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【短編】しあわせ予備校-1

「……んだ……こは!」

「……!? ……いうこと!!?」

 周りの騒々しさに誘われて、段々と意識がハッキリしてくる。あれ? 俺、そもそもなんで眠ってたんだろう。

 頬に硬い感触がする。ゆっくりと目を開けると、それが机であることを理解した。細長いセミナーデスクに等間隔に並べられた椅子。前方に目をやると、大きな黒板が据えられている。

 なんだ? ここ。大学?

 目を覚ましたと思っていたが、まだ夢の中にいるのだろうか。最近、仕事が忙しくてあんまり寝てなかったしなぁ。

 それにしても夢って脈絡がないよな。過去の出来事が現れる時もあれば、全然知らない場所にいたりもする。

 今回は、両方がミックスされたケースのようだ。そこは俺が卒業した大学の講義室とは違う場所みたいだが、一見して何らかの教室だと認識できたのは、その場のそこここに配置されたアイテムが記憶の中のそれと合致しているからだ。

 教室の中で、騒ぎ立てているのは二人。

 一人はギラギラして精力旺盛、と言った風貌の五十代くらいのビジネスマン。サラリーマンという表現は似つかわしくない。人に使われる側というよりは、人を使う側。経営者とか士業とか、そういう自分でビジネスをやってそうな雰囲気のおっさんだ。

 もう一人は、十代後半〜二十代前半といった見立ての女の子だ。顔立ちは整っているが、怯えた子犬のような下がり眉にウルッとした大きな瞳からは自信がなさそうな印象を受ける。この突飛なシチュエーションに面食らってそういう表情をしているという可能性もなきにしもあらずだが、パニックで上ずっているのを差し引いても甲高いと感じる声からも、普段からそういうオドオドした性格の娘なのだろうと予想される。

 教室を見渡すと、隅の方にもう一人少年がいるのが見て取れた。歳のほどは、十五〜七歳と言った感じだろうか。眉が隠れるほどに伸びた前髪が、元々陰鬱な感じの顔立ちをさらに不吉なものへとメイクアップしている。学生服を着ていなければ、大学生だと言われても普通に信じたと思う。若々しさはないのに、なぜか幼い印象を受ける彼は他の二人のように騒ぎ立てはしないものの、目を見開いて机を睨みつけている。モゴモゴと小さく唇が動いていることから、ブツブツと独り言をいっているのだと見て取れた。

「ここがどこかなんて、もうどうでもいい! 早く会社に戻らないと」

 焦れたようにビジネスマンは、聞こえよがしにそう宣言すると教室のドアに手をかけた。教室によくある薄手のスライドドアは、貧弱そうな見た目とは裏腹にビクともしなかった。

 鍵がかかってるのか? と、引き手と逆側を調べるもそれらしきものは見当たらないらしい。腹の出かかった五十代とは言え、男一人の全力で開かないわけはなさそうだが、依然としてドアはビクともしなかった。

「なん……だ、これは」

 ヒイヒイと肩で息をしながら、ビジネスマンはその場にへたり込む。

 キーン コーン カーン コーン

 誰が作曲(?)したのかはサッパリ分からないが、誰もが知ってるあのチャイムが教室に鳴り響く。

 ガチャッ とドアを開けて、角刈りのオッサンが入ってきた。

 ヒョロっとした面長の顔に、縁無しのメガネをかけ細身のスーツに身を包む。喋らなくても”堅物”という印象を与える男だった。

 っていうか、そのドア。押すタイプだったのかよ。その見た目で……。

 ビジネスマンも面食らった様子ではあったが、心得たとばかりに男の横を潜り抜け、ドアに取り付いて押してみるものの、やっぱりビクともしなかった。

 角刈りのオッサンは、ドアと格闘するビジネスマンに一瞥をくれると、そのまま黒板の中央に据えられた教壇へと歩を進める。

 コホン、コホン……と二度。軽く咳払いをすると、教壇にピンと手をつき口を開いた。

「えー、しあわせ予備校にようこそ。私、このクラスを担当します。天使の……」

 その見た目で、天使かよ。やっぱ夢って、すげえ。

「田中です」

 え? と既に誰も喋っていないにも関わらず、さらに静かさを増した教室に、天使(田中さん)のチョークの音だけが響く。

 田中・ハリエル・吾郎

 板書された名前を見て、四人の「マジか」という戸惑いが教室に満ちていた。意に介さず天使(田中さん)は続ける。

「まぁ、親しみやすいと思いますので天使ネームのハリエル、と呼んでいただいて結構ですよ」

「えーと、ミスター田中」

「ハリエル、でいいですよ」

「いや……ミスター田中」

 いつの間にか席についていたビジネスマンの質問にいささか不満そうではあるものの、田中さんは無言でメガネをクイッとあげ「続けてください」の意を示す。

「しあわせ予備校……とは、一体なんだね? なぜ、我々が?」

 それは全員の疑問を代表して質問してくれた形になった。

「ご心配なく。順を追って説明していきます」

 この手の質問には慣れっこ、と言った様子で田中さんは続ける。

「皆さんは、お亡くなりになりかかっています」

 ……?

 四人の表情に困惑の色が浮かぶ。

「平たくいうと死にかけてます」

 いや、変な日本語だったけど、意味が分からなかったわけじゃない。今俺たちはここにいて、どう見たって生きてる。

 ビジネスマンのオッサンは汗だくだし、気弱そうな女の子は過呼吸でも起こしそうな程に呼吸が荒い。全生命力を使ってパニクってる、そんな印象だ。

 死にかかっているという話がすんなり受け入れられないのだ。

 そんな僕らをゆっくり見渡し田中さんは、相変わらずの仏頂面で事務的に言葉を紡いでいく。

「けどまぁ、皆さんは運がいい。今、天国は人で溢れかえっていて出来れば、受け入れの数を減らしたい。神は、そのような方針でいらっしゃいます」

「だったら、さっさとここから出してくれよ。私は、忙しいんだ」

 ビジネスマンのおっさんは、あいも変わらず横柄な物言いだが、うん、俺もそう思う。

「ええ、戻れますよ。このしあわせ予備校を卒業さえすればね」

「卒業って……どうすればいいんですか」

 死んだわけではないと理解して、段々と落ち着いてきたのか気弱そうな女の子が質問をする。

「シンプルです。ここで、それぞれのしあわせを見つけていただきます。せっかく現世に戻っても、しあわせから程遠いとまた死が近づいてきますからね。しあわせというのは生きるエネルギーそのものなのです。また早々に戻ってこられても迷惑ですし、是非ともここでの講義を通じて、確固たるしあわせを見つけてください」

「しあわせって言っても、間に合ってるんだが?」

 反抗心剥き出しといった様子でビジネスマンは田中さんに突っかかる。

「あぁ……その辺はご心配なく。この予備校にやってくるのは、不幸せと感じている人の中で、死にかかった人だけですから。意識を肉体から吸い上げるのに若干時間がかかるので、ここに来たばかりだと記憶が追いついてこないんですよ。まぁ、じきに戻ってくると思いますので」

 淡々と告げる田中さんの顔が少しボヤけて、頭の中にトラックのヘッドライトのようなものが浮かんで、ビクッとしてしまった。

 ……なんだ? 今の。

 本当にただの夢にしては、設定が複雑だし、記憶のどこにも見当たらないような景色と人物とシチュエーション。

 まさか夢じゃない? 頭は否定しているけども、なんというか心みたいな理屈ではない部分で信じてしまっている自分がいる。

 カッ カッ カッ とリズミカルなチョークの音を黒板で刻みながら、田中さんは「カリキュラム」と題字を書いて、今後の流れの説明に移ろうとしていた。


<続>


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