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【短編】しあわせ予備校-4
「さぁ、講義を続けますよ」
さっきまで扉の前でヒィヒィ言っていたことなど無かったかのように、なるべく威厳を保ちつつ、ゆっくり席に戻っていくミスター四宮に目もくれず、田中さんは黒板に
「お金」
と書いた。
「さて、お金ってなんでしょう? ……金森さん」
また、不意に俺にくる、と構えていたら当てられたのは金森さんだった。
「え? え〜と……。生活のために最低限あれば、それでいいというか、愛には敵わないというか。それがあるからしあわせじゃないっていうか」
席に戻って腕組みをしているミスター四宮が「フンっ」と小さく鼻を鳴らす。なるほど、お金が不幸せの原因なのは彼と見て間違いない。見るからに金への執着が強そうだ。
「金とは、人の格を示すものだよ。ゲームで言う経験値やレベルみたいなものだ。現に金がある人間の方がいい暮らしをしているだろう」
当てられてもいないのに、たまらずと言った様子で持論を語り出す始末。
「はい、金森さんもミスター四宮もありがとうございます」
答えの内容には特に期待していない……というか関心がないように、表情を崩さず田中さんは、淡々と講義を次に進める。
「色々な考え方がおありとは思いますが、まずフラットにお金の機能を考えてみましょう」
そういうと、黒板にこんな一文を書いた。
”お金=モノやサービスとの交換に用いるもの”
「平たくいうとこういうことでしかありません。あくまでもモノやサービスを得るための道具に過ぎないわけです。とはいえ、たくさんお金を持っている人が、よりグレードの高いモノやサービスを手に入れることができるわけですし、歴史上の上流階級に属する人々はやはりお金を持っています。そういう意味では、人の格を示す指標という考え方もあるかもしれません。
お金をたくさん払える人は、それだけいいモノやサービスに囲まれた暮らしができるわけですね。多く払っても見返りがほぼ平等なんて、税金くらいのものです」
田中さんのしあわせ講義はどうにも俗っぽい要素が含まれていて、やはり天使には見えない。
ミスター四宮は、持論を指示するような田中さんの説明に、満足そうに肯いている。
「……とはいえ、金森さんがいう通り、お金があるからと言って必ずしもしあわせとは限らないわけです。お金があったらあったで、それを守るために神経を尖らせないといけないですし、晩年や死後には遺産を巡って、親族が醜い争いを繰り広げたりするわけです」
今度は、金森さんが「そうだわ」と大きく頷く。
「ここで、ミスター四宮がお亡くなりになりかかっている理由ですが、それは酔っ払って若者に喧嘩を吹っかけたせいです」
これには、あの大人しそうな金森さんがズッコけた。
「そんな! 私は、軟弱なそこらの若者には負けないぞ!!」
と抗議の声を上げる。あぁ、この調子だと確かに、勝てない喧嘩を吹っかけて痛い目に遭いそうだな、と俺はなんだか納得した。
「まぁ、問題はその原因ですね。あなたの会社は順調に業績を伸ばしていましたが、その分家庭を省みなかった。ある日、家に帰ると奥さんはお子さんを連れて家を出て行ってしまっていた。その事実にショックを受けたあなたは、自暴自棄になって酒を煽り足元のおぼつかない中、肩がぶつかった若者に喧嘩をふっかけて、返り討ちにあった……というのがことの顛末です」
これにはミスター四宮も流石にショックそうだった。
というか、当初の見立て通り、やっぱり彼は経営者とかそういう類の人物だったんだな。
「そんな……、何不自由のない暮らしをさせていたのに家を出て行くなんて」
記憶がなくなっている分、自暴自棄になるほどのショックを二度受けていると考えると、なんだか気の毒になってくる。
「お金を渡しているから、それでいいって、私はそれじゃあ寂しいと思います」
珍しくオドオドした様子ではなく、ハッキリと金森さんが主張する。
「そもそも、どうしてそんなにお金が大事なんですか」
批判の声に耳を塞ぐ代わりに、腕組みをして目を閉じているミスター四宮だったが
「おそらく、小さい頃の経験が原因なんだ」
ポツリと語り始めた。
「私は、何不自由のない家庭で育った」
……そこは、貧しい家で育ったとかじゃないんだ。
「初めてもらった小遣いで、欲しかったお菓子を買った時。ものを手に入れる快感を知った。金があれば、欲しいものが手に入る。なら、もっと金を手に入れる方法はないか、そう考え続けた結果、起業するという考えに行き着いたんだ。人から給料をもらうのでは、手に入る額は知れてるからな。より良いモノやサービスを手に入れるため、それだけを目的にビジネスに夢中になった。業績は順調に伸びていった。
金はしあわせの指標だ。たくさんの金があればなんでも手に入る……そのはずだったのに」
典型的なお金で不幸になる人の考え方じゃないのか、これ。
「ご家族はお金よりも、ミスター四宮との時間を求めていたのかも知れませんね。しあわせの追求は、自分に許されている資産の配分のバランスとも言えます。お金ももちろん資産ですが、ミスター四宮の場合、時間を注ぐことをしなかった。
お金と時間。これらの資産価値は……」
田中さんは、黒板に
”数値×心”
と書いた。
「数値の大きさと、どれだけの心がこもっているか。たくさんのお金を渡していても、そこに家族への心がこもっていなければ意味がありませんし、家族に割く時間が少なければ、相手は満たされることはないでしょう。
稼ぎが少ない中で捻出した友達への結婚祝い・出産祝い、お見舞い金などは、金額は相場通り、場合によってはそれ以下だったとしても、こもっている心の大きさで、受け取った相手をしあわせにすることができます。
一緒にいられる時間は少なくとも、集中した時間で十分な愛情を持って接すれば、それで家族の許しは得られるかも知れません。
そのどちらもせず、お金だけを注視したミスター四宮は、資産の配分ミスを犯していたと言えるかも知れません」
田中さんの説明を、怖いくらいにジッと腕組みをして聞いているミスター四宮だったが、
「そうか……私は、金しか見えていなかったんだな。本当に大切なものを失ってそれでいいはずがない。人は心の生き物なのだ。金で心を失って、それでしあわせなはずがないんだ」
自嘲するように、少し寂しそうな笑顔を見せたミスター四宮は、ゆっくりと席をたち
「もう一度やり直せないか、心を尽くして向き合ってみようと思う。ここに来られてよかったよ」
と身体は出口の方へ向けて、田中さんに御礼を言った。
そのままゆっくりと、力強い足取りで扉に手をかけ……四度目の扉と格闘する中年男性の姿を展開した。
最初は、穏やかな笑みをたたえたまま、グッグッと扉に力をかけて行くが、扉が開かない焦りから、次第に両手を添えて思いっきり力を込め、顔がどんどん真っ赤に染まって行く。
終いには足まで使って ガン ガン と扉を押すも、見た目は薄いその扉はビクともしなかった。
「な……なぜだ」
その場にへたり込み、肩でゼィゼィと息をしているミスター四宮を見ながら、相変わらず表情を崩さず田中さんは
「では、次の講義を始めましょうか」
と告げた。
「おい! 私は、修了できていないのに次の講義を始めるのか!」
ミスター四宮が抗議するも
「扉が開かないということは、この講義だけでは修了できていない、ということなのですよ」
と極めて冷淡に言った。
正直、俺もマジかよ、という気持ちだし、ふと目線をやると金森さんも困惑している様子だった。
これは、修了なんだな、と思っていたのに。
そんな空気を意に介さず、田中さんは次の講義に移るため、黒板消しをメトロノームのように振りながら板書の内容を消して行くのだった。
〜続〜
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