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結節性紅斑になった話

2013年の夏、わたしは結節性紅斑になった。原因はストレスと医師からは言われ、実質、具体的な原因は不明だった。

病気当時は、一等地の一階に路面店を構えて、マッサージセラピストとして独立開業した1年後のことで、とにかく、一生懸命でした。休みは週に1回と決めてはいたものの、ほぼ365日お店に寄り、予約が入れば受け、全然休むことをしませんでした。というのも、それはサラリーマン時代から染みついてしまっていた労働癖で、完全にその時の意識のままでした。サラリーマンの時からリラクゼーションのお店に勤めていましたが、その時は他にもスタッフがいたので、仕事も分担できていたし、全てを自分一人でやる必要がなかったわけです。でも一人になるとそうはいかず、全部を一人でこなした上に単価もほぼあげないままで、売り上げも、その勤めていた時くらいを目指していたので、そりゃ無茶な話だな、と今なら思うのですが。

今考えると、無理をしていたし、頑張っていたのに、病気になった時といえば、その自覚がなかったのです。気力が人一倍あったし、この仕事もめちゃめちゃ好きだったし、身体を休めてあげていないことにも気がついておらず、強迫観念に近いもので常に物事を選択していた気がします。もちろん身体や心の状態なんて、深く知ろう、感じようともせずに、お構いなしでした。

はじめは胃が消化不良というか、なんかキリキリ痛くなったことが発端で、悪くなればお医者さんへ行き、診察を受けて、薬をもらう。の対処療法の繰り返しでした。それも、良くならなかったので、何軒も病院へ行きました。そしていろんな種類の薬を処方してもらい、飲みました。でも治りませんでした。(新規で行った病院へはお薬手帳を持っていっていたので、どんな薬を処方されているのか、という過去のことも当然理解してもらえているだろう。と過信もしていました。)

そしてこの病気になるまでに、もちろんサインはありました。微熱、倦怠感、喉や胃の痛み、あらゆる不調。皮膚に虫刺されのような、かゆみを伴う赤みがでたり。それでも上記のような状態ですから、身体と心は置き去り。どうにか、働けるようにということしか考えていませんでした。

そしていよいよ、関節が腫れ、熱が上がり、虫さされのような炎症が足全体に広がっていき、これはさすがに、まずい。と思い、夜間の救急の診療を受けることに。

そこから病名がわかるまで、三日間、総合病院に通いました。主に内科で毎日、血液検査。毎日5本くらいは採決されていました。日に日に症状は悪化していき、三日目には、関節は腫れて、立てなくなり、車椅子じゃないと動けないようになりました。足も炎症で2倍くらいに腫れて、とにかく倦怠感でいっぱいで、こんな状況なのに、医師の方もいろいろな質問をして下さるけれど、どの質問にも該当せず、また数値と症状が一致する病名がないようでした。とっても不安で悲しくて、怖くて、泣きました。治らなかったらどうしよう。と。

そしてその時、皮膚科でも受診してみては。と皮膚科の病棟へいくことになりました。その時のこと。後の主治医となる先生が、わたしの症状を見た瞬間に、病名を見つけてくださいました。「あ〜これ、結節性紅斑よ」「治る治る、大丈夫よ」とあまりにもあっけらかんと告げたのでした。この時、本当に安堵し、光がみえた瞬間でした。よかった、治る。と。「若い女性に多い病気で、あなたみたいに重症化していると、絶対安静。絶対に動かないでね。家事もしたらだめよ。」とすぐに入院することとなり、強制休暇のはじまりでした。

結節性紅斑とは自己免疫疾患で、皮下脂肪組織を中心とする炎症が起きる病気でした。私は大元の原因がなく(症状としてはベーチェット病やリウマチ等の膠原病の人にある病気)一過性のものでした。

休んでいる間は、とにかく、よく眠りました。すごい時間毎日眠れるのです。人ってこんなに眠ることができるのか?というくらいに。すると一ヶ月後、だいぶよくなると、眠気もおさまって、その時に今までに感じたことがないくらいに、身体が軽かったのです。幾度も幾度もしんどいからといってマッサージに通っていたのに、休んで、休んで、自分の身体の声に従ったら、こんなに楽になった。と。なんで今までこんなに、ないがしろにしていたのか。と思ったら、本当に情けなくもなりました。

そして病名が分かった当初に、内科の担当の医師から、ストレスが原因、、ですかね。という風に告げられ、至極曖昧な感じだったことに、すごく疑問を感じました。(こんな現代でも分からないの?と)看護師さんにも「どんな病気なんですかぁ〜?」と逆に聞かれる始末、、、。よほど珍しい病気だったのだと思います。

この病気は身体からのメッセージでした。今はこのことがあったから、からだ、こころ、あたま、のつながりを考えられるようになったし、また何よりも、自分のささいな変化を体調や気分、でわかってあげられるようになりました。

例えば、雨が降って、気圧の変化で身体がだるい。以前であれば、そんなの関係なく、だるくても、頑張って働かなければ。怠けてはいけない。とジャッジをし、頭で動いていましたが、今では、今日は予定がないなら、だるいし、お休みの日にしよう。と身体の声を聞くことができます。怠けることと、休めることは違う。


これはクライアントさんをセッションさせて頂いた時のお話を過去に書いています。

じぶんの本音をきかないようにし続けると、心は感じなくなっていき、そのうち身体がおしえてくれる。病気という形だったり、いろいろな不調で。
先日、ぎっくり腰になられた方は、仙骨がひんやりして、第二チャクラのバランスが崩れた状態でしたので、クラニオセイクラル、エサレンと花療法のセッションをいたしました。
来られた時は動きという動きが難しそうでしたが、終わった頃には椅子にも座っていられて、動きのスピードも随分と変わられ、歩けるようにはなっていました。そして
’ 今まで無理させてしまって、自分の体にごめんなさいです。’
とおっしゃられていました。身体も心もいろいろと気がついてもらって、少し安心したのかな〜。うんうん。必要なことに気がついたら、心は癒されるし、その身体の症状ってだいたいはおさまっていく気がします。
そんな貴重な体験を共にさせて頂き、身体と心と頭の 仲介役みたいな、通訳みたいな、通りすがりみたいな、この役割がわたしはとても気に入っています。

病気の経験がなければ、頑張って無理して身体を壊さなければ、こういうケースの人の気持ちは分からなかったと思います。

そしてこの病気の経験があったからこそ、後にエサレンやフラワーエッセンスに出逢うこともできました。だから、マイナスだったけれど、後にはこの経験は学びとなり、とても役に立っています。

わたしのエサレンの師が、人は癒された分しか人を癒すことはできない。どんな経験も体験して、深く味わわなければ、クライアントのことも分からない。と言っていたことが心に残っています。

ちなみに、結節性紅斑はこの後、一度も再発することなく、元気に生活できています。その詳細などはこちら


あらたな経験のために使わせていただきます。 そしてまたその経験をシェアいたします〜*