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小説:「恋の奥志賀高原音楽塾」 第三話


十日目 恋の奥志賀高原音楽塾


朝の奥志賀高原。

奥志賀高原ホテルのフロントで、首にタオルを巻いたサダオが新聞をもらった。横には、首にタオルを巻いたゲーダイが立っている。

そのまま二人で歩いて2階の出口からノビをして前屈して、音楽堂まで行って中をのぞくと、マコ、ミサキ、タツヤが合わせていた。


従業員用食堂で、マコ、ミサキ、タツヤが食事をしている。

マコが眠そう。

サダオとゲーダイがコーヒーを持って近寄ってきた。タツヤがサダオに気づき、立ち上がって席をすすめるが、サダオは目で「いいよ、いいよ」と言う。

「なに?朝食前に練習することにしたの?」

マコがぼやく。

「だってー、タツヤが6時頃起こすんだもーん。「練習しよう、練習しよう、ゲーダイも、もう練習してるよ」って、うるさいんだもーん」

タツヤが言う。

「二日間草津行ってたんだから、取り戻さないと」

マコがぼやく。

「草津でだって合わせたじゃなーい」

サダオが笑う。

「「合わせすぎ」ってことはないぞ。いいことじゃない」

マコ、口を曲げて不満をあらわす。



音楽堂でマコ、ミサキ、ゲーダイ、タツヤが合奏している。少し離れたところで、サダオが座って聞いている。曲が終わる。マコがサダオに尋ねる。

「どう?いい感じじゃない?」

サダオが少し難しい顔をしている。

「いいよ、いいよ。まとまってるよ。でも、なんだろーなー。も一つ面白くないね」

みんな「えーっ!」という顔になる。ミサキが尋ねる。

「個性ないすか?」

サダオ、腕組みする。

「うーん、もうちょっと、なんだろーなー、なんか物足りないなー」

サダオ、腕組みしながら4人の顔を見る。

「でも、やっと調和してきたよ。それはよかった。こっからこのチームの個性とかイマジネーションを表現してみようよ」

ゲーダイがつぶやく。

「イマジネーション、4人で、」

サダオが言う。

「当たり前のこと言うけどな、先生の言いなりに弾くことが音楽じゃないし、弾くことがゴールじゃないし、合わせることがゴールじゃないんだ。弾くことによって何を表現できるか、聞いてる人や自分自身や一緒に弾いてる仲間に何を伝えられるかがゴールだよ」

みんな、「はぁ」とうなづく。サダオが言う。

「そこだな。残り一週間で、そこを付け加えよう」




奥志賀高原ホテル横の従業員用食堂で、音楽塾の生徒たちがランチをしている。マコ、ミサキ、ゲーダイ、タツヤも一緒のテーブルでランチしている。なんとなく、みんな、うわのそらでランチを食べている。ミサキが言う。

「どーっすっかなー」

ゲーダイが言う。

「どーすっかねー」

タツヤがマコに言う。

「マコさ、こーゆー話いつもしているんでしょ?指揮者と」

マコが答える。

「うーん。あんまり、そーゆー話はしないなー。「ここどう弾くの?」って聞かれて、「こう弾きます」っていうチェックはするけど」

ミサキがぶーたれる。

「えぇー、マコ、あたしたちを引っ張ってよー」

マコがぶーたれる。

「なんでよー。みんなで考えようよー」

なんとなく、みんな、うわのそらでランチを食べる。マコが思いつく。

「やっぱさ、ドヴォルザークの2番で重要なのはタツヤなわけだけどさ、そこにゲーダイがもっとグイグイ絡んでいけばいいんじゃない?」

ミサキが笑いながら言う。

「M男とS女みたいに?」

みんな笑う。ゲーダイがつぶやく。

「なるほど。わかりやすい」

タツヤが言う。

「いいね、いいね。それで、ピアノとビオラが下支えするんでしょ?うん、うん。いいじゃない」

マコがさとす。

「だめよ。下支えするのはあたしだけ。ミサキは内声を浮かび上がらせるのよ。ドヴォルザークの2番は、タツヤとゲーダイとミサキの会話よ」

ミサキ、ブーたれる。

「はーい」

タツヤが声を上げる。

「あのー、ゲーダイがニラんでるんですけどー」

ゲーダイ、タツヤをガン見しながら言う。

「ニラんでないよー。どうやっていぢめてやろうか考えてるの」




午後。奥志賀高原にも夏の盛りの陽光が降り注いでいる。

音楽堂に音楽塾生4人組が入っていく。入れ替わりに、練習を終えたミニスカートのマコが出てくる。ふと見ると、近くの木陰のベンチにタツヤが座っている。マコが近づいていく。

「どしたの?タツヤ、難しい顔して」

タツヤ、マコを見る。

「やぁ、マコ。また練習してたの?スゴいなー。いつも練習してて」

マコ、タツヤの横に座る。ナマ足がまぶしい。

「うーん、ま、好きだからね。タツヤも練習しなよ」

なんか、タツヤが「うーん」とか言ってモジモジしている。二人とも奥志賀の風景を見る。少し間。マコがタツヤの方を向いて言う。

「タツヤ」

タツヤ答える。

「なに?」

マコ、つぶらな、真っ直ぐな瞳で尋ねる。

「たまってるの?」

タツヤ、ビックリして目をシバシバさせる。マコが続ける。

「ママがよく言ってた。「男はたまってるとオカシクなるから、気をつけなさい」って。なんか昨日あたりからタツヤ変だもん。朝練始めたり、あんまり喋らないし、、、」

タツヤ、目をシバシバさせながら、やっと声を絞り出す。

「た、たまってないよ。そ、そーゆーことじゃないよ」

心配そうな顔のマコ。

「そうなの?ほんと?あたしでよければお手伝いするけど、、、」

タツヤ、マコを見ながら固まる。少し固まって、首を横に振って、正面を向いて深呼吸を始める。

「あ、あ、ありがとう、マコ。と、とても魅力的なオファーで、そうしたいんだけど、そうしたいんだけど、そうしたいんだけど、、、」

マコ、ツッコむ。

「3回言ったよ」

タツヤ、それを受けずにもう一回言う。

「そうしたいんだけど、、、」

涼しい風が吹いた。マコが尋ねる。

「じゃ、どしたの?」

タツヤが言う。

「パリ、行ってみようかなーって、、、」

マコ、喜色を浮かべる。

「いーじゃない。そーしな、そーしな」

タツヤ、難しい顔になる。

「でも、オレ、通用するのかなーって」

マコ、すぐ答える。

「それはわかんないけど、あるレベルに行けば、上手いのか下手かなんて、そんなに変わんないんだから、あとは求められる音とか、人物像とか、そーゆーことじゃない?」

タツヤ、やっぱり難しい顔をしている。

「なるほどなー」

マコ、なんだか楽しそうに続ける。

「タツヤ、上手よ。だけど、ソロで弾くのとオケで弾くのと違うじゃない?四重奏とオケで弾くのも違うじゃない?だから、誰もわかんないよ。あたしも、サダオも、セージも、わかんないよ。タツヤが通用するかどうかなんて。タツヤみたいな音を探してるオケがあったら取ってくれるだろうし、つまりは、飛び込んでみないと答えは出ないよ」

タツヤ、少し微笑む。

「そうだなー。マコとセージ先生が言ってくれたように、飛び込んでみるしかないんだよな」

タツヤがマコの方に体を向ける。

「ありがとう。マコ」

マコ、目ざとく見つける。

「今、足見たよね?」

タツヤ、目をシバシバさせる。

「み、み、見てないよ」

マコ、半笑いで詰問する。

「爽やかなこと言いながら、足見たよね?」

タツヤ、やっぱり目をシバシバさせる。

「み、み、見てないよ」

マコ、やっぱり半笑い。

「いーや、見た。タツヤ、やっぱりたまってるんでしょ?」

タツヤ、ちょっとムッとする。

「たまってないよ。バカ!」

マコ、ちょっとムッとする。

「あっ!バカって言った」

マコ、立ち上がってタツヤの正面に立ち、タツヤの両ホホをつねる。タツヤはされるがままになっている。

音楽堂の練習を見に行こうとしたサダオが、音楽堂のドアの前で立ち止まって二人を見ている。小さくつぶやく。

「若いなー。いーなー」

マコ、まだタツヤの両ホホをつねっている。タツヤが小さな声で言う。

「ゴ、ゴメン」




夕食会場。マコが夕食の載ったトレーを持って席を探す。ミサキとタツヤが座っているテーブルを見つけて、座る。

「あれ?ゲーダイは?」

ミサキが答える。

「いないのよ。練習してるのかな?」

マコが言う。

「おかしいな。食べ物大好きな女が。サダオと練習かな?」

ふと見ると、サダオが夕食の載ったトレーを持ってウロウロしている。マコが見つける。

「あ!サダオがあすこにいる。おかしい」


奥志賀高原ホテルの従業員寮の3階に、練習できる部屋が一列に並んでいた。マコとミサキとタツヤとサダオが各部屋の中を見ながら歩いている。少し進んだところで、ミサキが「あっ」っと声をあげて部屋に入る。マコとミサキも急いで部屋に続いて入る。部屋の中では、ゲーダイが練習もせずうつむいて座っていた。ミサキが呼びかける。

「ゲーダイ、ゲーダイ、、、」

ゲーダイが生気の無い目でミサキを見る。マコがゲーダイの肩を持って呼びかける。

「ゲーダイ、ゲーダイ、どーしたの?」

ゲーダイが生気の無い目でゲーダイを見る。マコとミサキが困って目を合わせる。

「どしたの?この子」

「どうしたんだろう?何にも答えないよ」

うしろから、サダオの声がたずねる。

「どしたの?」

ミサキが振り向く。

「サダオ先生!ゲーダイが変なんです」

サダオがみんなをかき分けて部屋に入り、真剣な顔でゲーダイを見て、寄ってくる。アゴを少し持ち上げてみたり、アゴを持って左右に振ってみたりする。サダオがポケットからチョコレートを出した。人差し指と親指で、ゲーダイの口を少し開ける。そこへ、チョコレートを少し割って入れた。ゲーダイは口をモグモグして、正気を取り戻した。

「はっ!なに?あんたたち。サダオ先生まで」



食堂のテーブルにマコ、ミサキ、ゲーダイ、タツヤ、サダオが座り、おのおのお茶を飲んでいる。サダオが喋っている。

「気合い入れすぎだろ。だから糖分がなくなっちゃって、ボンヤリしちゃうんだよ。食べないで集中し続けるのはよくないよ」

ゲーダイがバツが悪そうに話す。

「あんなになったのは久しぶりだわ。日本音楽コンクールで6位になった時以来だわ、、、」

ミサキが言う。

「え?あんた、日本音楽コンクールで6位になったの?」

ゲーダイがミサキを睨む。

「そう。去年。あたしの黒歴史、、、」

マコ、なぐさめる。

「なんでよー。十代で6位ならいいじゃなーい。ねぇ、サダオ?」

サダオ、答える。

「うーん、どーかなー、バイオリンは早熟な人が多いからなぁ、、、」

ミサキが尋ねる。

「サダオ先生は日本音楽コンクールで優勝したことあるんでしょ?いくつの時?」

ゲーダイとタツヤがビックリする。それを見てサダオが苦笑しながら言う。

「なんだよ。なにビックリしてんだよ。講師の経歴くらい調べてこいよ。あれは1965年だったから、えーと、21歳だったかなー?」

ゲーダイが真顔で言う。

「さすが、あたしのサダオ先生。タダ者じゃないと思ってたわ」

サダオ、苦笑する。マコが尋ねる。

「それからジュリアード音楽院に行ったの?」

サダオが少し上を見て考えながら話し出す。

「いや、日本音楽コンクールで優勝した翌年だったかな、日本でジュリアード弦楽四重奏団の練習を自由に見学できるっていう、あの頃としては画期的なイベントがあったんだよ。パン・アメリカン航空と米国国務省が主催して」

ミサキが驚く。

「ジュリアード弦楽四重奏団て、あのジュリアード弦楽四重奏団?ロバート・マンがいた」

サダオが少し驚く。

「よく知ってんな。そうだよ。そのロバート・マン先生に、講習の終わりにさ「お前、本気でカルテットやれ。日本にもいいカルテットを作るべきだ」って誘われてさ、やってみたいなーと思ったんだ。金になるかどうかなんて全くわからなかったけど、オレ、カルテットが好きなんだよね。子どもの頃から。人前で一人で前面に出るソロが苦手だったんだ。性格だな。だから、マコなんか見てるとスゴいと思うよ」

マコが苦笑いしながら尋ねる。

「じゃ、さ、サダオも仕事があったから米国行ってカルテット始めたわけじゃないんだね?」

サダオが目の前で手を左右に振る。

「仕事なんかないよー。ていうか、仕事やめて行ったよ。東京交響楽団の首席やめてアメリカ行ったんだ」

みんな驚く。タツヤが尋ねる。

「えぇぇー!東京交響楽団の首席やめてまで行ったんですかー?」

サダオが涼しい顔で答える。

「そーだよ。だって、オケなんて、やりたいことやり切ってから、また入ればいいじゃない」

マコがサダオを指さす。

「いいこと言う。さーすがカルテットで世界を獲ったサダオ」

サダオ、照れる。ミサキが尋ねる。

「そこでジュリアード音楽院入ったんですか?」

サダオ、少し考える。

「えーと、違うな。あれは、えーと、アスペン音楽祭の夏期講習だったな。マン先生がパンナムの航空チケット用意してくれて。航空チケットは無料だったけど、たった50ドルしか持っていけなくてさ、それで2ヶ月も講習受けたんだから、いま思えば偉いもんだよ」

みんな、「えぇー!」とうなった。サダオが続ける。

「講習終わったら帰ろうと思ってたんだけど、なんてったって50ドルしか持ってかなかったからさ、金がなくなっちゃったんだ。マン先生にそんな話したら、テネシーのナッシュビルでチェロ弾き探してるっていう話教えてくれてさ、楽しそうだし、一稼ぎしに行ってみようかな、と思ったんだ。カルテット以外にも仕事あるらしいし。で、ジュリアード弦楽四重奏団のラファエル・ヒリヤーさんの奥さんが日本人でさ、奥さんに400ドル借りてナッシュビルに行ったんだ」

みんな、「へーっ」と感嘆する。サダオが続ける。

「ナッシュビルは面白かったよ。仕事もたくさんあったし。カントリーウェスタンもやったし、ポップスもやったし、ボブ・ディランのバックでも弾いたんだぜ」

みんな、驚いた。

「ボ、ボ、ボブ・ディラン!」

サダオが遠い目をして続ける。

「ナッシュビルは儲かったなー。東京カルテットじゃ、あんまり儲からなかったけどww、ナッシュビルは儲かったなー。400ドルなんてすぐ返しちゃったもん。2年半くらいナッシュビルにいて稼いで、それなりに貯まったからニューヨーク行ってジュリアード音楽院に入ったんだ。ま、全額給費生になれたけど」

みんな、ぼんやりサダオを見つめている。サダオ、遠い目から帰ってきてお茶を飲むと、みんなが自分を見つめていることに気づく。

「あれ?な、なに?」

タツヤが言う。

「いやぁ、サダオ先生すげーなーって思って」

ゲーダイが言う。

「さすが、あたしのサダオ先生だなー」

ミサキが言う。

「ただの涙もろい、東宝ニューフェースだったオジさんじゃないんだねー」

サダオ、作り笑いで応える。マコが言う。

「タツヤー、サダオの話、聞いたー?いい話じゃなーい」

タツヤ、作り笑いで応える。


十一日目 拍手、ハグ、病気


昼前の奥志賀高原。

音楽堂の中で、サダオが立ち上がって拍手を送っている。その向こうで、マコ、ミサキ、ゲーダイがキョトンとしている。サダオが言う。

「いやー、よかった、よかった。いいもの聴かせてもらった」

ゲーダイが口をとがらす。

「サダオ先生、本番が近いからってお世辞言ってるの?」

タツヤが口をはさむ。

「いやいやいや、そんなことないよ。たしかに良かったよ。ビンビンきたもん」

ミサキが言う。

「ゲーダイもタツヤも、がんばったもんね」

マコが言う。

「よかったよー。すごく、よかった。いいものになったわー。あたし、オケができあがってるとこに入っていって弾いてばっかりだからさ、やっぱ仲間と一緒にイチから音楽作れるのって素晴らしいよ。セージやサダオの言った通りだった」

ゲーダイがウルウルしながら立ち上がる。

「マコ」

マコも立ち上がって、ゲーダイに寄っていく。

「ゲーダイ」

二人、見つめ合って、抱き合う。マコ、ミサキの方を見て寄っていく。

「ミサキ」

ミサキ、立ち上がってマコに寄っていく。

「マコ」

二人見つめ合って抱き合う。マコ、タツヤの方を見たら、タツヤの前にサダオが立っている。

「サ、サダオ?」

サダオが手を広げて待っている。マコが叱る。

「サダオはダメ。タツヤ、なんであなた出てこないの?」

タツヤ、半笑いで、

「だって、サダオ先生を押しのけるわけにいかねーでしょ?」

みんな笑った。サダオも笑った。




マコのスイートで楽譜を読んでいるミサキ。マコはぼんやり紅茶を飲んでいる。ミサキが話しかける。

「タツヤもゲーダイも、ここんとこ、練習増えてるね。あんたのせいで」

マコ、口をとがらせる。

「いーことじゃない」

ミサキ、笑う。

「そーよ。いーことよ。タツヤのお母さんも喜ぶわ」

マコ、笑いながら言う。

「ディナーの前にお風呂入ろうよ」

首にタオルをかけてマコとミサキが奥志賀高原ホテルの2階から一旦外に出て、音楽堂の中をのぞいて、スキー場の斜面を降りて、奥志賀高原ホテルの1階から入ってフロントの前を通ると、セージとサダオとフロントの人が話し込んでいる。サダオがマコとミサキを見つけて呼びかける。

「あ、困っちゃったよ。練習してたら、ヒトミくんが急に体調崩しちゃったんだよ」

マコとミサキが驚く。

「えー!さっきまで元気だったのに?」

芸大が、フロント近くの部屋のベッドに寝かされていた。顔が赤い 。部屋の入口で、マコとミサキが見ている。部屋の中で、セージが声をかける。

「ヒトミくーん、お医者さん来てくれたぞー」

みんなの後ろから、白衣を着て、難しい顔をした医者が入ってくる。医者、ゲーダイに近づいてジーッと見る。手首を取って心拍数をはかる。首のあたりを見て、腕全体を見る。

心配そうにみんなが見ている。

急に医者が、難しい顔をしたまま立ち上がって出て行った。みんなビックリして目で追う。みんなが医者について行こうとした時、ゲーダイが二人を呼び止めた。

「マコ、ミサキ、、、」

マコとミサキ、振り返って、横になっているゲーダイに近づく。ゲーダイが細々と言う。

「あたしね、あんた達に会えて良かったよ」

ゲーダイが涙ぐんでいるので、マコとミサキもつい涙ぐむ。ミサキが怒る。

「なにお別れみたいなこと言ってんのよ。ヤメテよ」

ゲーダイ、涙ぐみながら、

「だって、あの先生、すごい難しい顔してたし、すぐ出てっちゃったし、きっと救急車でも呼んでるのよ。あたしは一人で救急車に乗せられて、山を下りるんだわ。そして人知れず息を引き取るのかも。発表会出られなくてゴメンね」

少し沈黙があり、3人とも感極まっている。ゲーダイが言う。

「二人とも、あたしのこと忘れないでね。マコ、世界一のピアニストになってね」

マコ、思わず涙を一粒流す。

「バカ。なに言ってんの、あんた。気をしっかり持ちなさいよ。あたし、友だち少ないんだから、勝手にお別れしないでよ」

ミサキがマコに言う。

「ゲーダイ見といてね。お医者さんに詳しいこと聞いてくるから」




ミサキが小走りにホテルのフロントに行くと、セージとサダオが立っていた。ミサキ、真剣に尋ねる。

「先生、先生、助かりますか?ゲーダイは助かりますか?」

セージが苦笑しながら言う。

「助かるよ、助かるよ。たいしたこと、ないんだって。ブヨに刺されたんだって」

ミサキが脱力した顔で言う。

「へ?」

15秒ほど沈黙がある。セージが苦笑しながら言う。

「2カ所刺されたんだって。それで熱出たんだって」

ミサキが少しキレ気味に言う。

「えー!だってー、あのお医者さん、すごい深刻な顔ですぐ出ていっちゃったじゃなーい?」

セージが笑う。

「ウンコしたかったんだって。我慢して急いで来たんだって。ははは」

ミサキが抗議する。

「えぇー?手を取り合って泣いちゃったんだけど、、、」

そこへ、さっきの医者が帰ってきた。

「いやー、スッキリしちゃったー」

と言って、さきほどとは打って変わって柔らかい笑顔を見せた。ミサキは「スッキリしちゃったー、じゃねーよ」とツッコみたかったが、初対面の人なので、やめた。


十ニ日目 告白、ハグ、鼻血


朝の奥志賀高原。

食堂でゲーダイがガツガツ、モーニングを食べている。マコ、ミサキ、タツヤがぼんやり見ている。マコが尋ねる。

「もう、すっかりいいの?」

ゲーダイ、パンをほおばりながら答える。

「うん。すごい快調。なんか、メシうまいねー」

ミサキが笑いながら言う。

「あんた、食べてると調子いいんだねー」

ゲーダイが「いひひひ」と笑う。




音楽堂でマコ、ミサキ、ゲーダイ、タツヤが練習している。曲が終わって、マコが言う。

「いやぁ、やっぱりいいわー。よくなったわー」

ミサキが同意する。

「ほんと、ほんと、すごい良い」

タツヤが言う。

「ほんと、ほんと、いいよー。早く人々に聞かせたい」

ゲーダイが言う。

「明日ここで発表会で、その次の日が山ノ内中学で発表会で、それから一週間後に飯田橋の凸版ホールだね」

マコが暗い声で言う。

「あのさ、、、」

ミサキとゲーダイとタツヤがマコを見る。マコが暗い顔で少しうつむいている。少し間。マコがまた言う。

「あのさ、、、」

3人が見てる。ミサキが言う。

「なによ?もうランチ食べたいの?」

マコが少し笑って首を振る。

「あのさ、あたしさ、明日で終わりなんだ」

ミサキ、ゲーダイ、タツヤ、10秒くらい止まる。ゲーダイが小さな声で「え?」とつぶやく。マコが続ける。

「黙っててゴメンね。なんかツラくて」

ミサキが怒気を含んで言う。

「えー!なに?山ノ内中学と東京には行かないの?」

マコがすまなそうに答える。

「うん。どーしてもキャンセルできない仕事がシャルルロワであって、、、」

ミサキが復唱する。

「シャル、シャル、シャルルルル、ルル、ルルル、ロ、ロロワ?」

マコが答える。

「うん。シャルルロワ。ベルギーの」

ゲーダイがブーたれる。

「えー!!あたしたちの演奏はどうなるのー!?」

マコがすまなそうに答える。

「録音したから、それ流してもらって」

ゲーダイがブーたれる。

「えー、すごくいいカルテットになったのにー。すごくいい音が出てるのにー。ひどいよー、マコー」

ミサキも同調する。

「マコー、みんなにあたし達の音聴かせたいのにー、せっかくなのにー」

マコ、ひたすら謝る。

「ごめんね。ごめんね。ほんとにごめんね」

タツヤが声を上げる。

「もうやめろよ。マコだってツラいんだから」

3人、タツヤを見る。タツヤが続ける。

「マコだって、ほんとは最後まで演奏したいんだよ。な、マコ?」

マコ、うなづく。タツヤ、続ける。

「でも、しょーがないんだよ。だって、マコは一流のバリバリの人気演奏家だから、オレたち大学生とは違って予定がいっぱいなんだよ。そんな一流のバリバリの人気演奏家と、少しの間でも一緒に室内楽できて、よかったじゃない。オレはすごい勉強になったよ」

マコがうつむきながら、小さな声でいう。

「ありがとう。タツヤ」

みんなシンミリする。少し間を置いて、ミサキが言う。

「そーだね。タツヤ、その通りだよ。マコ、ゴメンね。今まで、ありがとう」

マコが照れる。

「やめてよ」

ゲーダイが言う。

「マコ、ごめんね。あたし達のこと忘れないでね」

マコ、苦笑しながら言う。

「あたり前でしょ」

ゲーダイが立ち上がる。

マコモ立ち上がって、近づき、二人でハグする。

マコ、立ち上がっているミサキに寄っていってハグする。何も言わず、二人で背中をパンパンしあう。

マコ、タツヤの方を向くと、サダオが立っていてビックリする。

「な、なによ?サダオ、い、いつのまに来たの?なんでハグに参加すんの?」

サダオ、口をとがらせる。

「いーだろー!オレだって仲間だろー?」

ゲーダイが同調する。

「そーだよー。マコ、サダオ先生だって仲間だよ」

マコが苦笑しながらサダオをハグする。サダオがハグしかえす。少し長い。ハグされたマコが目を白黒させている。タツヤが言う。

「サダオ先生、長いです。長いです」

サダオ、気づいたように離れる。

「あ、あぁ、ゴメン。ちょっと感極まっちゃって」

サダオ、メガネを取って目頭をぬぐう。ちょっとビックリして見ていたマコ、タツヤを見る。

「タツヤ」

「マコ」

マコがタツヤをハグする。少し長い。タツヤが目を白黒させる。それを見ながら、サダオがぼやく。

「いーなー、タツヤくんは」

ミサキがツッコむ。

「サダオ先生には奥さんがいるじゃん」

サダオがぼやく。

「いるけどさー。マコ、あんまり長くハグしてると、タツヤくん鼻血出しちゃうぞ」

マコとタツヤが離れる。マコが笑う。

「はははは。サダオ、面白ーい」


十三日目 発表会当日


発表会の当日は快晴で、青空が広がっている。

奥志賀高原バス停に、長野電鉄のバスが到着する。たくさんの人が降りてきた。みな、音楽堂の方に歩いて行く。途中に「奥志賀高原音楽塾 発表会はこちら↑」という小さな看板が置いてある。

奥志賀高原ホテルの窓から外を見ているマコとミサキ。マコが言う。

「すごい人だねー。ここに来て2週間だけど、こんなに人いるの初めて見た」

ミサキが言う。

「この音楽塾3年目だけど、あたしも初めて見た」

マコがミサキを見て、少しあきれる。

「あんた、谷間見せすぎじゃない?」

ミサキ、照れ笑い。

「そう?いつものやつなんだけど、、、」

マコ、笑いながら、

「佐田さん、来るのね」

ミサキ、照れ笑い。不思議そうにマコを見て尋ねる。

「マコはなんでそんな「ジェシカおばさんの事件簿」みたいな格好してるの?」

マコ、苦笑しながら言う。

「昨日、つい、荷物全部シャルルロワに送っちゃって、、、」



音楽堂の中は満員で立ち見もたくさんいる。

セージとサダオを先頭に、音楽塾の学生たちが入ってきた。場内に拍手が起こる。学生全員が円形の舞台に立った。360度、観客に囲まれている。

セージがマイクを持って話始める。

「どーもどーも、ごきげんよう。わざわざ山の中までお運びいただいて、ありがとうございます。今年もね、若い人たちが室内楽を学びにきて、成長した姿を見てやってください」

観衆から拍手。学生はみんな一礼して音楽堂の外に出て行く。

セージとサダオが入口に一番近い、うしろの方の席に隣り合って座る。その横を、チェロを抱えたタツヤ、ビオラを持ったミサキ、バイオリンを持ったゲーダイ、手ぶらのマコが通る。4人それぞれに、セージとサダオが軽く声をかける。

セージが「あ、そうだ」とつぶやいて、舞台に出て行って、関係者にマイクを要求する。

「あ、あのね、このピアノの娘さんね、マコ・ヤンっていう世界的なピアニストなの。今年はお客さん多いなーと思ったら、彼女目当てなのかな?」

観客から拍手。

「あぁ、そーか、そーか。あのね、彼女とはシカゴとかパリとかベルリンとか、色んなとこで一緒にやってね、若いんだけど、ずいぶんちゃんとした人で、日本語話せるしさ、ほら、オレ英語苦手だから(笑)、友だちになったんだけど、ある時「室内楽の勉強がしたい」って言うの。ボクが「室内楽は音楽の基本だ」って言ったのかな?」

セージがマコに問いかけると、マコがうなづいた。セージが続ける。

「それで「じゃ、ボクのやってる音楽塾くれば?生徒はみんなマコと同世代だし」って誘ったの。そしたら、ちょっとしてから、「仕事キャンセルするから参加させろ」って言うわけ。自分で誘っといてアレだけども、「講師料出ないけどいい?」って尋ねたら、「講師じゃなく、生徒で参加させろ」って言うわけ」

会場、笑い。マコも微笑。セージが続ける。

「オレ感動しちゃってさ、9歳だっけ?10歳だっけ?そのくらいのトシから活躍してるのに、一度立ち止まって新しい音楽っていうのかな、音楽の根本っていうのかな、そこら辺を勉強し直そうっていうわけ。大学生に交じってね。エラいんだよ」

観客から拍手。マコ、照れくさそうに首を左右に振る。セージが続ける。

「そんなわけで、普段はいないピアノの人が今年はいるわけ。それと、マコ忙しくてね、このあとすぐバスに乗ってベルギーに向かわないといけないの。だからマコのチームは一番最初にやります。みなさん、せっかくだからマコと歓談したいとこだろうけど、そーゆーわけだから許してあげて」

セージが関係者にマイクを渡して、うしろの方の席に座る。



タツヤが目をつぶって精神集中している。すこし間があって、目を開いてゲーダイ、ミサキ、マコを順番に見た。みんな、強い目力でタツヤを見返した。タツヤが大きく息を吸って、吐きながら演奏が始まった。

良い演奏だった。4人が独自のハーモニーを作り上げた、とても良い演奏だった。観客の拍手が鳴り響いた。



奥志賀高原のバス停に、小さめのボストンバッグを持った上下ピンク色のジャージのマコ、演奏会用のドレスのままのミサキ、ゲーダイ、タツヤが並んで立っている。ミサキが言う。

「なんでバスなのよ?佐田さんに送ってもらえばいいのに」

マコが微笑する。

「だって佐田さん、もっと室内楽聴きたいでしょ?それに、あのバス可愛いじゃん。レトロで。いい思い出になりそうだし」

ゲーダイが言う。

「ほんとにジャージで羽田まで行くの?」

マコが微笑する。

「なんでよ?行くわよ」

エンジ色と白でデザインされた長野電鉄のバスがやって来た。4人の前に止まって前扉が開いて、数人が降り終わったら前扉が閉じて、後ろ扉が開いた。マコがミサキの目の前に立って言う。

「じゃね。元気で演奏がんばって。あんたがリーダーなんだから」

ミサキが淋しげに答える。

「うん。あんたも元気でね。淋しくなるよ」

マコ、微笑して、ハグする。少し横にずれて、ゲーダイの前に立つ。

「元気でね。ちゃんと食事して、甘いもの取りなよ。演奏はだいじょぶだから。十分上手だから」

ゲーダイがちょっとウルウルしながら言う。

「ありがとう、マコ。あなたと一緒で、とっても勉強になったわ。あたしのこと忘れないでね」

マコが笑う。

「忘れるわけないでしょ。パリに勉強においで」

マコ、微笑して、ハグする。少し横にずれて、タツヤの前に立つ。

二人が見つめ合う。

マコ、腕をタツヤの首に巻き付けて、キスをする。

タツヤ、気をつけの姿勢のまま。

ミサキとゲーダイ、ビックリして見てる。

マコ、タツヤから離れる。

タツヤは気をつけの姿勢のまま、マコを目で追っている。

マコ、荷物を持って、反転してバスに乗り込む。

ちょうど、バスのドアが閉じ、出発する。

バスが奥志賀のバスセンターを出ようと進んでいくと、バスの一番後ろの席でマコが懸命に手を振っている。

ミサキとゲーダイとタツヤ、みんな、ちょっとビックリした顔のまま、手を振り返した。

バスの向こうには、奥志賀高原の夏の緑が、みんなの視界いっぱい広がっている。


終章 ドイツ、山形


石畳の道をタクシーが走っている。うしろの席にマコが一人で座っている。窓からボーッと外を眺めている。


朝の空港のエントランスからマコが出てきて、タクシーに乗る。タクシーは、どんよりと曇った古い町並みの中を走る。


緑色のスカートドレスをはいて、マコが演奏している。


飛行機の座席で、アイマスクをかけて寝ているマコ。


トロントの街並みを走っているタクシー。うしろの席にマコが一人で座っている。窓からボーッと外を眺めている。


オレンジ色のミニスカートドレスをはいて、マコが演奏している。


昼間のパリをタクシーが走っている。うしろの席にマコが一人座って、窓からボーッと外を眺めている。


マコが楽屋で化粧をしていると、マネージャーのノエミが入ってきた。手に新聞を持っている。ノエミが新聞を掲げて、うれしそうに言う。

「マコー、あいつ絶賛してるよ。「私のマコが帰ってきた」とか言って、、、」

マコ、苦笑いで答える。


会場でCDを買ってくれた人にサインをしているマコ。


旅客機の中で機内食を食べているマコ。


金髪の男性のうしろを歩いているマコ。ドアを開けて、ドイツ訛りの英語で金髪の男性が言う。

「こちらがリハーサル室です。どうぞ」

リハーサル室に入ると、オーケストラが待機していた。エスコートしてきた男が、オーケストラの前に立って、ドイツ語で何かを話し始めた。マコを紹介しているようだ。話が終わると、指揮者がマコに握手を求めてきた。握手が終わり、ふとオーケストラの方を向くと、弓を振っている人がいる。

「サダオー!」

マコが喜色を浮かべて寄っていった。

「やだー、サダオー、久しぶりー。このオケにいるの?」

サダオが笑いながら言う。

「いや、この近くに住んでるんだ。マコが来るって聞いたからさ、混ぜてもらったんだよ。コンミスが昔の生徒だから」


サダオの家は、クリスマスの飾り付けで一杯。マコとサダオが、暖炉の前に座って、話し込んでいる。サダオが語っている。

「やっぱさ、若い頃に大学とか、師匠とかについて勉強するってそーゆーことだよ。その場に行くとか、師匠の演奏聴くとさ、いつでも初心を思い出せるんだよ。オレだって、いまでも思い出せるもん。齋藤先生の演奏とかのCD聴くと、大学の時のことをさ、鮮明にさ、、、」

サダオの奥さんが紅茶を持ってきて言う。

「ほんとに紅茶だけでいいの?マコさん、ワインはいいの?」

サダオが言う。

「いーんだよ。なぁ、マコ。今夜はちゃんとマコと話すんだよ」

サダオの奥さんが苦笑しながら新しい紅茶を置いて、古い紅茶を持って行く。サダオが言う。

「だからさ、マコも何かあったらさ、壁にぶつかったりさ、いつでも奥志賀に行ってみんなと一緒に弾けばいいよ。奥志賀遠かったら、ここでもいいしさ」

マコが幸せそうにうなづく。


雪が降りしきっている。雪の中を、タクシーが走っている。うしろの席にマコが座っている。ボーッと外を見ている。


青色のミニスカートドレスを着て、マコが演奏している。


会場でCDを買ってくれた人にサインをしているマコ。作り笑いで顔がこわばるので、時々手で顔をほぐしている。


夜、空港のターミナルに入っていくマコ。


ホテルの一室でピアノを練習しているマコ。ふと見ると、ルームサービスが運んできた食事の残りが2食分置いてある。


飛行機でアイマスクをかけて寝ているマコ。


紫色のミニスカートドレスを着て、マコが演奏している。


楽屋でたくさんのCDにサインをしているマコ。


空港のエントランスからマコが出てきて、タクシーに乗る。

どんよりとした近代的な街並みを走るタクシー。マコは後ろの席に座って、ボーッと外を眺めている。


めずらしく、黒のシックなロングスカートのドレスで演奏するマコ。


飛行機でアイマスクをかけて寝ているマコ。


空港のラウンジで外を見ながら座っているマコ。身なりの良い、アジア系のおばあちゃんが来て、隣に座っていいかマコに尋ねてから、隣に座る。おばあちゃんが言う。

「このあたりは、春の若葉がキレイなのねー」

マコ、おばあちゃんの方を見て、尋ねる。

「キレイでしたか?」

おばあちゃん、マコを見て答える。

「キレイだったわー。あら、あなた見てないの?」

マコ、淋しそうに笑って、

「えぇ。ただ乗り換えでここにいるだけなの。あたし、色んなとこ飛び回ってるから、季節がわからなくなるの」

おばあちゃん、少し考えてから言う。

「…悪くないわね」

マコ、聞き返す。

「悪くない?」

おばあちゃん、言う。

「悪くないわよ。だって、それだけ必要とされてるんでしょ。春の若葉なんて、老いぼれてから楽しめばいいじゃない」

マコ、ビックスマイル。おばあちゃんも、ビックスマイル。


飛行機の乗って、外を見ているマコ。


黄色のミニスカートドレスで演奏しているマコ。


CDを買ってくれた人にサインをしているマコ。


空港に入っていくマコ。


機内食を食べているマコ。


旅客ゲートから手ぶらで出てくるマコ。あたりを見回して、何かを探す。少し遠くから声が聞こえた。

「マコー!マコー!」

マコが声のする方を向くと、「ようこそ!ピアノの妖精マコ・ヤン先生!」と書いたサインボードを持ったミサキと、「ようこそ!ピアノの妖精マコ・ヤン先生!」と書いたノボリを持ったゲーダイがいた。マコが苦笑しながら近づく。

「やめてよー。なに、それ」

ミサキとゲーダイが笑顔で近づいてくる。ゲーダイが笑いながら言う。

「あたしもそう言ったんだけど、この人が「マコに気合い見せるんだ」とか言ってさ、、、」

ミサキも笑いながら言う。

「そうでしょ?気合い見せなきゃダメでしょ?せっかくマコ大先生が音楽祭やってくれるんだから、町中で気合い入れてかないと、、、」

ゲーダイ、おかしそうに言う。

「町長も助役も来るって言ってたんだよ。なんだかんだで30人くらい参加しそうだったんだよ」

ミサキが半笑いで言う。

「そうなのよ。止めるの大変だったのよ。マコ、そんなのヤでしょ?」

マコが思慮顔で言う。

「そうねー。それは大げさねー。あんた達2人がいてくれればいいよ」

マコ、ミサキにハグする。次に、ゲーダイにハグする。

ミサキが尋ねる。

「マコ、荷物ないの?」

マコ、半笑いで答える。

「あるよ」

ミサキ、いぶかしむ。

「なんで半笑いなのよ」

ゲーダイが「あー!」と声を上げて指さす。指さした方をミサキが見ると、タツヤがたくさんの荷物をカートに載せて運んでいた。ミサキが言う。

「タツヤー、どーもここんとこ連絡取れないと思ったら、、、」

マコが笑いながら言う。

「4ヶ月前かな、急にいらっしゃったのよ。パリに。今はパリで活動中」

ミサキが悪そうに笑う。

「食っちゃったのね?」

マコ、悪そうに笑い返して小さな声で言う。

「う、うまかった(笑)」

ゲーダイがうらやましそうに、

「いーなー、あたしも行きたーい」

マコが言う。

「来なよ。日本音楽コンクール2位になったんだから、日本はもう十分でしょ?」

タツヤが3人の近くに到着して行った。

「やぁ。みなさん。ボンジュール」

ミサキが怒る。

「ボンジュールじゃないわよ。あたし達にも一言、言いなさいよ」

タツヤ、謝る。

「ごめんね。ミサちゃん。でもさ、2週間くらいでホームシックにでもかかって帰ってきちゃったら、カッコ悪いしさー」

ゲーダイが口を挟む。

「ま、ま、積もる話は町についてからで。町長をはじめとした町民の皆さんが歓迎会するって待ってんのよ」

マコが嫌がる。

「えー!いいよー、歓迎会なんてー」

ミサキが口をとがらす。

「そーはいかないわよ。予算全部町持ちなんだから、サービスしないと。今後10年、20年と続けていくためにも」

マコが口を曲げている。ミサキが続ける。

「それにね、みんな感謝してるのよ。心から。欧米で活躍する一流の音楽家が、こんなとこまで来て音楽祭やってくれることに」



4人が空港のターミナルの出口に向かって、盛大に喋りながら歩いている。ふと、マコが気づく。

「あ!マセラティ!」

ミサキ、ちょっとバツが悪そうに、

「う、うん。予算限られるからさ、マコの運転手は無償のボランティアで、、、荷物は別便で、ほら、あそこの町の車に載せて、、」

マコ、悪そうに笑いながら言う。

「食っちゃったのね?」

ミサキ、ビッグスマイルで小さな声で言う。

「う、うまかったよ(笑)」

みんな笑う。ひとしきり笑ったあと、タツヤがブーたれる。

「でもさ、オレ、またうしろの席の真ん中?」

ミサキが涼しい顔で言う。

「そだよ。両手に美しい音楽家でうれしいでしょ?」

タツヤが言いよどむ。

「うーん」

ゲーダイがタツヤを見る。

「なによ?うれしくないの?」

マコがタツヤを見る。

「あたし側はうれしいでしょ?」

ゲーダイが言う。

「あたし側ってなによ?あたし側はどうなの?」

タツヤ、二人を交互に見てオロオロする。ミサキが取りなす。

「まーまー、なんか奥志賀を思い出していーじゃない」

マコ、笑いながら抗議する。

「よくないよ!だいたい、なんであんたちゃんとした車用意してないのよ。主賓のあたしが、5人乗りに5人乗った一番ハジって、どーゆーことよ(笑)一曲しか演奏しない草津だって、もっといい扱いだったじゃない!」

みんな笑った。


白いマセラティが、軽やかに山形空港のエントランス前から出発する。空港前の広く長い一本道を走り始める。その向こうに、4人の青春を讃えるように、入道雲がキレイな輪郭を重ねて浮かんでいる。

(了)

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