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母の役割

夜が好きだ。

もともと夜型だったけれど、最近はなおさら夜が好きだ。家族が寝て、しんと静まりかえった部屋にいるのが大好きだ。誰にも邪魔されない。朝まで時間が永遠にある。やっと自分に戻れるという気がするから。

フリーで仕事をしたりもしているけれど、それが生き甲斐とか、情熱の対象という訳でもなく、私の今の生活の大半を占めるのは、「母」という存在として生きている時間だ。

私は母性溢れる人間ではない。長男が生まれた時も、感動というより疲れ切って「やっと眠れる」と思ったのが一番で、ただ、殺してはいけないと責任感だけで育ててきたようなものだ。親族は多い方だがそのなかでも末っ子で、我が子の前に赤子というものに触れたこともないような人間だった。彼には、無償で愛されることの喜びとプレッシャーを教えてもらった。母親は、澄んだ瞳のかわいい生き物から(無条件で!)世界で1番美しく、重要な人に認定してもらえる。びっくりした。2人目が生まれて、幼い子ども達の愛らしさ、若い生命感の強さを知った。本当に愛おしいふたり。

母親である私が日々の生活の中でする選択は、独身時代には絶対しなかったようなものも多い。母である私の人格は、本来の人格と違うと思う。

それでも、母という役割を自分の人生の真ん中に置こうと決めた。(本当は少し消極的な理由なんだけど、とにかく覚悟を決めた。)

もう、赤子でも幼児でもなくなった子ども達。物理的に私が手を貸さなくてはいけない機会はもう殆どない。家事能力は鍛えた。私がいなくても不便はあっても困ることはないと思う。

私がいなくても困りはしないが、私の今の役割は「いる」ことだ。

ただ、存在する事。いつも変わらない場所に、変わらずに居ることだと思っている。「母親はあそこにいる」と思うことが、彼らの背中をちょっと押す力になれたらいい。「待つ」のではなく「いる」。「いるだけ」なんてホント生産性がなくて悲しくなってしまうのだが、家族のだれにとっても贅沢なことだと理解している。家族が今の私の役割を、ちゃんとありがたがってくれるてるのが救いかな。

もう、「自分の人生を生きる機会はないのかな」と、夜に佇む私は考える。こんなはずではなかった。でも、与えられた役割を、人生を、しっかり生きていきたいと思う。

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