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ショートショート82 「前向きブランコ」

 夜の公園でブランコに腰掛けて、小さなため息をこぼす。

 絵に描いたようなくたびれた中年男性。それを端から観る側ではなく、まさしく自分がそうなってしまったことに皮肉めいた笑いがこみ上げてくる。

 人生何を以てうまくいっていると言えばいいのかは分からないが、気持ちの問題を論ずるならば、私の人生は今沈んでいる。

 さしあたって大きな問題があるわけではない。ただ、なんの変哲もない繰り返しの日常の中で小さな歪みが折り重なっていき、それはやがて不協和音を奏でていく。

 家庭では娘との関係に悩み、会社では若手社員との関係に悩む。

 ありふれた中年男性の悩みを私もまた抱えているわけだが、みんなそうだよ、なんて言葉は慰めにならない。

 他が悩んでいれば、私の悩みが小さくなるわけでは決してないからだ。

 娘も激しい反抗期は終わっていて、目に見えて嫌悪されているといった感じはなくなっているのは分かるものの、お互いどう接していいのか分からず、そんなに広くもない家の中で距離を測りかねている。

 今の若者というものは、仕事に身を捧げるというよりも、会社とプライベートの生活をはっきり分けていて、必要以上の残業は労働基準法を持ち出して、キッパリと拒否してくる。

 それはそれで正しい姿なのだが、私の上司はモーレツ世代。その強烈な二枚の壁に挟まれて消耗するしかないのが中間管理職のつらいところだ。

 私も若い頃は、上司の考え方は古い! なんて居酒屋でクダを巻いていたものだが、年月は本人の自覚の有無とは無関係に、いつの間にか批判される側に人を追いやっていく。

 部下に強く指示もできず、かといって上司に期日に間に合わないというわけにも行かず、自分で仕事を処理していた結果、時計の針は10時を回った。

 娘の受験勉強の集中を乱さないように、ということで11時頃の帰宅を妻に命じられ、いつもならネットカフェで過ごすところ、ちょっと哀愁に浸ってみたくなったのか、私の足はこの公園へと向いた。


 弱々しくブランコを揺らすと、ギ……ギ……と鈍く金属の擦れ合う音が響く。

 悲劇の気分に浸りたかった私には、ぴったりのBGMかもしれない。

 そんなことを考えていた時だ。

 キイ……キイ……

 と音を立てて、隣のブランコが揺れ始めた。

 誰が乗っているわけでもない、無人のブランコはその上で誰かが漕いで勢いをつけているかのように、振り子の軌道を大きくしていく。

 お化け的な何かか? 恐怖を感じるには心が疲れすぎてしまっていたことが幸いし、私は冷静にその光景を眺めていた。

 ふいに私はブランコの上に立ち上がり、競うようにブランコを漕ぎ始めた。

 向こうの揺れ幅が大きくなれば、こっちもそれを追いかけ追い抜く、向こうも乗ってきたようで、抜かれれば抜き返してくる。

 姿の見えない相手との無言のブランコチェイスが続いた。

 お互いの揺れ幅がピークに達し、勝負は平行線となる。

 このまま揺れ続けていても、ラチがあかない。

 これで、怪我でもしたらお笑い草だが……よし見てろ。

 私は意を決して、小学生以来のブランコからのジャンプを遂げた。

 想像以上の勢いに地面に両手をついてしまったが、何とか成功だ。

 さぁ、どうだ? という目線を後方のブランコに向ける。

 ギィッ

 ブランコが一際大きな音を立てて揺れると、その上にあった重量感が消失し、空(まぁ、見た目は最初からだが)のブランコは無秩序に暴れている。

 私の着地した地点の少し手前に、小さな土煙があがり、それっきり姿の見えない何者かの気配は消えた。

 ……敗けた。

 だが、私の心は晴々としていた。

 そうだな。同じ場所で精一杯足掻いても、それはブランコを一生懸命漕ぐようなものだ。

 現状を変えたければ、勇気を出して前に進むしかない。

 あの姿の見えない幽霊だか何かの気配は、ブランコから飛び降りてどこへ行ったのだろうか。

 何にせよ、私も前に進んでみようじゃないか。

 手についた乾いた公園の土を払うと、私はそこを後にした。


<了>

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