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心を言葉にすることを怠けないでおこうと思う今日この頃

私は物言いがはっきりしているため、「怒ってる人、怖い人」と思われているだろうな……という自覚はある。問題を解決するには、まずは対話しましょうがベースにあるし、やはり言葉にしないと伝わらないと思う。やりとりを通して誤解をとくなり、折り合いをつけるなり、決裂するなり、納得の上で結論にたどり着くのがお互いのためではないだろうか。

みんながみんなそうでないことも分かるし、多くを語らない方を推奨(美徳)とする人が意外と多いことも分かっているつもりだ。その辺りも考慮しつつ、冷静かつ慎重に言葉は選んでいるにせよ、意見された→否定された(してないんだけど)→怖い、怖い……そう受け取られることも少なくはない。その反応も含めて、今後どうするのかを決めるだけなので別に構いはしないけれど、できる限り平和的解決を目指したい気持ちはあるので、やっぱり対話を、言葉をくださいといいたい。

とはいえ、「はっきり伝えよう」のそれは、ネガティブなことだけとは限らない。あくまで心がけ程度の話だが、うれしいときはうれしいと伝え、悲しいときは悲しいと伝え、ありがたいときはありがとうと伝えるようにしている。家族にも、友だちにも、仕事関係の人にも、周囲のすべての人に対して、なるべく誤解なく私を知ってほしいし、駆け引きとかマウントなども考えず、ただただ取り繕うことなくシンプルに感情を提示していきたい気分なのだ。人にも自分にも素直でありたい。

水が流れていくように、移ろい消えゆくのが心というもの。だからこそ、その瞬間をすくい上げておきたい。まぁ、ネガティブな感情はいっそ流してしまった方がいいけれど、それがたまりにたまって淀んでしまっても意味がない。人と人とがあくまで良好な関係を続けるにあたって、目には見えない心をオマケ程度に添えてみてもいいんじゃないかな……そんなイメージ。自己満足以外のなにものでもないけれど、心を言葉にすることを怠けないでおこうと思う今日この頃である。


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