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ショートショート97 「別れ路を進む」

 三月三日、今年も家族で車に乗って家から四十分ほどの神社にやってきた。

 雛祭りを着物を着てお祝いするのは妻方の実家の慣しだ。

 今時珍しい古風な風習だとは思うものの、娘の着物姿を写真に残していけるのは、振り返ってみればいいものだと思う。

 一年を経るたびに、最初は反物に包まれていると言った風だった着物姿が、段々と板についてくる。

 着る者を少し大人に見せる着物の力がすごいのか、それとも過ぎゆく一年に楔を打ってメリハリを持たせる行事の力がそうさせるのか。

 川と言うにはあまりにも浅い、石造りの川底に均一に水が張られたみたらし川のほとりに屈み込み、妻と娘は一緒になって流しびなに興じている。

 円盤状に藁を編み込んだ桟俵(さんだわら)に、紙で作った人形(ひとがた)を乗せ、無病息災を祈願する。

 娘は流れていく人形を興味深そうに見つめている。

 彼女がこの行事の意味を理解するには、もう少し時間がかかるのだろう。

 多分、今はお舟遊びと区別もついていない様子だ。

 昔はこう言う時、声を出して笑っていたもんだけど、少し成長してお姉さんになったからなのだろうか、最近は興味があるものに出会うとジッと静かに見つめていることが多くなった。


 なんだか、綺麗になったな。

 愛娘の横顔に女性を見たことにハッとする。

 もう一度、目を凝らすとそこにいるのは四歳になったばかりの無垢な姿だった。

 男女の見分けがつかない幼児期を経て、少しずつ少女へと成長してく彼女。

 そこに成長した未来の姿を視るのは、大人ならではなのだろう。

 幼かった同級生がどのような大人に成長するのか、そのプロセスを知る大人は、同じように自身の子どもに対しても、そのシミュレーションを当てはめることができてしまう。

 きっと美人になるぞ。

 親の欲目なしに(と思いたい)、そう思わせる横顔を見つつ

 独り立ちして、いい人を見つけ、家を出ていく娘の姿を想像し、

 寂しい気持ちになる。


 勝手に想像して、勝手に寂しがるなんて、おかしな話だとは思いつつ、

 大人に備わった想像力は、容赦無くその時のイメージを眼前に突きつける。

 もしかしたら、こうした節目、節目に、少しずつ覚悟していかないと、寂しさに耐えられないのかもしれない。

 そんな父親の寂しさを知る由もなく、流れていく人形(ひとがた)を真剣に見つめる娘。


 君が成長のたびに踏む一歩一歩は、いつかくる分岐点につながる別れ路を進む一歩なのだろう。


 親って、しあわせで少し切ない生き物なんだな。

 ただ、君はそのまま前だけを見て進んでいってくれればいい。


 結局、それ以上の親のしあわせなどないのだ。


「これパパの分ー」

 と桟俵を差し出す娘の声で、僕もみたらし川のほとりに屈む。


「どうか、いい人のところへお嫁に行きますように」


 大層に気の早い願いを込めて、流れていく人形を見守った。


<了>

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