例トレ#8 なぜ「存在文」を習う必要があるのかを考えてみた
今回のお題は存在文の「ある・いる・ない・いない」です。「〜に~が あります・います」といえば、初級の初級に導入するど定番文型。みなさんはこれをどんな場面で導入してらっしゃいますか。公園?町?部屋の中??日本語を教えるための基礎知識として習うのはこちら。
でも、この文型って導入したとき、必ずといっていいほど学生に「で?」って顔をされませんか。存在をただただ描写するというシンプルすぎる文型・・・。インフォメーション・ギャップを使った活動など楽しいのもあることにはありますが、これをひたすら言う「意味」がわからないという不思議そうな顔・・・。笑
言語がコミュニケーションの手段だとすれば、存在文が言えることになんの意味があるのか?というわけで、今回はわれわれ日本語ネイティブがどんなときに自然に「ある・いる」が出るのか、探っていきたいと思います。
今回もcoto講師の皆さんからたくさんの例文が集まりました。例文はぜひコトハジメのHPからご覧ください。
「あります・います=There is/are」なのか
例文を見ると、私たちはいろんな場面で存在文を使っているのがわかりますね。そして、存在文はものや人・動物の単なる存在描写が第一義ではないようです。驚き、発見、教示、感想を伝えたい!という機能が存在文にはあるようです。
今日も我が家では朝から「イヤーポッズがない、ない」と大騒ぎをしていましたが、「あったー!= I found it! = Here it is! 」 こんなニュアンスもあるのです。他にも・・・
息子:"Where is Mom?" お母さん、どこ(にいる)? 娘:"She is in the kitchen, I guess." 台所にいるんじゃない。
"Do you have anything by Tatsuro Yamashita (here)?"
(こちらに)山下達郎の(レコード)って、ありますか?
日本語教育で「存在文」というと、よく英語のThere is/areとイコールで結ばれているものを見ますが、それは一部の機能であって、上の例文のように英語話者にとっては、have(所有)だったり、be動詞で表すところだったりするんですね。
"There is/are" が出るのは、おそらくただの状況描写(昔々あるところに...once upon a time, there was …的なもの!?、何かの存在の新情報を伝えたいとき??)、そして、上の例文のような発見・疑問の文脈なのではと感じています。
日本語の「ある・いる」を教えるとき、「存在」という言葉やら「there is/are」という訳語やらにしばられてしまいがちですが、これはあくまでも便宜上使われているもの(かと)。これもまた日本の英語教育の弊害かもしれないと思うのは私だけ!?
兎にも角にも「木を見て森を見ず」にならないようにしたいものです。ちょっと視点をずらし、日本語ネイティブというフィルターを通してみたり、物事全体を俯瞰してみたりすると、その表現の本質が見えてきて、ますます日本語が面白く感じられるようになるかもしれません。
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