシャルホテル宿泊をしてアーリー券を手にする人もいるくらいですが、わたしはできませんでした笑)

風がすごく強い日で、途中キャンセルになった公演もありつつ、ラス回は完走したのを覚えています。ラス回が終わったあとは号泣でした。たくさんのヲタ友が慰めてくれたのも鮮明に覚えています。追いが退園する子もしない子も、一緒に泣きました。

追いが退園して、めっきりパークには行かなくなりました。嫌いになった訳ではもちろんなかったですが、今まで追いのために全てを費やしていたので、とにかく喪失感にかられていたのです。

そしてわたしは現在も熱中している、新しい趣味に出会います。邦楽のロックバンドです。元々大学の友達の影響で聞いてはいたのですが、とはいえ普段はほぼほぼパークミュージックをヘビロテしていたわたしは、それが聞けなくなって邦楽ばかりを聞くようになり、気づけばそちらにシフトしていたわけです。けれど当時はまだそこまで沼落ちをしていたわけではなく。

趣味という大きなものを失ったわたしは、留学にいくことを決意します。追いの退園がきっかけで、留学を決心したのです。結果として、わたしの人生において留学経験は本当に大きなものになりました。だからこそ、追いには本当に感謝をしています。あのままオタクを続けていたら、留学なんて選択は毛頭なかったでしょう。タイミングはすごいものだと思います。あの時はとても悲しかったけど、今思えば人生はタイミングだと思います。

留学から帰国し、初めて生のライブに行きました。(留学中に音源を聞いたりライブ映像を見てモチベーションはかなり上がっていました笑) そして、まんまと深い沼に落っこちたわけです。そういうわけで、現在はロックバンドを追っかけるヲタクになりました。「コンビニ行くみたいにディズニー行く」と言われていたヲタクは、「一緒に全国ツアー回ってる」と言われるヲタクになりました。ヲタクは楽しいです。

昨今のCOVID-19のせいで、多くのオタクが楽しみを奪われていると思います。退園が決まっていた追いのヲタクさんを思うと、本当に辛くていたたまれません。またどこかで会えますように。

ちなみにわたしは現在元追いのお姉さんとインスタで相互フォロワーです。フォローを返してくれたときも、DMを返してくれたときも、嬉しくて当時のヲタ友に連絡をしました(笑)わたしの投稿にいいねをくれた暁には「誤いいねかも…」と思いつつちゃっかりスクショを取ったりして、未だに好きな気持ちは変わっていません。

それでももうわたしはダンヲタという世界に戻ることはないですし、今のオタクライフを存分に楽しんでいます。(ちょっと今は先行き不透明ですが泣)

自分はつくづくオタク気質であるな、と思うと同時にオタクって楽しいな、と日々思います。なんだか悲しくなったりすることもありますが、推しがいるっていうのは最高のことです。そして同じ趣味を分かち合える友達がいることも。

一刻も早く、全オタクが笑える日が戻ってきますように。願いを込めて、終わりにします。

もしもここまで読んでくれた方がいましたら、心から感謝を申し上げます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?