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自分の真ん中にあるぼんやりしたものに名前をつけられた話

1月にnoteを毎日書いてみました。

いつも頭の中でごちゃごちゃと色々考えていたのですが、全く整理されず、悩みや不安、不満が膨らむばかりだったので、少し自分のことを確認してみたかったのです。

何もプランを立てず、思いついたままに、思いついたことを書くだけ。それだけ。

それでも、30個くらい書けば、自分の興味の対象がはっきりしてくるんだなぁ、と驚きました。アウトプットの必要性がよくわかりました。全然バラバラに考えていたことが、根底ではつながっていたのだとわかりました。

私が、現状興味をもっていることは、以下の4点。

1) 教育について
現状の詰め込み型や、偏差値ばかりを気にする傾向に疑問をもっています。教育ってこういうことだっけ?学校って、そういうところだっけ?と感じることが多いです。これは、国を問わず。でも、日本の学校にはとりわけもっと変わってほしいと思っています。私にとって大切な国なので。

2) 移民やマイノリティの権利と共生社会について
移民問題で燃える欧州の中で、日本でもなく、配偶者の母国でもない国で暮らしている私たちは紛れもない移民、子どもたちは2世として暮らし育っています。「〇〇人」「外国人」というだけで嫌われたり、悪意をむけられる…そこまで行かずとも、変な視線を向けられること……「ゼノフォビア」…ものすごく怖いです。最近はマイノリティ同士の権利がぶつかり、攻撃し合うことも。どうしたらうまく共生できるのか、寛容と柔軟性の答えは「教育」の中にしか見つけられない気がしています。

3)言語とアイデンティティについて
これは上と被りますが、マルチリンガルの子どもたちを育てるなかで、どうするべきか、何を優先すべきなのか、常に考え続けていますし、一度「こうしよう」と思ったことも変わりつづけています。言語と文化、国民性は密接に関係していると思いますが、きちんと引き継ぐべきか。それとも、在住国のアイデンティティを強化すべきか、きっと正しい答えはないと思うので、自分たちにとってのベストを探していきたいです。

4)子どもの福祉、とくに教育機会の平等について
自分の子ども達は、様々な面で恵まれていて、それぞれの個性にあった学校で学ぶことができています。非常に充実した設備とカリキュラムのもと、素晴らしい友人と教師といったソフト面での環境にも恵まれて、のびのびと学校生活を満喫しています。
自分にあった学校を選べたという点で、彼らはまずとてつも無く恵まれている。そうできずに苦しんでいる子ども達の方が大多数であること。また、その結果、どんどん自信を失って、ストレスをためていく子どもが多い現実に心を痛めています。全員とは言わなくても、なるべく多くの子ども達が、自分の未来への可能性を信じられる世界であってほしい。適切なところへアクセスできない子ども達のことを想っています。環境で人は変わるから。

格差とか、貧困とか、社会問題は様々ありますが、私が一番気になるのは、「機会の平等」のようです。世の中は不平等。それを全て正す事はできないけれど、「機会」だけは平等にできるんじゃないかな。私の中での「正しい社会」とは「正義」とは、みんながチャンスを与えられる社会なのだとわかりました。

そして、つまり私は日本の学校教育と多様性の受け入れの過程を気にしているようです。日本に1万9千人いるとされる不就学の外国籍の子ども達のことを心配しています。教育の機会を与えられず、将来を描けず、希望もなく、社会への不満と怒りをためて育つ彼らが大人になった時、彼らと共に生きる未来を、日本社会がきちんと受け止めきれるのか、とても心配です。今から動かないと。今でも遅すぎる。

自分には何ができるだろうか。

地球の反対側にいるけれど、移民の私だから、2世の親の私だからできることがあるかもしれない。だから、もっと学んで、できるところから行動に移していきたいと思います。

noteを書くことで、本当にすっきりしました。私の駄文を読んでくださっていたみなさまありがとうございました。それがなければ、たったの30日でも続けられなかったし、今でも漠然とした感情に溺れていたと思います。noteを始めて本当によかったです。



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