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不器用な自分。不器用がすきって、どういうこと?

6年前に、決めたことがある。

ひとと、心と心で繋がりたい、と思った。

周りを優先させていた。空気を読むこと、合わせることをしていて、いい母親になりたくて、、、。自分がわからなくなっていた。

しかし、とても、とてつもなく孤独だった。

あともうひとつ。自分に正直であるということ。
自分も相手も大切にしたい。誠実でありたい。ということがある。

言ってはいけないと思っていたことを、自分が言いたいと思うことを言ってみた。これは、とても怖くて、勇気のいることだった。
笑いたくなかったら笑わないとか。とても怖かった。

自分どうしたい?を、聴いてきた。
少しずつやってきた。

どうなるんだろう。と、不安と恐怖をかかえながらやってみたら、すんなり聞いてくれたりした。あれ?想像していたのとは、全く違う反応だった。非難されるんじゃないかと思っていたから。

これをとにかく、繰り返している。

これを、しない人もいることがわかった。そういう人は、流せる人たちだ。流せばいい、と言われる。

でも、それができない。体当たりして、疲れて、初めてわかる。
みたいなことを、どうしてもやってしまう。これが結構、疲れる。
やる前に流すことができない自分がいる。これを感じた時に、ああ、器用じゃないな〜不器用だなぁ、、、と思っていた。
なぜやるんだろうかと、ふと今、思った。
ひとをわかろうとしているんだ、わたし。

そんなことを思っていたら、朝のドラマ『エール』で、でてきた言葉が胸に残った。

「なんで僕なんですか?」
「俺は器用なやつは好かん。先生は不器用やけん。」
「なんだ。賞をとったからじゃなかったのか。」

確かに、この主人公はもがいていた。

不器用な自分、それも自分。
不器用だなーと思う、器用にはなれないなーと思う自分。まるごと、それでいいんじゃないという気持ちになった。
器用にはできないけど、そこがいいと言ってくれる人たちと繋がれるのではないかと思った。むしろ、そのほうが自分にとってしっくりくる人たちと繋がれるんではないだかろうかとも思った。

自分らしいってそういうことなのかもしれない。



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