やさしい言葉のその奥に

cotree編集部のマトノです。
cotree_advent_noteではメンバーが各々好きなことを書いています。
テーマも文体も自由ですが、強い言葉や不安を煽るようなものはほとんどありません。

なぜメンバーは、やさしい言葉を使うのか。
そして、そんな言葉を使ってnoteを綴るときにどんなことを考えているのでしょう。

今回は3人のnoteを紹介します。

1)「まともな言葉」は世界に届かない|誠実さと届けたいもののあいだで(櫻本真理)

ここでいう「まともな言葉」というのは中立的で知性的、誠実な言葉です。誰かを傷つけることはないが、大きく共感の渦を生むこともない。

このnoteを読むとcotreeのビジョンである「やさしさでつながる社会をつくる」という言葉も、そんな覚悟の上に成り立つものだと感じます。

「まともな言葉は世界に届かない」という諦めと、「それでも人を傷つけたくない」という諦められなさと。その葛藤を乗り越えて「伝える」ために必要なのは「誰かを傷つけるリスクを負ってでも、自分が届けたいものを多くの人に届けるのだ」という覚悟なのかもしれません。

2)声を届ける時、持つべきは鋭さか。(たかれん)

こちらはアンバサダーでフリースクールを運営するたかれんさんのnote。

1)の櫻本さんのものと掲げたテーマは近いですが、たかれんさんの結論はよりパッションに寄ったもの。

目の前にいる人だけでなく、その周りの人や関係のない人も含めて。
誰も責めない、誰も追い詰めない。
そういう言葉を使うと決めていた。

なぜ言葉を届けたいのか、誰に言葉を届けたいのかを深く内省しています。

なぜこんなにも理解してくれないのかと、周りの大人や思慮の浅い人を批難しそうになる日もあった。
でも、その道は選べなかった。
愛情を持って向き合っている相手を傷つけるかもしれない言葉を、わたしは選べなかった。

3)私には世界を変える力はない。でも。書くことは出来る。(はる)

最後はcotreeのアンバサダーで、虐待からのサバイバーで、家族を守るお母さんでもある、はるさんのnote。

・親や大人は子どもを守るために存在するということ
・(愛されなかった、虐げられた)あなたは悪くないということ
・どんな過去も、昇華して自分の人生を生きうること

いまこの瞬間に苦しんでいる子どもたちに言葉を届けたいという強い思いがあることを明かしています。

私の身体は一つしかない。一度にたくさんの人の元に駆け付けることは出来ないし、2本しかない腕では1人ずつしか抱きしめることが出来ない。でも文章なら届けられる。文章なら、どんなに遠くに住んでいる人にも手渡すことが出来る。国境すらも越えて、想いを伝えることが出来る。

思いを伝えるために言葉を用いる覚悟をもつ

3人のnoteを読んで共通して思ったことは、まずは伝えたい強い思いがあるということ。
それを伝えるためのツールとして言葉があり、noteがあるのだと。

あなたの一番伝えたい思いはなんですか。


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