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その「ひと言」が子どもを追い詰める

先生が何気なくかけたひと言が、子どもを学校に行けなくしてしまう。
そんな事例を最近よく耳にします。

責められる必要がないのに責められる

「注意をすると、聞いてほしい子には何も響かないのに、もともと注意を聞く必要がない子ほど深く深く気にしてしまう」というのは、教育現場だけではなく、なんなら大人に対してでも良くある話ですよね。

学校にはなぜか「連帯責任」が好きな先生が多いです。
一人の子の悪さで、クラス全員が一時間怒られる。とくに中学校ではよく見る光景ですよね。

でもこれほんと意味がわからなくて。
悪さをする子を注意して止めるのは大人の責任じゃないですか?
「黙って見ていたお前も同罪」って、本当にその子の責任なんでしょうかね? 
クラスメイトだからという理由だけで、なんで他人の行動にまで責任を持たないといけないんでしょうか。
しつけはクラスメイトではなく、親・大人がするべきものです。

子どもたちの社会は複雑です。
悪さをしたクラスメイトを注意したことで、その子にいじめの矛先が向くことだってある。そんなリスクを冒させるほど、「同じクラスだ」ということは責任が重いんでしょうか?

まじめなで繊細な子どもたちは、先生から「連帯責任」と言われたら、それが心に深く突き刺さります。
クラスメイトが悪いことをしたのに止められなかった自分はダメなんだと思います(そう思わせるためにクラス全員を怒るわけですよね)

自分なりに一生懸命やっているのに、あらゆる場面で、ダメだダメだと言われる。
そんな状況で「自己肯定感」なんて高められますかね?

連帯責任としての指導は、刺さってほしい子どもには刺さらず、まったく刺さる必要のない子の心を深く傷つける可能性があることを、現場の先生方には理解してほしいです。

刺さりすぎる「ひと言」

また、いつもまじめな子がちょっとしたミスをしたときの、必要以上の叱責も取り返しがつかなくなる可能性が高い「ひと言」。

たとえば、宿題が提出日に間に合わなかった子が、
「明日までに絶対提出しなさい」
と先生に約束させられて帰宅。
でも、その日は習い事があって宿題ができず、帰ってきたら疲れて寝てしまった。

さて。
翌朝起きたこの子が学校に行くハードルって、どれくらい高くなると思いますか?

まじめな子ほど「宿題が終わっていないから学校に行けない」となりますよね。
子どもにとっては、世界が終わるような状況です。学校に行ったら絶対に先生に怒られます。友達にも「あいつ宿題やってなくて先生に怒られてる~」とからかわれます。

無理に学校に行かせたとしたら、子どもは間違いなく学校で「嫌な思い」をして帰ってきます。
逆に親が許容して、一日休ませたとしたら、今度は「一日ずる休みをしてしまった」という罪悪感が子どもの中に残ります。

どちらにしても、「明日、どんな顔をして学校に行けばいいのかわからない。明日もきっと嫌な思いをするだろう」となるのではないでしょうか。

大人は「そんな、宿題くらいのことで」と思いますが、子どもの世界はそんなに広くありません。
まして先生が宿題を忘れたことを強い口調で責めたとしたら、子どもにとっての恐怖と罪悪感はどれほどのものでしょうか。

こういったきっかけの不登校って、実態ベースでよく聞くんです。
ほんとうに些細なひと言で、「先生が怖い」「学校が怖い」となってしまう。

親や教師が子どものころと違って、今の子どもは強い口調で責められることや暴言に慣れていません。親からも怒鳴られたことがないという子もいます(私にはぜったいに無理ですが!)。

大人が発したそこまで追い詰めるつもりはない一言で、子どもにとっては全ての退路を断たれてしまったような感情になることがあるんです。

宿題の例なら「できあがったら持ってきてね」と言ってくれれば、子どもはそこまで追い詰められなかったはずです。

まじめな子であれば、数日後にはちゃんと持ってきます。
不真面目な子であれば、たとえ「明日持ってこなければ教室に入れない」と激詰めしたとしても持ってこないんですよ。

それは威圧的な言葉だけでは解決できない、もっと根本的な問題ですから。

実はほんのひと言で、子どもたちの人生を大きく変えてしまうことが、特に教育現場では多いのだということを、子どもに関わる大人はみんな理解しておかなければなりません。

特に「子どもにとって立場が上にみえる」大人が不用意に発した言葉は、子どもにとっては「絶対命令」になります。
それほど重みのある言葉のつもりで発しているでしょうか?
感情に任せて、思いついたまま口にしていないでしょうか?

ぜひ口に出す前に、「そのひと言の重さ」を1秒考えてみてください。


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