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【短編】しあわせ予備校-6
「では、いよいよラストの講義です」
黒板の方を向いたまま、そういうと田中さんは
”仕事”
と書いた。
これも記憶が無いせいだろう。全く実感がない。ただ、俺は仕事が原因で不幸せだと感じ、そして死にかかっているようだ。
「さて、広里さん。あなたは……うむ?」
妙な声を出した後、田中さんはジッとこちらを見て黙り込んでしまった。眉間にシワを寄せたり、唇をとんがらせたりして、ミミズの蠕動みたいにゆっくりと表情が動いて行く。
「……え? どうしたんですか?」
たまらず聞くと「う〜〜む」とうめいた後、いつもの真顔に戻ってこう言った。
「広里さん、申し訳ありません。あなたがここに来たのは手違いです」
「え?」
「あなたは、別に不幸せともなんとも感じていません」
「えぇ!?」
「あなたは、あれです。二日酔い状態で ”死にてぇ〜” といいながら外を歩いていたところトラックに轢かれたことで死にかかっています。それを審査係が勘違いしてしまったのですね」
「それって、もっと早く気づけなかったんですか。カリキュラム組む時とか」
「面目ない。テヘペロです」
田中さんは自分の頭を小突く仕草をして見せた。……真顔のまま。文句を言ったところで状況は好転しないだろうし、俺は事実を受け入れることにし、ふと気になったことを質問する。
「なんでまた二日酔いに? 俺普段はあんまり飲まないんだけど」
「それは彼女さんと喧嘩したみたいですね。最近仕事に夢中で、彼女さんを蔑ろにしてばかり。たまの電話も仕事をしながら上の空で聞いているから、相手が怒って、延々と責められ、そこからヤケ酒です。慣れないお酒を飲む暇があるなら、遭いに行ってあげればいいのに」
ちくしょう、いつの間にか説教される側に回ってしまっていた。
「それって恋に関して俺は不幸せってことにならないんですか?」
「なりませんね。あなた自身はこれっぽっちも不幸せとは思っていませんから。心底いまの仕事に夢中のようですし。最悪別れても、なんとも思わないんじゃないですか?」
うーん、客観的に聞くとえらく視野が狭いようにも、自分本意過ぎるようにも思えるけど、確かに憧れの職業だったし、これで成り上がりたいと思っている。
「まぁ、そんなわけで、すぐにでも現世に戻っていただけますので、これで今期のカリキュラムは修了、ですね」
「あの、待ってください。最後の講義、受けさせてもらえませんか?」
「ほう? わざわざ不幸せじゃない人にしあわせの講義ですか。お互い時間の無駄のようにも思えるのですが」
「それをいうなら、そちらの手違いで結構な時間を無駄にしたことになるし、今更いち講義分増えたって変わりはしません。
それに……」
「それに?」
「今の話だけ聞くと、どうも俺は彼女を……遥を不幸せにしているような気もするんです」
田中さんは、少しだけ腕組みをして考えた後
「まぁ、そうですね。こちらが手違いでご迷惑をおかけしたこともありますし、わかりました。講義を始めましょう」
田中さんはゆっくりと教壇の方へと歩き、こちらへ向き直った。
「さて、仕事って……なんでしょう?」
「うーん、生きがい?」
「広里さんの場合、そうなのでしょうね」
カツ カツカツ シュー トントン
黒板でチョークが削れて行く音が忙しなく響き
一.何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。
二.生計を立てる手段として従事する事柄。職業。
「”デジタル大辞泉”から抜粋しました」と向き直る田中さんの背景としてこの二文が黒板に書かれている。
「広里さんの場合、なりたくて仕方がなかった職業に就いておられるようですし、一の意味合いが特に強いのでしょう。といいつつ、世の中理想の職に就いている方ばかりではない。その場合は、二の意味合いが強くなります。
ただ、どれだけ理想の職業に就けたところで、二の意味合いが消えるわけではありません。生活して行くためにはお給料をいただく必要がありますからね。仕事が好き・嫌いに関わらず生計を立てる手段であるという部分は不変だと言えます。まぁ、それゆえに厄介なことがあります」
「厄介? ですか」
「えぇ、仕事は言い訳に使われやすい。プライベートの予定を反故にするのも、仕事があるから仕方がない。日々、あまり時間を作ってあげられないのも仕事があるから。本当は、自分が仕事をしている方が楽しいから相手と向き合おうとしていないにも関わらず、仕事を言い訳にすれば、相手は一応引き下がらなければならない。本心は納得していなくても、です」
「そうは言うけど、仕事が充実してこそ、プライベートも充実させられるってこともあるんじゃないですか? 出世して稼ぎが良くなった方が、最終的にいい想いをさせてあげられるし」
「まぁ、それもよくある言い訳の一つですね。将来のために今は我慢。きっと将来いい想いをさせてあげるから。それも言ってる本人は嘘偽りない本心だと思っている。けどねぇ、パートナーはいつくるかわからない将来よりも、今を大切にして欲しいって思うものですよ。
第一、将来は将来で忙しいんですから。今、忙しいを理由に自分を蔑ろにする人が、未来では自分を大切にしてくれるなんて、イメージしづらいでしょう。
結局、自分は仕事で充実してるけど、相手には将来のプランを語るだけで満たされない今を強いる。アンフェアな関係なんですよ」
「俺がまさしくその状態ってことですか?」
「えぇ。まぁ、あなたは仕事で満たされていますし、なんならそのことしか考えられない毎日を過ごしているので、不幸せとは全く感じていません。このまま現世に戻っても、仕事に打ち込みしあわせでいることができるでしょう。失恋の傷だって、割とすぐに癒えます」
「でも、それじゃあ……」
「彼女さんに気の毒……ですか? 大丈夫ですよ。現世で仕事に戻れば、またそんなことを考える余裕もなくなります」
「そうは言っても……」
「ふーむ、では仕事に割く時間を彼女さんに充てられますか?」
「そうしたら、同期に差をつけられないかが心配で」
「では、彼女さんを切ればいいじゃないですか」
「でも、大学からずっと一緒で、自然体でいられる人だし」
「ワークライフバランス、なんて言うじゃないですか。結局どんな人でも一日は二十四時間ですから。それをどう割り振って行くかでバランスは決まるわけです。あっちに振れば、こっちの時間は減る、それが理です。
どっちつかずで心が決まらない状態が一番不幸に飲まれやすい。
潔く、仕事に割く時間を減らすのか、彼女さんを諦めて仕事に生きるのか。あなたは、決める必要があるのかも知れませんね」
キーン コーン カーン コーン
唐突にチャイムが鳴った。講義の合間合間でも鳴らなかったのになんで突然?
「こうしてはいられません。広里さん、早く教室から出てください」
「え?」
「次のチャイムがなるまでにここを出ないとあなたはそのまま死んでしまいます」
「ええ!?」
急げ急げとせかされるまま、扉に手をかけるとそれは抵抗なくカチャリと開いた。
奥に続いていたのは白い廊下、壁も天井も白い。
歩を進めるとその白が、じわじわと広がって視界にまで侵入してくる。前に進むごとに、視界が白で埋め尽くされ、頭の中まで白で満たされていった。
❇︎
「……けた!?」
「……える?」
「……ょう! 亮!」
目を開けると、目に飛び込んできたのは、またも白色だった。白い天井、白いベッド。その視界に割り込んで、心配そうに呼びかけている女性の姿がある。
「は、るか」
「よかった! 目を覚ました。二週間ずっと寝てたんだよ」
涙目でいう遥は化粧もせず、髪も乱れ気味だった。着きっきりで看ていてくれたことが伝わってくる。
「……二週間。なんだか、夢を見ていたら一瞬で過ぎた気分だ」
「こっちは二週間、気が気じゃなかったっての」
「……ごめん」
「いいよ、結果オーライ」
なんだか、夢の中でとても不思議な体験をしたような気がするけど、内容を思い出せない。こう言う時ってなんだかモヤモヤするな。
ただ、自分の中にこれをしなければならないと言う強い思いだけがあった。
「あのさ……退院したら、旅行にいこう」
「え? いいけど。仕事いいの?」
「うん」
「いつもの亮なら、入院中の遅れを取り戻さないといけないから、しばらく会えないから! なんて言いそうなのに」
「いいよ、そんなこと言ってたら、いつまで経ってもプライベート楽しめないし、それに……」
「それに?」
「旅行の予定入れちゃった方が、そこに向けて集中できて能率も上がりそうだし」
両方の予定を生活に組み込んでしまって、どっちも全力でこなす。二兎を追って仕留めることを目指す方が、俺はしあわせになれる気がする。
心を決めることが大切なら、こう言う結論だってありでしょ? ……ってあれ? 俺は、誰に話かけているのだろう。
窓際に配置されたベットからはよく晴れた空が見える。
そのまま空を見上げようと目線を上にあげかけたけど、なぜか角刈りの真面目そうな中年男性の顔が、その青空に浮かぶような予感がして、俺は視線を戻した。
<了>
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